2025年8月6日水曜日

このジェノサイドは、パレスチナ人だけでなく、グローバルサウスの人々にどんなメッセージを伝えたのだろうか?

 

これからきみにぼくの人生で最も悲しかった発見を話そう。それは、迫害された者が迫害する者よりましだとはかぎらない、ということだ。ぼくには彼らの役割が反対になることだって、充分考えられる。(クンデラ『別れのワルツ』)

過去の虐待の犠牲者は、未来の加害者になる恐れがあるとは今では公然の秘密である。(When psychoanalysis meets Law and Evil: Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe, 2010)


ーー迫害・虐待は、外傷体験、侵入体験である。侵入をこうむったからには、侵入的になるのは当然である。


治療における患者の特性であるが、統合失調症患者を診なれてきた私は、統合失調症患者に比べて、外傷系の患者は、治療者に対して多少とも「侵入的」であると感じる。この侵入性はヒントの一つである。それは深夜の電話のこともあり、多数の手紙(一日数回に及ぶ!)のこともあり、私生活への関心、当惑させるような打ち明け話であることもある。たいていは無邪気な範囲のことであるが、意図的妨害と受け取られる程度になることもある。彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか。世話になった友人に対してストーキング的な電話をかけつづける例もあった。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)





この外傷的侵入は、フロイト用語ではトラウマ的受動性である。

トラウマを受動的に体験した自我は、その状況の成行きを自主的に左右するという希望をもって、能動的にこの反応の再生を、よわめられた形ではあるが繰り返す。

子供はすべての苦痛な印象にたいして、それを遊びで再生しながら、同様にふるまうことをわれわれは知っている。このさい子供は、受動性から能動性へ移行することによって、彼の生の出来事を心的に克服しようとするのである。

Das Ich, welches das Trauma passiv erlebt hat, wiederholt nun aktiv eine abgeschwächte Reproduktion desselben, in der Hoffnung, deren Ablauf selbsttätig leiten zu können. 

Wir wissen, das Kind benimmt sich ebenso gegen alle ihm peinlichen Eindrücke, indem es sie im Spiel reproduziert; durch diese Art, von der Passivität zur Aktivität überzugehen, sucht es seine Lebenseindrücke psychisch zu bewältigen.

(フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926年)


《受動性から能動性へ移行することによって、彼の生の出来事を心的に克服しようとする》とあるが、フロイトには、主に幼児期の出来事に関してだが、この受動性から能動性への移行の記述がふんだんにある。ここではもうひとつだけ掲げる。




注目すべきなのは、能動性と受動性の関係である[Das Verhältnis der Aktivität zur Passivität verdient hier unser besonderes Interesse]。容易に観察されるのは、セクシャリティの領域ばかりではなく、心的経験の領域においてはすべて、受動的に受け取られた印象が小児に能動的な反応を起こす傾向を生みだすということである。以前に自分がされたりさせられたりしたことを自分でやってみようとするのである。

それは、小児に課された外界に対処する仕事の一部であって、苦痛な内容を持っているために小児がそれを避けるきっかけをもつことができた印象の反復の試みというところまでも導いてゆくかもしれない。

小児の遊戯もまた、受動的な体験を能動的な行為によって補い、いわばそれをこのような仕方で解消しようとする意図に役立つようになっている。医者がいやがる子供の口をあけて咽喉をみたとすると、家に帰ってから子供は医者の役割を演じ、自分が医者に対してそうだったように、自分に無力な幼い兄弟をつかまえて、暴力的な処置を反復する。受動性への反抗と能動的役割の選択は疑いない。

Auch das Kinderspiel wird in den Dienst dieser Absicht gestellt, ein passives Erlebnis durch eine aktive Handlung zu ergänzen und es gleichsam auf diese Art aufzuheben. Wenn der Doktor dem sich sträubenden Kind den Mund geöffnet hat, um ihm in den Hals zu schauen, so wird nach seinem Fortgehen das Kind den Doktor spielen und die gewalttätige Prozedur an einem kleinen Geschwisterchen wiederholen, das ebenso hilflos gegen es ist, wie es selbst gegen den Doktor war. Eine Auflehnung gegen die Passivität und eine Bevorzugung der aktiven Rolle ist dabei unverkennbar.

