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2019年2月2日土曜日

荒地詩人という外傷性戦争神経症者たち

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

ーー鮎川信夫「死んだ男」

⋯⋯⋯⋯

わたくしの手許にある『現代の詩と詩人』(有斐閣選書、1974年)の第一章「現代詩の出発」は、鮎川信夫、北村太郎、黒田三郎、田村隆一、中桐雅夫、三好豊一郎、会田綱雄、秋谷豊の詩が二編ずつ掲げられて、別の詩人による詩への注釈、そして詩人自身による自らの詩への言葉がある。この「現代詩の出発」の詩人たちは、会田綱雄、秋谷豊を除いて、『荒地』グループの詩人だちである。

たとえば最初の鮎川信夫の項は、「「繋船のホテルの朝の歌」について」と「遥かなるブイ」が掲げられ、鮎川信夫の「我が詩を語る」がある。

(「「繋船のホテルの朝の歌」について」を書いたときは)「ひどい消耗期にあたっていた」というのは本当である。戦争から辛うじて生き残ったとはいえ、精神的にも肉体的にも、そのさまざまな後遺症に悩まされていて、生きることに悪戦苦闘しながら生死の境をさまようような毎日であった。戦争から生き残った友人の何人かが、この時期に自殺したり病死したりしたけれど、どんな慰めの言葉もなく、手を束ねて見守るほかはなかった。(鮎川信夫「我が詩を語る」)

二番目の詩人北村太郎の項は、「雨」と「ながい夜」の詩が掲げられて、黒田三郎によって注釈がなされている。

毎晩
おなじことだ
遠いゆめと
近いゆめの記憶が重なり
すこしたって、闇のなかで
ぼくの来し方行く末が
散らばった骨のように白々と見えてくる。

ーー北村太郎「ながい夜」

個人的な感慨をつけ加えると、戦争が終わったとき、北村太郎はいっきょに二十代で老人になってしまったのではないかという印象を否むことができない。死に直面した人間、多くの仲間を失った人間は、もし、一メートル右にいたら、自分も死んだかもしれないという偶然を、決してないがしろにすることはできないだろう。たとえ、それから一年たち、あるいは二十年たっても、それは同じことである。(黒田三郎ーー北村太郎「ながい夜」注釈)


わたくしは荒地詩人たちの作品をほとんど読んできていないので、あまりエラそうなことを言えない身だが、上に引用した鮎川信夫の詩や言葉とともに、黒田三郎のいう《死に直面した人間、多くの仲間を失った人間は、もし、一メートル右にいたら、自分も死んだかもしれないという偶然を、決してないがしろにすることはできないだろう》という言葉は、18才のときに読んで、いまでも強く印象に残ったままである。


黒田三郎は次のようなことを歌ったり言ってきた詩人である。

かつて僕は死の海を行く船上で
ぼんやり空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと坐っていたことがある

ーー黒田三郎「もはやそれ以上」『ひとりの女に』所収、1954年


それは滴り落ちる
こわれた水道の水のように
せきとめてもせきとめても滴り落ちる
すべてが徒労に帰したあとで
僕はつぶやいてみる
別に何事もないのだ
僕はつぶやいてみる
別に何事もないのだ
僕はつぶやいてみる

ーー黒田三郎「微風のなかで」『渇いた心』、1957年



「過ぎ去ってしまってからでないと
それが何であるかわからない何か
それが何であったかわかったときには
もはや失われてしまった何か」
いや そうではない それだけではない
「それが何であるかわかっていても
みすみす過ぎ去るに任せる外はない何か」

ーー黒田三郎「ただ過ぎ去るために」『渇いた心』、1957年


僕に何ができるというのか
何が
僕がゆっくり歩くのは
ひとつの風景のなか
僕の胸にあざやかによみがえるのも
それはひとつの風景なのか
悲しみと怒りにふるえて僕が語るとき
それはひとつのお話、つまらないお話

