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2018年12月15日土曜日

三プラス四

ボロメオの環を色を塗り込んでいるのは奇妙だと言ってくる人がいるが、ボクはヘンなオッサンだからしようがない。もっともそうしているのは次のことを示すためだ。

ボロメオの環において、想像界の環は現実界の環を覆っている。象徴界の環は想像界の環を覆っている。だが象徴界自体は現実界の環に覆われている。これがラカンのトポロジー図形の一つであり、多くの臨床的現象を形式的観点から理解させてくれる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE 、DOES THE WOMAN EXIST? 、1999年)

ーーあんなものは色を塗らなかったらたいして役に立たない。たとえば、そのあたりのラカン派ボウヤたちはまったく利用できていない。

それ以外にも、ボロメオ図とは「三プラス四」的思考法である。ラカンに厳密に則らなくても何も問題ない。柄谷行人がボロメオを使って、カントの仮象、現象(形式)、物自体を想像界、象徴界、現実界として思考しているようにすればよいのである。ボクはこれらの前提のもとにフロイト版ボロメオを示している。




「三プラス四」的思考法とは、次の考え方である。

おそらく、ミラーの法則がいうとおり、成人は七プラスマイナス二の「チャンク」を使いこなしながら思索することができると一般にいうことができるのではないだろうか。1962年に発見されたこの心理法則は深く脳生理学に根ざしているように思われる。非常に多くの例を挙げることができるが、精神医学に例をとれば一般にユースフルな分類は七分類である。それぞれの分類に七つの下位分類を設けることによって、四十九分類、それにさらに七つ以下の下位分類を設けることによって三四三分類をこなすことができる。たとえば抗精神病薬は多数あるが、私は長らくこの方法を意識的に用いて全部を記憶することができていた。それは三〇〇よりも少し少ないからである。

⋯⋯⋯圧倒的大多数の性格分類は三ないし四分類である。ヒポクラテスから始まって、現代の血液型分類に及ぶ。男女を掛けて八つになる。やはりミラーの法則に従っている。性格が四大別されるという科学的根拠はないので、四大別は微妙な差を認識する際の「脳の都合」であると私は考える。⋯⋯⋯

実際、ミラーの法則は平等な七というより、四+三、あるいは四×二という内部分化があると私は思う。市内電話番号が前者であり、後者が精神分裂病の分類、八綱弁証、性格分類などである。七つ道具でもメインの四つとサブの三つがあると思う。逆の場合すなわち三+四も同程度によく見られるところである。(中井久夫「記憶について」1996年)

中井久夫が上に指摘していること以外に、例えば色とは「三プラス四」である。事実、色はボロメオの環を使って示されることが多い。通常版の「色ボロメオ」は、ラカンの色の使い方とは右回り、左回りの相違はあるが、上の青を下に持ってくればそのままボクが示しているボロメオの環の色使いである。




もしお好きなら色ボロメオをそのまま使って提示してもよろしい。

下の左側のボロメオ図は「人はみなナルシシストである」で示した図だが、紫色、空色、黄色の場には、それぞれ母、父、栓ーー栓とは、無あるいは去勢の埋め草=フェティッシューーを入れれば、色までピッタンコである。





「紫色した母」とは、幼児の欲動興奮を飼い馴らすための、母による「身体の上への刻印」(原埋め草)であり、「空色した父」とはファルスの意味作用である。

「ファルスの意味作用 Die Bedeutung des Phallus」とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus。(ラカン、S18, 09 Juin 1971 )

で、エスとは冥界にきまってんである。

この色的思考は、例えばゴダールにおいて顕著である。彼はかつては水色や黄色をそれなりの頻度で使用した。




齢を重ねてゆくにつれて、冥界の青を基盤とした赤と緑の人となる。84歳の「さらば言語よ」のゴダールは、空色などもはや滅多に使用せず、深い青や藍色を多用するようになっている。

たとえば1982年52歳の作品『パッション』では、こうだった。





でも2014年の『さらば、愛の言葉よ』--あれは原題は「さらば、言語よAdieu au Langage 」である。言語とおさらばすればファルスの意味作用色である空色とおさらばするのは必然であるーーこの84歳の作品『さらば言語よ’』においては、冥界色がきわだっている。





実にゴダールは論理的なのである。さすが真のイマージュの人である。

確かにイマージュとは幸福なものだ。だがそのかたわらには無が宿っている。そしてイマージュのあらゆる力は、その無に頼らなければ、説明できない。(ゴダール『(複数の)映画史』「4B」)

この『さらば言語よ』では、死の色黒に空無の色である白をまぜて、黒に抵抗しようとする試みさえ見られる。そして傍らには母の色紫。





でもこういうことはニブそうなボウヤたちにはわからなくてもしょうがないよ、だからなんたら言ってこなくてよろしい。