(フロイト『女性の性愛』第3章、1931年)


ーーここでは受動性から能動性への移行が「暴力的な」反復を生むとさえ書かれている。成人になってからの被害者から加害者への移行ももちろんこのメカニズムが働いている。トラウマ的受動性の体験をしたものは、多くの場合、この加害者へと反転することで、フロイトの言い方なら彼らの《生の出来事を心的に克服しようとする》ということになる。この穏やか版が、先の中井久夫曰くの《彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか》であり、過激版が、例えば次のトインビーの記述する事態である。


人類の歴史の陰湿な皮肉の中で、これ以上に人間性の邪悪さと救いがたさを明らかにしたものはないだろう。つまり、ユダヤ人は恐るべき迫害の憂き目に遭った直後に、ナチスから塗炭の苦しみを受けた教訓を生かそうとはしないで、自分たちがユダヤ人として被害者になったのと同じような犯罪を、加害者として再び犯さないようにするのではなくて、今度は自ら新たな民族主義者になって、自分たちの父祖が住んでいた郷土に今アラブ人がいるという理由から、自分よりも弱い民族を犠牲にして迫害したことである。(アーノルド・トインビー『歴史の研究』ARNOLD J. Toynbee, A STUDY OF HISTORY, ABRIDGEMENT OF VOLUMES Ⅶ―Ⅹ、p177.)



さらに、近未来には殆ど間違いなく、現在の被害者パレスチナ人が未来の加害者になるだろう事態があるに違いない。


外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。


しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。素質による程度の差はあるかもしれないが、どのような人でも、残虐ないじめや拷問、反復する性虐待を受ければ外傷的記憶が生じる。また、外傷を受けつづけた人、外傷性記憶を長く持ちつづけた人の後遺症は、心が痩せ(貧困化)ひずみ(歪曲)いじけ(萎縮)ることである。これをほどくことが治療戦略の最終目標である。 (中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)



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◼️クリス・ヘッジズ「ガザ最後の日々」

The Last Days of Gaza , Chris Hedges@ChrisLynnHedges  2025年6月10日

ポーランドのナチス・ドイツのソビボル絶滅収容所で蜂起に参加したカイム・エンゲルは、ナイフを手に収容所の警備員を襲った時のことを語った。


「あれは決断ではなかった」とエンゲルは数年後に説明した。「ただ反応しただけだ。本能的に。『やろう、やろう』と思った。そして私は行動を起こした。事務所の男と一緒に行き、あのドイツ人を殺した。一撃ごとに『これは父のため、母のため、そしてあなたたちが殺したすべての人々、すべてのユダヤ人のためだ』と繰り返した」。


パレスチナ人が違う行動を取ることを期待する人がいるだろうか?文明の先駆者を自称するヨーロッパとアメリカ合衆国が、彼らの両親、子供たち、地域社会を虐殺し、彼らの土地を占領し、彼らの都市と家を破壊したジェノサイドを支持したとき、彼らはどう反応するのだろうか?自分たちにこんなことをした者たちを憎まないでいられるだろうか?このジェノサイドは、パレスチナ人だけでなく、グローバルサウスの人々にどんなメッセージを伝えたのだろうか?


それは明白だ。 お前たちはどうでもいい。 人道法は適用されない。 我々は、お前たちの苦しみや子どもたちの殺害など気にも留めない。 お前たちは害虫だ。 お前たちは無価値だ。 お前たちは殺され、飢えさせられ、土地を奪われるに値する。 地球上から抹殺されるべきだ。

Chaim Engel, who took part in the uprising at the Nazis’ Sobibor death camp in Poland, described how, armed with a knife, he attacked a guard in the camp.

“It’s not a decision,” Engel explained years later. “You just react, instinctively you react to that, and I figured, ‘Let us to do, and go and do it.’ And I went. I went with the man in the office and we killed this German. With every jab, I said, ‘That is for my father, for my mother, for all these people, all the Jews you killed.’”


Does anyone expect Palestinians to act differently? How are they to react when Europe and the United States, who hold themselves up as the vanguards of civilization, backed a genocide that butchered their parents, their children, their communities, occupied their land and blasted their cities and homes into rubble? How can they not hate those who did this to them?

What message has this genocide imparted not only to Palestinians, but to all in the Global South?

It is unequivocal. You do not matter. Humanitarian law does not apply to you. We do not care about your suffering, the murder of your children. You are vermin. You are worthless. You deserve to be killed, starved and dispossessed. You should be erased from the face of the earth.



なお、クリス・ヘッジズはサラエボ取材等によって自ら外傷性戦争神経症を抱えるピューリッツァー賞受賞ジャーナリストである。