ーー黒田三郎「それはひとつのお話」『ある日ある時』、1968年

一篇の詩を書き上げる過程でさえ、それほど作者には明瞭ではない。詩は「つくる」ものであると同時に、「できる」ものである。極端な場合は、うっかり洩らしたひとりごとに似ている場合もある。筋肉に随意筋と不随意筋があるように、われわれの精神の内部には、われわれの自由になる部分とそうでない部分とがある。そして詩はむしろわれわれの自由にならない部分に多く依存しているようである。(黒田三郎「生活の意味・詩の意味」『内部と外部の世界』所収、1977年)
僕自身、自分自身の卑小さに慣れ、自分のみじめさに慣れて、毎日毎日の日常生活を送っている。だが、どんなにそれに慣れて、その中に没し切っていても、突然匕首のように僕を刺すものがある。電車のなかでぼんやりしているとき、パチンコに現をぬかしているとき、それは突然僕の心の中で電光のように閃く。(黒田三郎「生活の意味・詩の意味」1977年)

ーー「せきとめてもせきとめても滴り落ちる」、「僕の胸にあざやかによみがえる風景」、「突然匕首のように僕を刺すもの」等々、これらは戦争体験におけるトラウマ的光景ーー勿論それだけに限定はされないだろうがーーに先ずかかわると憶測しうる。

そして《詩はむしろわれわれの自由にならない部分に多く依存している》とは、フロイト的精神分析においては、心的秩序外部、快原理の彼岸にある領域を示している。

これらのあり方は、黒田三郎だけではない。一般化の危険を敢えて犯せば、「荒地」の詩人たちはおおむね、「外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosen」者たちである、とわたくしは考えている。

フロイトは反復強迫を例として「死の本能(死の欲動)」を提出する。これを彼に考えさえたものに戦争神経症にみられる同一内容の悪夢がある。…これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年)

この反復強迫=死の欲動を、晩年のラカンは次のように表現した。

現実界は書かれることを止めない。 le Réel ne cesse pas de s'écrire (ラカン、S 25, 10 Janvier 1978)
私は、問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。ラカン、S23, 13 Avril 1976)

すなわち、「トラウマは書かれることを止めない」である。一般に誤解されているが、死の欲動とは反復強迫のことであり、トラウマの周りの強迫的な循環運動のことである。





ラカンはこのトラウマを穴 trou(trou-matisme =トラウマ)とも呼び、フロイトは原抑圧(=トラウマへのリビドー固着)による「引力 Anziehung」と呼んだ(参照)。

欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

反復強迫の最も基本的なメカニズムは、トラウマ的出来事による過剰度の身体的な欲動興奮が、その過剰度ゆえに「心的なもの」に移行されないことにより、《暗闇の中に im Dunkeln 異者 fremd のようなものとして蔓延るwuchert》(フロイト、1915)ことによる。

フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(ミレール 、J.-A. MILLER, - Année 2011 - Cours n° 3 - 2/2/2011 )
現実界は、同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。(ラカン、S11、12 Février 1964)


上に、「荒地」の詩人たちはおおむね、「外傷性戦争神経症 traumatischen Kriegsneurosen」者たちだとしたが、もちろん彼らのなかにも、戦争体験の強度の差はあるだろう。

外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。

しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

かつまた、トラウマ的出来事の刻印が残存しやすいかそうでないかという資質の差もあるに違いない。荒地の詩人たちの大半は戦前から詩人として活動していた人たちである。

私にとって、詩とは言語の徴候的使用であり、散文とは図式的使用である。(中井久夫「私と現代ギリシャ文学」1991年)

中井久夫の定義を受け入れるなら、詩人とは徴候感覚の鋭敏な人たちであり、トラウマの身体の上への刻印(=欲動固着)に翻弄されやすい資質の人たちである。

すこしまえ「幼少の砌の傷への固着」をめぐって記したが、そこでの表現を援用すれば、あれら戦争体験を経た荒地グループ詩人たちは「戦争の砌の傷への固着」の詩人たちであるだろう。こういったことがまったく言われてこなかったのは、トラウマ研究の不備によるところが大きいとわたくしは思う。日本では(実質的に)阪神大震災後の中井久夫による精力的なトラウマ研究以降でしかない。

