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2026年4月15日水曜日

正常性バイアスとパニック現象

 

「正常性バイアス」に閉じこもっている人たちに警鐘を鳴らしてきたDr.パパ@DrKarte 氏が福島原発事故の政府対応と今のナフサ不足のそれを対照させている。





ーー実際、Wikipediaの「正常性バイアス」の項を見ると津波に逃げ遅れた人々の事例が上がっている。

それ以外にも、これは高市政権に限らず、我々は東北大震災において官僚や政界へ信頼できないということを学んだ筈である。


3・11以後、何かが違う。何かが起こるかもしれないという感覚がある。日本の自然は恐ろしい顔をむきだした。原子炉の状況もチェルノブイリまでは行くまいと思っていたが、どうも違うらしい。日替わりで情報が時には根本から変わり、何が何だかわからなくなることがしばしばあった。〔・・・〕


私はどこか日本の学者を信頼して、それが体験の基礎になっていた。官僚も、政界も、はてなと思うことはあっても、終戦の時と同じく、列車が走り、郵便が着くという初歩的なことで基盤にゆえなき信頼感があったのであろうか。私が20余年続けたこのコラムを休むのは、その代わりに考えきれない重しのようなものが頭の中にあるからである。 (中井久夫『清陰星雨』「信頼の基盤が揺らぐ」神戸新聞 2012年3月24日)



ここではもうひとつだけDr.パパ@DrKarte 氏のツイートを貼り付けておこう。






最近では、パニック現象よりも正常性バイアスのほうがいっそう問題視されているようだ、


◼️Wikipedia「正常性バイアス」よりーー、

人間の心は、予期せぬ出来事に対してある程度は「鈍感」にできている。日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、心が過剰に反応して疲弊しないために必要なはたらきで、ある程度の限界までは、正常の範囲として処理する心のメカニズムが備わっていると考えられる。

古い防災の常識では、災害に直面した人々の多くは、たやすくパニックに陥ってしまうものと信じられており、災害に関する情報を群衆にありのまま伝えて避難を急かすようなことは、かえって避難や救助の妨げになると考えられてきた。ところが後世の研究では、実際にパニックが起こるのは希なケースであるとされ、その状況が前例から外れることはないと思い込むため、逃げ遅れの原因となる。むしろ災害に直面した人々がただちに避難行動を取ろうとしない原因の一つとして、正常性バイアスなどの心の作用が注目されている。


もちろん、後にはパニックが起こりうるのだろうが。



パニック現象[Phänomen der Panik]は軍隊集団でもっともよく研究された。このような集団が崩壊するときにパニックが生ずる。


パニックの特質は、上官の命令がすこしもきかれなくなったり、だれもが他人のことをかまわずに自分のことだけを心配する点にある。相互の結びつきはやぶれ、巨大な正体のわからぬ不安が解き放たれる。〔・・・〕

危険の大きさに責めに帰するわけにはいかない。なぜならば、いまパニックにおちいっているそのおなじ軍隊が、おなじほどの危険、いや、もっと大きい危険を立派に切り抜けてきたからである。またパニックが脅威をあたえる危険と比例しないで往々ごく些細な機縁で爆発するということこそまさにパニックの本質なのである。


パニックの不安にかられた個人が、自分自身のことを配慮しようとするとき、彼は同時に、それまで危軽視させていた情動的結びつき[affektiven Bindungen]が終ったという真相を証明している。危険に一人でたちむかうことになって、危険を過大に評価するであろう。したがって事情は次のようになる。パニックのさいの不安は、集団のリビドー的な構造の弛緩を前提とするものであって、その弛緩にたいする当然の反応であり、けっしてその逆ではない。つまり、集団のリビドー的な結びつき[Libidobindungen der Masseが危険にたいする不安のために消滅してしまうわけではない。〔・・・〕


「パニック」という語を集団的不安の意味にとるならば、さらに類推をすすめることができよう。個人の不安は、危険の大きさによって生ずるか、感情の結びつき(リビドー備給)[Gefühlsbindungen (Libidobesetzungen)]の喪失によって生ずるか、のいずれかである。後者の場合は神経症的不安[neurotischen Angst]の場合である。同様に、パニックも、すべての個人を襲う危険の増加によって起こるか、あるいは集団を統合している感情の結びつきの消失によって起こる、そして後者の場合は、神経症的不安に類似している。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)


正常性バイアスとは集団の情動的結びつきをキープすることから(も)生じるのかも。とすればSNS はそれに大いに役立っているのだろうよ。ツイッター村のクラスタ内で、「湿った瞳を交わし合い頷き合う」ことに専念していれば、リビドーの結びつきは保ちやすいだろうからな。真の問題はそれが崩壊したときだがね。


いずれにせよ、リビドー結合が消失し、さらに飢えたら、究極的にはこうなるからな 

一個のパンを父と子が死に物狂いでとりあいしたり、母が子を捨てて逃げていく。私は疲れきっていた。虚脱状態だった。火焔から逃げるのにふらふらになっていたといっていい。何を考える気力もなかった。それに、私は、あまりにも多くのものを見すぎていた。それこそ、何もかも。たとえば、私は爆弾が落ちるのを見た。…渦まく火焔を見た。…黒焦げの死体を見た。その死体を無造作に片づける自分の手を見た。死体のそばで平気でものを食べる自分たちを見た。高貴な精神が、一瞬にして醜悪なものにかわるのを見た。一個のパンを父と子が死に物狂いでとりあいしたり、母が子を捨てて逃げていくのを見た。人間のもつどうしようもないみにくさ、いやらしさも見た。そして、その人間の一人にすぎない自分を、私は見た。(『小田実全仕事』第八巻六四貢)



・・・したがって、卑近な例では次の教訓がある。


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例えば次の事態が起こる。

私の世代、つまり敗戦の時、小学五、六年から中学一年生であった人で「オジイサンダイスキ」の方が少なくない…。明治人の美化は、わが世代の宿痾かもしれない。私もその例に漏れない。大正から昭和初期という時代を「発見」するのが実に遅かった。祖父を生きる上での「モデル」とすることが少なくなかった。〔・・・〕


最晩年の祖父は私たち母子にかくれて祖母と食べ物をわけ合う老人となって私を失望させた。昭和十九年も終りに近づき、祖母が卒中でにわかに世を去った後の祖父は、仏壇の前に早朝から坐って鐘を叩き、急速に衰えていった。食料の乏しさが多くの老人の生命を奪っていった。二十年七月一八日、米艦船機の至近弾がわが家をゆるがせた。超低空で航下する敵機は実に大きく見えた。祖父は突然空にむかって何ごとかを絶叫した。翌日、私に「オジイサンは死ぬ。遺言を書き取れ」と言い、それから食を絶って四日後に死んだ。(中井久夫「Y夫人のこと」初出1993年『家族の深淵』所収)



検索したら次の如く「正しく」言ってる人もいるーー、