|
フロイトに隠蔽記憶[Deckerinnerungen]という用語があり、スクリーンメモリーとも訳される。
|
|
隠蔽記憶…幼児期から来る本質的なものはたんにいくつかではなく実際にはすべてがこの隠蔽記憶のなかに保持されている。Deckerinnerungen…In diesen ist nicht nur einiges Wesentliche aus dem Kindheitsleben erhalten, sondern eigentlich alles Wesentliche.(フロイト 『想起、反復、徹底操作』Erinnern, Wiederholen und Durcharbeiten' 1914年)
|
|
1899年の隠蔽記憶論文には、《幼児期のある出来事が記憶の中に現れるのは、それ自体が黄金であるからというのではなく、それが黄金のそばに置かれているからである》とある。
|
|
その哲学教授の最初の記憶は三歳から四歳にかけての時期にあたるもので、テーブル掛けの掛けられた食卓のイメージが現われ、その上には氷の入った鉢が載っている。ちょうどその頃、教授の祖母が亡くなっているのだが、両親の言によれば、祖母の死は子供にひどいショックを与えたのであった。しかしその哲学教授は、祖母の死んだ事件については何も知っていない。彼がその時期のことを思い出すのは、ただ氷の入った鉢だけである。
…einem Professor der Philologie, dessen früheste Erinnerung, in die Zeit zwischen drei und vier Jahren verlegt, ihm das Bild eines gedeckten Tisches zeigte, auf dem eine Schüssel mit Eis steht. In dieselbe Zeit fallt auch der Tod seiner Großmutter, der das Kind nach der Aussage seiner Eltern sehr erschüttert hat. Der nunmehrige Professor der Philologie weiß aber nichts von diesem Todesfall, er erinnert sich aus dieser Zeit nur an eine Schüssel mit Eis. 〔・・・〕
|
|
幼児期のある出来事が記憶の中に現れるのは、それ自体が黄金であるからというのではなく、それが黄金のそばに置かれているからである。ein gewisses Erlebnis der Kinderzeit kommt zur Geltung im Gedächtnis, nicht etwa weil es selbst Gold ist, sondern weil es bei Gold gelegen ist. (フロイト『隠蔽記憶について Uber Deckerinnerungen』1899年)
|
|
ここでの問いは何の黄金なのか、である。もちろん人によって相違はあるだろうが、私にしばしば現れる幼児期の記憶映像は鎮守の森に向かう一本道であり、ネットで検索した範囲では、次の画像がきわめて近似している。
この鎮守の森に向かう田んぼの真ん中の一本道は、幼稚園の集団登園の初日の記憶映像であり、母から離れて、あんな遠くまで歩いていかなければならないのかというものだが、今から思えばまずは分離不安に関わる、と言ってよい。とはいえそのとき黄金とは? ひょっとして鎮守の森には何か黄金が隠されているのだろうか・・・
|
風景あるいは土地の夢で、われわれが、ここへは一度きたことがあるとはっきりと自分にいってきかせるような場合がある。さてこの「既視感〔デジャヴュ déjà vu〕」は、夢の中では特別の意味を持っている。その場所はいつでも母の性器[Genitale der Mutter] である。事実「すでに一度そこにいたことがある 」ということを、これほどはっきりと断言しうる場所がほかにあるであろうか。
|
|
Es gibt Träume von Landschaften oder Örtlichkeiten, bei denen im Traume noch die Sicherheit betont wird: Da war ich schon einmal. Dieses » déjà vu« hat aber im Traum eine besondere Bedeutung. Diese Örtlichkeit ist dann immer das Genitale der Mutter; in der Tat kann man von keiner anderen mit solcher Sicherheit behaupten, daß man »dort schon einmal war«.
|
|
(フロイト『夢解釈』第6章「夢の仕事」E、1900年)
|
指を突っ込んだ記憶はないが、黒々とした濃い陰毛の奥を覗いた記憶はある、母がぐっすり寝ているときに。前後関係、つまり幼稚園の集団登園の初日の前か後かは判然としないが。
|
これ以外にも私はスタンダール的出来事をもっている。
|
|
私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。〔・・・〕
ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を飛び越えた。
|
|
Ma mère, madame Henriette Gagnon, était une femme charmante et j’étais amoureux de ma mère.(…)
Un soir, comme par quelque hasard on m’avait mis coucher dans sa chambre par terre, sur un matelas, cette femme vive et légère comme une biche sauta par-dessus mon matelas pour atteindre plus vite à son lit.
