この高市早苗の「さもしい顔して貰えるものは貰おうとか弱者のフリをして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」というのは非難轟々だが、新自由主義者は本音のところではみなそう思ってる筈だよ。以前、ラカニアンのポール・バーハウによるガーディアン記事を掲げたことがあるがね、《失敗した人々は負け犬か、社会保障制度を食い物にする寄生虫とみなされる。those who fail are deemed to be losers or scroungers, taking advantage of our social security system.》というヤツだ。
◼️ポール・バーハウ「新自由主義は私たちの中にある最悪のものを引き出した」2014年9月29日 |
Neoliberalism has brought out the worst in us, Paul Verhaeghe, The Guardian 29 Sep 2014 |
ーーサイコパス的な性格特性に報いる経済システムが私たちの倫理観と性格を変えてしまった |
An economic system that rewards psychopathic personality traits has changed our ethics and our personalities |
私たちは、自己のアイデンティティは変動のないもので、外部の力から大きく分離されていると認識しがちである。しかし私は、数十年にわたる研究と治療の実践を通して、経済の変化は私たちの価値観だけでなく、人格にも大きな影響を与えていると確信するようになった。 30年にわたる新自由主義、自由市場主義、民営化の弊害で、絶え間ない達成への圧力が常態化している。 もしあなたがこれを懐疑的に読んでいるなら、私はこう断言する。実力主義的な新自由主義は、特定の性格特性を優遇し、他の特性を不当に扱うと。 今日、キャリアを築くには、理想的な資質がいくつか求められる。まず第一に、明確な意思表示ができること。これは、できるだけ多くの人々の心を掴むことを目的としている。交際は表面的なものかもしれないが、これは現代の人間関係のほとんどに当てはまるため、あまり意識されることはないだろう。 |
自分の能力をできる限りアピールすることが大切である。例えば、たくさんの知り合いがいて、豊富な経験があり、最近は大きなプロジェクトを終えたばかりといった具合に。後になって、それがほとんど作り話だったと分かるだろう。しかし、最初に騙されたのは、別の性格特性によるものだ。あなたは説得力のある嘘をつき、罪悪感をほとんど感じない。だからこそ、自分の行動に責任を負わないのである。 加えて、あなたは柔軟で衝動的で、常に新しい刺激や挑戦を求めている。実際には、これが危険な行動につながることもあるが心配はいらない。その責任を負わされるのはあなたではない。このリストのインスピレーションの源は?今日最も著名なサイコパス専門家、ロバート・ヘアによるサイコパシーチェックリストである。 |
もちろん、この説明は極端に誇張された戯画である。しかしながら、金融危機はマクロ社会レベル(例えばユーロ圏諸国間の紛争)で、新自由主義的な能力主義が人々に何をもたらすかを如実に示した。連帯は高価な贅沢品となり、一時的な同盟関係に取って代わられ、常に競争相手よりも多くの利益を上げることが最優先される。同僚との社会的なつながりは弱まり、企業や組織への感情的なコミットメントも弱まる。 いじめはかつて学校に限られていたが、今では職場でも一般的になっている。いじめは、無力な人が弱者に不満をぶつける典型的な症状であり、心理学では転移攻撃として知られている。パフォーマンス不安から、脅威となる他者に対するより広範な社会的恐怖に至るまで、根深い恐怖感が存在する。 |
職場での絶え間ない評価は、自律性の低下と、しばしば変化する外部規範への依存度を高める。これは、社会学者リチャード・セネットが的確に表現した「労働者の幼児化」につながる。大人たちは子供のような怒りを爆発させ、些細なことで嫉妬し(「彼女は新しいオフィスチェアを買ったのに、私は買ってない」など)、罪のない嘘をつき、欺瞞に訴え、他人の失敗を喜び、つまらない復讐心を抱く。これは、人々が自立して考えることを妨げ、従業員を大人として扱わないシステムが招いた結果である。 しかし、より重要なのは、人々の自尊心が深刻に損なわれていることである。ヘーゲルからラカンに至るまでの思想家たちが示してきたように、自尊心は他者から受ける承認に大きく左右される。セネットは、現代の従業員にとっての最大の問いは「誰が私を必要とするのか?」であると考え、同様の結論に至っている。そして、ますます多くの人々にとって、その答えは「誰も必要としていない」である。 |
私たちの社会は、努力さえすれば誰でも成功できると常に主張し、同時に特権を強化し、過重労働で疲弊した市民にさらなるプレッシャーをかけている。ますます多くの人々が挫折し、屈辱感、罪悪感、恥を感じている。私たちはかつてないほど自由に人生の進路を選択できると常に言われているが、成功物語の外側で選択する自由は限られている。さらに、失敗した人々は負け犬か、社会保障制度を食い物にする寄生虫とみなされる。Furthermore, those who fail are deemed to be losers or scroungers, taking advantage of our social security system. 新自由主義的な能力主義は、成功は個人の努力と才能にかかっていると信じ込ませようとする。つまり、責任はすべて個人にあり、権力は人々が目標を達成するために可能な限りの自由を与えるべきだということである。制限のない選択のおとぎ話を信じる人々にとって、自治と自主管理は、特にそれが自由を約束するように見える場合、最も重要な政治メッセージである。個人は完全になり得るという考えとともに、西洋で私たちが持っていると認識している自由は、この時代の最大の虚偽だ。 |
