これからきみにぼくの人生で最も悲しかった発見を話そう。それは、迫害された者が迫害する者よりましだとはかぎらない、ということだ。ぼくには彼らの役割が反対になることだって、充分考えられる。(クンデラ『別れのワルツ』) |
過去の虐待の犠牲者は、未来の加害者になる恐れがあるとは今では公然の秘密である。(When psychoanalysis meets Law and Evil: Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe, 2010) |
ーー迫害・虐待は、外傷体験、侵入体験である。侵入をこうむったからには、侵入的になるのは当然である。 |
治療における患者の特性であるが、統合失調症患者を診なれてきた私は、統合失調症患者に比べて、外傷系の患者は、治療者に対して多少とも「侵入的」であると感じる。この侵入性はヒントの一つである。それは深夜の電話のこともあり、多数の手紙(一日数回に及ぶ!)のこともあり、私生活への関心、当惑させるような打ち明け話であることもある。たいていは無邪気な範囲のことであるが、意図的妨害と受け取られる程度になることもある。彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか。世話になった友人に対してストーキング的な電話をかけつづける例もあった。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
この外傷的侵入は、フロイト用語ではトラウマ的受動性である。 |
|||||||||||
トラウマを受動的に体験した自我は、その状況の成行きを自主的に左右するという希望をもって、能動的にこの反応の再生を、よわめられた形ではあるが繰り返す。 子供はすべての苦痛な印象にたいして、それを遊びで再生しながら、同様にふるまうことをわれわれは知っている。このさい子供は、受動性から能動性へ移行することによって、彼の生の出来事を心的に克服しようとするのである。 |
|||||||||||
Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt hat, wiederholt nun aktiv eine abgeschwächte Reproduktion desselben, in der Hoffnung, deren Ablauf selbsttätig leiten zu können. Wir wissen, das Kind benimmt sich ebenso gegen alle ihm peinlichen Eindrücke, indem es sie im Spiel reproduziert; durch diese Art, von der Passivität zur Aktivität überzugehen, sucht es seine Lebenseindrücke psychisch zu bewältigen. |
|||||||||||
(フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926年) |
|||||||||||
《受動性から能動性へ移行することによって、彼の生の出来事を心的に克服しようとする》とあるが、フロイトには、主に幼児期の出来事に関してだが、この受動性から能動性への移行の記述がふんだんにある。ここではもうひとつだけ掲げる。
………………
なお、クリス・ヘッジズはサラエボ取材等によって自ら外傷性戦争神経症を抱えるピューリッツァー賞受賞ジャーナリストである。 |