2019年2月12日火曜日

大戦末期と平成末期の債務残高の「同じGDP比率」

以下、「悲劇はこういうことです」には直接にはかかわらないとはいえ、間接的にはそれに引き続く内容である。

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1944年の国民所得(GNP)は、569億円とあるが、GDP(GNP+海外移転)換算したら697億円になるそうだ。

終戦前年の1944年における政府債務残高は約1520億円あり、同年のGDPは697億円だった。政府債務のGDP比は約220%と計算されるが、これは現在の日本とほぼ同じ水準である。(加谷珪一「戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法」2016.8.15

次は直近の財務省資料より。



たしかに、大戦末期と平成末期の債務残高は「同じGDP比率」である(この資料におけるGNPとGDPの相違は不明)。

岡崎哲二氏も同じことを言っている。

日本の政府債務残高は2012年度末に991兆6000億円に達した。名目GDP(国内総生産)の208%にあたり、太平洋戦争末期における政府債務残高のGNP(国民総生産)比204%に匹敵する。現在の日本は、近代日本経済史上2回目の深刻な累積政府債務に直面していることになる。

 1回目にあたる終戦時の累積政府債務は、そのほとんどが戦後の急激かつ大幅なインフレによって実質的に解消された。1944年から49年にかけて、日本の卸売物価は約90倍となった。その結果、政府債務残高は49年度末にはGNP比で19%まで低下したのである。これは、直接・間接に政府への債権を持っていた国民にインフレによる事実上の税を大規模に課すことで、累積した政府債務を一挙に縮小させたことを意味する。(「日本政府債務、深刻度は大戦末期並み」東京大学大学院経済学研究科教授 岡崎 哲二 2018/1/23


で、やっぱりインフレ課税しかないらしい。

増税が難しければ、インフレ(による実質的な増税)しか途が残されていない恐れがあります。(池尾和人「このままでは将来、日本は深刻なインフレに直面する」2015)

大前研一曰くの「平成の徳政令」がなされるか否かは、時期的にはちょっとムリかも。でも新しい年号そうそうに「浩宮」徳政令あったらいいのにな、東京オリンピック前にさ。

最悪の事態を避けるためには、政府が“平成の徳政令”を出して国の借金を一気に減らすしかないと思う。具体的な方法は、価値が半分の新貨幣の発行である。今の1万円が5000円になるわけだ。

 そうすれば、1700兆円の個人金融資産が半分の850兆円になるので、パクった850兆円を国の借金1053兆円から差し引くと、残りは200兆円に圧縮される。200兆円はGDPの40%だから、デフォルトの恐れはなくなる。そこから“生まれ変わって”仕切り直すしか、この国の財政を健全化する手立てはないと思うのである。

 その場合、徳政令はある日突然、出さねばならない。そして徳政令を出した瞬間に、1週間程度の預金封鎖を発動しなければならない。そうしないと、日本中の金融機関で取り付け騒ぎが起きてしまうからだ。(大前研一「財政破綻を避けるには「平成の徳政令」を出すしかない」2016.11)


ま、いずれにせよ時間の問題なんだから、みなさん準備しとかなくちゃな。

インフレ課税というのは、インフレを進める(あるいは放置する)ことによって実質的な債務残高を減らし、あたかも税金を課したかのように債務を処理する施策のことを指す。具体的には以下のようなメカニズムである。

 例えばここに1000万円の借金があると仮定する。年収が500万円程度の人にとって1000万円の債務は重い。しかし数年後に物価が4倍になると、給料もそれに伴って2000万円に上昇する(支出も同じように増えるので生活水準は変わらない)。しかし借金の額は、最初に決まった1000万円のままで固定されている。年収が2000万円の人にとって1000万円の借金はそれほど大きな負担ではなく、物価が上がってしまえば、実質的に借金の負担が減ってしまうのだ。

 この場合、誰が損をしているのかというと、お金を貸した人である。物価が4倍に上がってしまうと、実質的に貸し付けたお金の価値は4分の1になってしまう。これを政府の借金に応用したのがインフレ課税である。

 現在、日本政府は1000兆円ほどの借金を抱えているが、もし物価が2倍になれば、実質的な借金は半額の500兆円になる。この場合には、預金をしている国民が大損しているわけだが、これは国民の預金から課税して借金の穴埋めをしたことと同じになる。実際に税金を取ることなく、課税したことと同じ効果が得られるので、インフレ課税と呼ばれている。(加谷珪一「戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法」2016.8.15