社会学者ジグムント・バウマンは、現代のパラドクスを「これほど自由になったことはかつてない。これほど無力だと感じたことはかつてない」と簡潔にまとめている。確かに、私たちは以前よりも自由である。宗教を批判し、性に対する新たな自由放任主義的な態度を利用し、好きな政治運動を支持できるという意味で。これらすべてが可能なのは、もはや何の意味も持たないからである。こうした自由は無関心によって引き起こされる。しかし一方で、私たちの日常生活は、カフカさえも膝から崩れ落ちるような官僚主義との絶え間ない戦いとなっている。パンの塩分濃度から都市部における養鶏に至るまで、あらゆるものに規制がかけられている。 |
私たちが当然持っている自由は、ある一つの核心条件に結びついている。それは、成功すること、つまり「何かを成し遂げる」ことだ。事例を探す必要はない。高いスキルを持ちながら、キャリアよりも子育てを優先する人は批判の的となる。良い仕事に就いているのに、他のことに時間を割くために昇進を断る人は、その仕事が成功を約束するものでない限り、正気ではないとみなされる。小学校の先生になりたい若い女性が、両親からまず経済学の修士号を取得すべきだと言われる。小学校の先生なんていったい何を考えているんだ?となる。 私たちの文化におけるいわゆる規範や価値観の喪失について、絶え間ない嘆きがある。しかし、私たちの規範や価値観は、私たちのアイデンティティの不可欠な部分を構成している。だからそれらは失われることはなく、変わることしかできないのである。そして、まさにそれが起こっている。変化した経済は、変化した倫理観を反映し、変化したアイデンティティをもたらす。現在の経済システムは、私たちの中の最悪の部分を引き出している。 |
なおバーハウが触れている名高いサイコパス専門家ロバート・ヘア(Robert Hare)によるサイコパシーチェックリスト(The psychopathy checklist)は次のもの(改訂最新版)。
なにはともあれ、個々の事例を批判するのではなく、システム批判に向かわないと埒が開かないよ。
今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。(中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』所収、2005年) |
「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。(柄谷行人「長池講義」2009年) |
柄谷の英語論文ーー邦訳されているのだろうが私は知らないーーからも掲げておこう。
貨幣-貨幣'[M - M' (G - G′)]において、われわれは資本の非合理的形態をもつ。そこでは資本自体の再生産過程に論理的に先行した形態がある。つまり、再生産とは独立して己の価値を設定する資本あるいは商品の力能がある、ーー《最もまばゆい形態での資本の神秘化》(マルクス)である。株式資本あるいは金融資本の場合、産業資本と異なり、蓄積は、労働者の直接的搾取を通してではなく、投機を通して獲得される。しかしこの過程において、資本は間接的に、より下位レベルの産業資本から剰余価値を絞り取る。この理由で金融資本の蓄積は、人々が気づかないままに、階級格差を生み出す。これが現在、世界的規模の新自由主義の猖獗にともなって起こっていることである。 |
In M-M' we have the irrational form of capital, in which it is taken as logically anterior to its own reproduction process; the ability of money or a commodity to valorize its own value independent of reproduction―the capital mystification in the most flagrant form”. In the case of joint-stock capital or financial capital, unlike industrial capital, accumulation is realized not through exploiting workers directly. It is realized through speculative trades. But in this process, capital indirectly sucks up the surplus value from industrial capital of the lower level. This is why accumulation of financial capital creates class disparities, without people's awareness. That is currently happening with the spread of neo-liberalism on the global scale. |
(柄谷行人、‟Capital as Spirit“ by Kojin Karatani、2016, 私訳) |
で、新自由主義の時代とは➡︎「主人はマネー」の時代だ。我々はみなこの釈迦の掌の上で踊る猿だよ。