|
|
(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』la Vie de Henry Brulard, autobiographie de Stendhal.)
|
ひょっとして鎮守の森はこの出来事に関わるのかもしれない。
なにはともあれ、《幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ。 die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben》(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)であり、鎮守の森の奥に関して、強度をもった出来事があったには間違いない。《出来事がトラウマ的性質を獲得するのは唯一、量的要因の結果としてのみである[das Erlebnis den traumatischen Charakter nur infolge eines quantitativen Faktors erwirbt]》(フロイト『モーセと一神教』3.1.3 、1939年 )
|
われわれの研究が示すのは、神経症の現象 (症状)は、或る出来事と刻印の結果だという事である。したがってそれを病因的トラウマと見なす。Es hat sich für unsere Forschung herausgestellt, daß das, was wir die Phänomene (Symptome) einer Neurose heißen, die Folgen von gewissen Erlebnissen und Eindrücken sind, die wir eben darum als ätiologische Traumen anerkennen.〔・・・〕
この初期幼児期のトラウマはすべて五歳までに起こる。
ätiologische Traumen …Alle diese Traumen gehören der frühen Kindheit bis etwa zu 5 Jahren an〔・・・〕
|
|
問題となる出来事は、おおむね完全に忘却されている。記憶としてはアクセス不能で、幼児型健忘の期間内にある。その出来事は、「隠蔽記憶」Deckerinnerungenとして知られる、いくつかの分割された記憶残滓へと通常は解体されている。Die betreffenden Erlebnisse sind in der Regel völlig vergessen, sie sind der Erinnerung nicht zugänglich, fallen in die Periode der infantilen Amnesie, die zumeist durch einzelne Erinnerungsreste, sog. Deckerinnerungen, durchbrochen wird.〔・・・〕
このトラウマは自己身体の出来事 もしくは感覚知覚の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。〔・・・〕
|
|
このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]
これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに取り込まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる。[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen] (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)
|
要するに鎮守の森は不変の個性刻印に関わる隠蔽記憶であるだろう、私の人生においてこれだけ反復強迫するのだから。
フロイトはフェティッシュに関しても固着と隠蔽記憶用語を使って似たようなことを言っている。
|
すべての「初期の」性的刻印に関して精神分析は新しい病因的固着[pathologische Fixierungen ]が、五歳あるいは六歳以降に起こりうるかを疑っている。
alle diese »frühzeitigen« Sexualeindrücke… während die Psychoanalyse daran zweifeln läßt, ob sich pathologische Fixierungen so spät neubilden können.
真の解釈は、フェティッシュの発生の最初の記憶の背後に、埋没され忘れられた性的発達の最初の記憶の段階があり、それがフェティッシュによって表象される。フェティッシュは、「隠蔽記憶」のようにして、この記憶の残滓と沈殿物を表象するのである。つまり幼児期の最初の数年のこの段階に、フェティシズムとフェティッシュの選択が構成的に決定づけられる。
Der wirkliche Sachverhalt ist der, daß hinter der ersten Erinnerung an das Auftreten des Fetisch eine untergegangene und vergessene Phase der Sexualentwicklung liegt, die durch den Fetisch wie durch eine »Deckerinnerung« vertreten wird, deren Rest und Niederschlag der Fetisch also darstellt. Die Wendung dieser in die ersten Kindheitsjahre fallenden Phase zum Fetischismus sowie die Auswahl des Fetisch selbst sind konstitutionell determiniert.. (フロイト『性理論三篇』第1篇、1905年、1920年注)