もちろん「戦争の砌の傷への固着」は荒地詩人だけではない。

姦淫された少女のほそい股が見せる焼かれた屋根(吉岡実「死児」)

ぼくがクワイがすきだといったら
ひとりの少女が笑った
それはぼくが二十才のとき
死なせたシナの少女に似ている

ーー吉岡実「恋する絵」

或る別の部落へ行った。兵隊たちは馬を樹や垣根につなぐと、土造りの暗い家に入って、チャンチュウや卵を求めて飲む。或るものは、木のかげで博打をす る。豚の奇妙な屠殺方法に感心する。わたしは、暗いオンドルのかげに黒衣の少女をみた。老いた父へ粥をつくっている。わたしに対して、礼をとるのでもなけ れば、憎悪の眼を向けるでもなく、ただ粟粥をつくる少女に、この世のものとは思われぬ美を感じた。その帰り豪雨にあい、曠野をわたしたちは馬賊のように疾 走する。ときどき草の中の地に真紅の一むら吾亦紅が咲いていた。満人の少女と吾亦紅の花が、今日でも鮮やかにわたしの眼に見える。〔……〕反抗的でも従順 でもない彼ら満人たちにいつも、わたしたちはある種の恐れを抱いていたのではないだろうか。〔……〕彼らは今、誰に向って「陰惨な刑罰」を加えつつあるのか。

わたしの詩の中に、大変エロティックでかつグロテスクな双貌があるとしたら、人間への愛と不信をつねに感じているからである。(吉岡実『わたしの作詩法?』)

⋯⋯⋯⋯

以下(何度もくり返し引用している文だが)、フロイトによるトラウマへのリビドー固着をめぐる反復強迫の記述をふたつ掲げておく。

外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的事故の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。

これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況 traumatische Situation を反復するwiederholen。また分析の最中にヒステリー形式の発作 hysteriforme Anfälle がおこる。この発作によって、患者は外傷的状況のなかへの完全な移行 Versetzung に導かれる事をわれわれは見出す。

それは、まるでその外傷的状況を終えていず、処理されていない急を要する仕事にいまだに直面しているかのようである。…

この状況が我々に示しているのは、心的過程の経済論的 ökonomischen 観点である。事実、「外傷的」という用語は、経済論的な意味以外の何ものでもない。

我々は「外傷的(トラウマ的 traumatisch)」という語を次の経験に用いる。すなわち「外傷的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、トラウマへの固着、無意識への固着 1916年)
トラウマの影響は二種類ある。ポジ面とネガ面である。

ポジ面は、トラウマを再生させようとする Trauma wieder zur Geltung zu bringen 試み、すなわち忘却された経験の想起、よりよく言えば、トラウマを現実的なものにしようとするreal zu machen、トラウマを反復して新しく経験しようとする Wiederholung davon von neuem zu erleben ことである。さらに忘却された経験が、初期の情動的結びつきAffektbeziehung であるなら、誰かほかの人との類似的関係においてその情動的結びつきを復活させることである。

これらの尽力は「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫Wiederholungszwang」の名の下に要約される。

これらは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。…

ネガ面の反応は逆の目標に従う。忘却されたトラウマは何も想起されず、何も反復されない。我々はこれを「防衛反応 Abwehrreaktionen」として要約できる。その基本的現れは、「回避 Vermeidungen」と呼ばれるもので、「制止 Hemmungen」と「恐怖症 Phobien」に収斂しうる。これらのネガ反応もまた、「個性刻印 Prägung des Charakters」に強く貢献している。

ネガ反応はポジ反応と同様に「トラウマへの固着 Fixierungen an das Trauma」である。それはただ「反対の傾向との固着Fixierungen mit entgegengesetzter Tendenz」という相違があるだけである。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)

→「ビルマで死んだ友の眼の色