あのね、最近はあまり触れないようにしてるんだが、死の二年間のラカンはこう言ったんだよ。 |
ボロメオ結びの隠喩は、最もシンプルな状態で、不適切だ。あれは隠喩の乱用だ。というのは、実際は、想像界・象徴界・現実界を支えるものなど何もないから。私が言っていることの本質は、性関係はない ということだ。性関係はない。それは、想像界・象徴界・現実界があるせいだ。これは、私が敢えて言おうとしなかったことだ。が、それにもかかわらず、言ったよ。はっきりしている、私が間違っていたことは。しかし、私は自らそこにすべり落ちるに任せていた。困ったもんだ、困ったどころじゃない、とうてい正当化しえない。これが今日、事態がいかに見えるかということだ。きみたちに告白するよ。 |
La métaphore du nœud borroméen à l'état le plus simple est impropre. C'est un abus de métaphore, parce qu'en réalité il n'y a pas de chose qui supporte l'imaginaire, le symbolique et le réel. Qu'il n'y ait pas de rapport sexuel c'est ce qui est l'essentiel de ce que j'énonce. Qu'il n'y ait pas de rapport sexuel parce qu'il y a un imaginaire, un symbolique et un réel, c'est ce que je n'ai pas osé dire. Je l'ai quand même dit. Il est bien évident que j'ai eu tort mais je m'y suis laissé glisser |
(Lacan, S26, La topologie et le temps, 9 janvier 1979) |
つまり結び目としてのサントームを事実上否定したんだよ、 | ||||
私がサントームΣとして定義したものは、象徴界、想像界、現実界を一つにまとめることを可能にするものだ…サントームの水準でのみ…関係がある…サントームがあるところにのみ関係がある。 | ||||
j'ai défini comme le sinthome [ Σ ], à savoir le quelque chose qui permet au Symbolique, à l'Imaginaire et au Réel, de continuer de tenir ensemble,…au niveau du sinthome … il y a sinthome…, c'est-à-dire qu'il y a rapport. | ||||
(Lacan, S23, 17 Février 1976) | ||||
ーー前回後半に記した現代仏主流ラカン派のサントーム解釈は当然、晩年のラカンの告白を受け止めてのものだよ。もちろん何とかサントーム概念を救う試みは別にあるがね[参照]。(もうひとつ、これも付け加えておこうか、➤「「症状を聞く」から「症状を読む」(サントームを読む)へ」) で、日本のラカニアンのサントーム注釈はどうなってるんだい? 例えば最近こういうのがでたらしいが➤ 『詳解 ラカン『サントーム』ジョイス・結び目・精神病』( 原和之、荒谷大輔、福田大輔、今関裕太 2025年)。逆に教えてほしいね、連中がラカンの晩年の告白をどう扱っているのかを。まさかいまどき無視してるわけじゃないだろうから。 ま、ここではラカンの若い友人だったソレルスの「小説のなかでの」次の記述を掲げとくからご参考までに。
ジャック=アラン・ミレールは、名誉毀損の訴訟まで起こしたルディネスコとは異なり、ソレルスには終始敬意を払ってるからな。 |