|
|
|
これを受け入れるなら、フェティシズムとはトラウマへの固着、つまり強度をもった自己身体の出来事への固着に関わることになる。
|
フェティッシュに関してこうもある。
|
|
確かに、我々がフェティッシュの起源を観察した時、原初の欲動代理は二つ部分に分割され、一方は抑圧を受け、他方はまさにこの密接な結びつきのために理想化の運命を辿る。Ja, es kann, wie wir's bei der Entstehung des Fetisch gefunden haben, die ursprüngliche Triebrepräsentanz in zwei Stücke zerlegt worden sein, von denen das eine der Verdrängung verfiel, während der Rest, gerade wegen dieser innigen Verknüpftheit, das Schicksal der Idealisierung erfuhr. (フロイト『抑圧』1915年)
|
|
ラカンは次のように言っている(フロイトが上で言っている「欲動代理」はラカンが次に言っている表象代理ーー厳密には「欲動の表象代理」ーーと等価である[参照])。
|
|
スクリーンはたんに現実界を隠蔽するものではない。スクリーンはたしかに現実界を隠蔽しているが、同時に現実界を示してもいる。L'écran n'est pas seulement ce qui cache le réel, il l'est sûrement, mais en même temps il l'indique. 〔・・・〕
そして我々はたんに隠蔽記憶(スクリーンメモリー)を扱っているだけではなく、幻想と呼ばれる何ものかを扱っている。ーー我々はフロイトが表象と呼んだものではなく、表象代理を扱わねばならない。
et là bien sûr nous n'avons pas affaire qu'au « souvenir écran », – nous avons affaire à ce quelque chose qui s'appelle le fantasme, – nous avons affaire à ce terme que FREUD appelle non pas représentation mais représentant de la représentation, (Lacan, S13, 18 Mai 1966 )
|
|
ジャック=アラン・ミレールの注釈を掲げておこう。
|
|
幻想は現実界のスクリーン(覆い)だけではない。同時に現実界の窓である。幻想には二つの価値がある。スクリーンと窓である。
le fantasme n'est pas seulement écran, écran du réel. Il est en même temps fenêtre sur le réel. Et il y a là deux valeurs du fantasme […] entre l'écran et la fenêtre.(J.-A. MILLER, - 2/2/2011)
|
|
これを受け入れるなら、鎮守の森は現実界の窓でもあるのだろう。
|
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)
|
|
母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16 Décembre 1959)
|
|
モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20 Janvier 1960)
|
|
《毛皮とビロードはーーずっと以前から推測されていたようにーー、垣間見られた陰毛の光景への固着である[Pelz und Samt fixieren –; wie längst vermutet wurde –; den Anblick der Genitalbehaarung]》(フロイト『フェティシズム』1927年)ーー私には毛皮にもビロードにも趣味はないが、森の鞘にはオオアリである、皆さんと同じように。
|
|
妻とギー兄さんは森の鞘に入って山桜の花盛りを眺めた日、その草原の中央を森の裂け目にそって流れる谷川のほとりで弁当を食べた。〔・・・〕そしさて帰路につく際、ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。〔・・・〕
――ギー兄さんと森の鞘で、と青年はいって、アハッとヒステリックな具合に笑った、とオユーサンは不思議そうにつたえたが、鞘は「在」で女子性器の隠語なのである。あんたがヤッテおるのを見たが、ああいう場所でタワケられては、村が困る。あんたからわしに相談したいなら乗らんでもないが…… そうでなければ、今日の晩方から4Hクラブの集まりがあるのやし、そこで仲間の連中みなに話してみなならんが!
オユーサンはよくわからぬ外国語を聞き流すように、立ちどまりもせず頭と日傘をかしげて青年をすりぬけた。しかし二、三歩あるくうちに、一瞬すべてが理解されて、悪寒におそわれるほどの怒りのとりこになった。 (大江健三郎『懐かしい年への手紙』1987年)
|
というわけで鎮守の森の記憶のそばに置かれている黄金は森の鞘だ、と私は思うようになっている。
いずれにせよーー鎮守の森に限らずーー森の穴や樹々の葉のゆらめく光景に私はひどく弱いのである。例えば『ゴダールの決別(Hélas pour moi)』の冒頭近くの次のような映像もしばしばレミニサンスする。
以上、もちろんこの蚊居肢ブログは日記である。
|
日記というものは嘘を書くものね。私なんぞ気分次第でお天気まで変えて書きます。(円地文子ーー江藤淳『女坂』解説より)
|
|
|