でもさっきの財務省図表をつくづく眺めていると、大戦時と平成末はカーブ度がちょっと違うな。新しい元号になっても、「徳政令」までもうすこし時間はあるかもよ、10年程度はな。





政府の借金は何らかの形で清算しなければならない。財政に魔法の杖はなく、最終的には「国民から税金で徴収する」か、「インフレという形で預金者から強制的に預金を奪う」かのどちらかとなる。終戦後の日本の場合、その両方によって、一連の負債を清算した。


【封鎖された預金に対して最高で90%の税金】
 当初、政府は預金封鎖と財産税によって国民から税金を徴収することで債務を返済しようとした。これは銀行預金を封鎖して預金を引き出せないようにし、封鎖した預金に対して財産税をかけるという仕組みである。

 預金封鎖は1946年2月に突然、実施された。金融緊急措置令によって、銀行の預金は生活に必要な最小限の金額を超えて引き出すことができなくなった。また、日本銀行券預入令が施行され、銀行に預けない貨幣が無効となった。最低限度を引き出す場合には、すべて新円となったので、旧円をタンス預金することは不可能であった。

 政府はその9カ月後、財産税法を施行し、封鎖された預金に対して財産税を徴収している。預金が少ない人は25%程度だったが、高額の預金を保有している人は、最高で90%にも達する税金が課せられた。

 財産税と同時に実施された戦時補償特別税(戦争に関する政府からの支払いの踏み倒し)と合わせると、5年間で487億円が徴収された。1946年の一般会計予算は1189億円だったので、複数年にまたがっているとはいえ、予算額の4割に達する金額を徴収した計算になる。現在の金額では約40兆円程度ということになるだろう。当時の国富は約4000億円しかなかったので、国全体の資産の1割以上を政府が強制徴収したわけである。


【財産税では足りずインフレ課税も】
 一連の財産課税によって多くの人が資産を失うことになった。だが、財産税で処理できたのは債務全体の3分の1程度であり、膨大な債務を清算するにはまだ足りない。政府は望むと望まざるとにかかわらず、「インフレ課税」による債務整理を選択する以外、道がなくなってしまった。(同、加谷珪一)


いやあ、おどしてごめんな、こんなのまがおでシンジルナヨ。きっと別の風がふくさ。

そもそも《0.2〜0.3マルクだった新聞が1923年11月には80億マルクに暴騰する勢い》なんてことはぜったいないからさ。せいぜい、《出社前に近くのスターバックスに寄り、3800円のカフェモカを飲むのが私のささやかな贅沢だ》程度だよ(橘玲「シミュレーション 20XX年ニッポン「財政破綻」」)。ハイパーインフレとはいいがたいな。ツマンネエ!


■栗原裕一郎による書評:武田知弘著「世界恐慌からいち早く立ち直ったのはナチスだった!」

第一次大戦に敗戦したドイツはベルサイユ条約により植民地全部と領土の一部を取り上げられたうえ、1320億マルク(330億ドル)の賠償金を請求された。ドイツの当時の歳入20年分くらいの額であり、毎年の支払いは歳入の2分の1から3分の1に及んだ。

 そんなもの払えるわけがない。札をガンガン刷ったドイツは、1922年から1923年にかけてハイパーインフレーションに見舞われてしまうことになる。どのくらいハイパーだったかというと、0.2〜0.3マルクだった新聞が1923年11月には80億マルクに暴騰する勢いだったそうである(村瀬興雄『ナチズム』中公新書)。

 ハイパーインフレによってもっとも打撃を受けたのは中産階級や労働者、農民だった。一方で、外貨でドイツの資産を買ったりしてボロ儲けする者もいたのだが、そのなかにはユダヤ人実業家が少なからず含まれていた。その怨みもユダヤ人迫害の一因となる。(栗原裕一郎「世界恐慌からいち早く立ち直ったのはナチスだった!」『ヒトラーの経済政策』武田 知弘著、書評)


このドイツの事例によって「ゼロ発作」が蔓延した。

通貨に書かれたあまりに法外な数字がひとびとのあいだにひきおこした一種の神経症にたいして、当地ドイツの医師たちが考案した名前は「ゼロ発作」あるいは「数字発作」というものであった。何兆という数字を数え上げるために必要な労力にすっかり打ちひしがれ、多数の男女が階級をとわずこの「発作」におそわれたことが報告されている。これらの人々は、ゼロ数字を何行も何行も書き続けていたいという衝動にとらわれているということ以外には、明らかに正常な人間なのである。(ニューヨーク・タイムスAP発、1923年10月30日、J.K.Galbraith,money 1975からの引用)