前回「スカートあるいはミニスカをめぐって」で在庫めぐりをしている中で、忘れかけていた「スバラシイGIF」に行き当たった。どこで拾ったのか失念したが、ここに何人かの作家の文とともに再掲しておく。
ナオミさんが先頭で乗り込む。鉄パイプのタラップを二段ずつあがるナオミさんの、膝からぐっと太くなる腿の奥に、半透明な布をまといつかせ性器のぼってりした肉ひだが睾丸のようにつき出しているのが見えた。地面からの照りかえしも強い、熱帯の晴れわたった高い空のもと、僕の頭はクラクラした。(大江健三郎「グルート島のレントゲン画法」『いかに木を殺すか』所収) |
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生きつづける欲望を自己の内部に維持したいとねがう人、日常的なものよりももっと快い何物かへの信頼を内心に保ちつづけたいと思う人は、たえず街をさまようべきだ、なぜなら、大小の通は女神たちに満ちているからである[car les rues, les avenues, sont pleines de Déesses]。しかし女神たちはなかなか人を近よせない[Mais les Déesses ne se laissent pas approcher. ]。あちこち、木々のあいだ、カフェの入り口に、一人のウェートレスが見張をしていて、まるで聖なる森のはずれに立つニンフ[une nymphe à l'orée d'un bois sacré]のようだった、一方、その奥には、三人の若い娘たちが、自分たちの自転車を大きなアーチのように立てかけたそのかたわらにすわっていて、それによりかかっているさまは、まるで三人の不死の女神が、雲か天馬かにまたがって、神話の旅の長途をのりきろうとしているかのようであった[comme trois immortelles accoudées au nuage ou au coursier fabuleux sur lesquels elles accomplissaient leurs voyages mythologiques.](プルースト「囚われの女」)(プルースト「囚われの女」) |
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すこし前方に、べつの一人の小娘が自転車のそばにひざをついてその自転車をなおしていた。修理をおえるとその若い走者は自転車に乗ったが、男がするようなまたがりかたはしなかった[mais sans l'enfourcher comme eût fait un homme]。一瞬自転車がゆれた、するとその若いからだから帆か大きなつばさかがひろがったように思われるのだった、そしてやがて私たちはその女の子がコースを追って全速力で遠ざかるのを見た、なかばは人、なかばは鳥、天使か妖精か[mi-humaine, mi-ailée, ange ou péri]とばかりに。(プルースト「囚われの女」) |
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谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子「道徳経」第六章「玄牝之門」) |
谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ。(老子「玄牝之門」福永光司訳) |
孔徳之容、唯道是従。道之為物、唯恍唯惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚真、其中有信。(老子『道徳経』第二十一章) |
女性的な「徳(はたらき)」の深い孔のようなゆとりにそって「道」はただ進むだけだ。この道が物を作るのは、ただ恍惚の中でのことだ。恍惚の中で象(かたち)がみえる。その恍惚の中に物があるのだ。そしてその奥深くほの暗い中に精が孕まれる。この精こそ真に充実した存在であって、その中に信が存在する。(同「孔徳之容」保立道久訳) |