私は10年ぐらい前からグァルネリ弦楽四重奏団によるフォーレOp121アンダンテに偏愛があるんだが、今までグァルネリのベートーヴェンカルテットはほとんど聴いたことがなかった。このところようやくいくつかを集中して聴いているんだが、とってもいい。
彼らの演奏で聴くと、フォーレがいかに深くベートーヴェンから学んだかがいっそうよくわかる気がしてくる。かつての定番アルバン・ベルク四重奏団やらシェーンベルク四重奏団よりも(彼らの演奏は今の私には強度が強すぎる箇所がある)。
今のところそれが最もよくわかるのは次の順番のセットだ。
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Beethoven String Quartet No. 14 in C-Sharp Minor, Op. 131: I. Adagio ma non troppo e molto espressivo · Guarneri Quartet |
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Fauré: String Quartet in E Minor, Op. 121: II. Andante · Guarneri Quartet |
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Beethoven String Quartet No. 13 in B-Flat Major, Op. 130: V. Cavatina. Adagio molto espressivo · Guarneri Quartet |
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いかにもアルベルチーヌだ、 |
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それにしても、アルベルチーヌのなかで生きていたのは、私にとっては、一日のおわりの海だけではなかった、それはまた、ときには、月夜の砂浜にまどろんでいる海だった。(プルースト『囚われの女』) |
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あるいはこっちかも。 |
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この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫[ larves obscures alors indistinctes] のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。このような二つの状態のあいだに起きたのは、まぎれもない質の変化ということだった。それとはべつに、いくつかの楽節によっては、はじめからその存在ははっきりしていたが、そのときはどう理解していいかわからなかったのに、いまはどういう種類の楽節であるかが私に判明するのであった……(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳) |
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水母はその幾つも重なった裾に急激に波を打たせ、それを何回となく、異様な、みだらな執拗さを以て上下するのを繰返しつつ、遂にはエロスの夢と変ずる。と、突然、振動するひだ飾りと、切り取られた唇のごとき衣装のすべてをかなぐり棄てて、逆立ちをし、彼女自身を狂おしいばかりに剥きだしに示す。(ヴァレリー『ドガに就いて』) |
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| Luchino Visconti, L'innocente |
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とはいえ時に「弾ぜるような感覚」をもたらしてくれるのはやはりフォーレのアンダンテだ、私にとって。 |
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男根が子宮口に当り、さらにその輪郭に沿って奥のほうへ潜りこんで貼り付いたようになってしまうとき、細い柔らかい触手のようなものが伸びてきて搦まりついてくる場合が、稀にある。小さな気泡が次々に弾ぜるような感覚がつたわってくる(吉行淳之介『暗室』1970年) |
ーー《芸術や美へのあこがれは、性欲動の歓喜の間接的なあこがれである[Das Verlangen nach Kunst und Schönheit ist ein indirektes Verlangen nach den Entzückungen des Geschlechtstriebes ]》(ニーチェ遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )
ベートーヴェンのテンポの速い楽章もーーこれはフォーレとは関係なしにーーとってもいい。
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Beethoven String Quartet No. 13 in B-Flat Major, Op. 130: II. Presto · Guarneri Quartet |
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Beethoven String Quartet No. 14 in C-Sharp Minor, Op. 131: II. Allegro molto vivace · Guarneri Quartet |
こっちのほうはなんだろうな、
恋の闇 ヒメは小声で ここだわな
早くして 仕舞いなと ヒメひんまくり
をしいこと まくる所をヒメ 呼ばれ
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若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト「ゲルマントのほう」) |
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けやきの木の小路を よこぎる女のひとの またのはこびの 青白い 終りを ーー西脇順三郎『禮記』 |
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グァルネリはグールドがペアを組んだレナード・ローズを入れてシューベルトの弦楽五重奏もやっている。 |
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Schubert: String Quintet in C Major, D. 956: II. Adagio · Leonard Rose · Guarneri Quartet |
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この曲はルービンシュタインがこよなく惚れ込んだ「天国への入り口」であり、葬式に流してくれと奥さんに依頼したようだ。
ーー《これまでのところ、人間の最高の祝祭は生殖と死であるに違いない[So weit soll es kommen, daß die obersten Feste des Menschen die Zeugung und der Tod sind! ]》(ニーチェ遺稿、1882 - Frühjahr 1887)


