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2019年7月27日土曜日

人はみな自閉症である

やあ、飽きたって言ったけどさ、ようするに当たり前のことなんだな、「ラカン派の自閉症」で示したことは。結局、人には身体と心(身体の心的外被)があるということに収斂する(真珠貝の法話)。

これは、ニーチェがすでにいっていることだ。

君はおのれを「我 Ich」と呼んで、このことばを誇りとする。しかし、より偉大なものは、君が信じようとしないものーーすなわち君の肉体 Leibと、その肉体のもつ大いなる理性 grosse Vernunft なのだ。それは「我」を唱えはしない、「我」を行なうのである die sagt nicht Ich, aber thut Ich。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部「肉体の軽侮者」1883年)
 
ラカン派的には、しばしば掲げているミレールのセミネール2005を補足して示せばこういうことだ。



象徴界は言語である。Le Symbolique, c'est le langage(ラカン、S25, 10 Janvier 1978)
ファルスの意味作用 Die Bedeutung des Phallusとは実際は重複語 pléonasme である。言語には、ファルス以外の意味作用はない il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus。(ラカン, S18, 09 Juin 1971)
私が「メタランゲージはない」と言ったとき、「言語は存在しない」と言うためである。《ララング》と呼ばれる言語の多種多様な支えがあるだけである。il n'y a pas de métalangage, c'est pour dire que le langage, ça n'existe pas. Il n'y a que des supports multiples du langage qui s'appellent « lalangue » (ラカン、S25, 15 Novembre 1977)
言語はレトリックであるDie Sprache ist Rhetorik。というのは、 言語はドクサdoxaのみを伝え、 何らエピステーメepistemeを伝えようとはしないからである。(ニーチェ、講義録 Nietzsche: Vorlesungsaufzeichnungen (WS 1871/72 – WS 1874/75)

左項と右項の境界にはなんやらがあるとは言え、基本的には人はファルス人格じゃなかったら、身体的な自閉症があるということだ。

自閉症は主体の故郷の地位にある。l'autisme était le statut natif du sujet (MILLER, Orientation lacanienne III, 07/03/2007)

つまりファルス人格の底には、かならず自閉症がある。もし言語秩序(ファルス秩序)を疑うならーーニーチェ的にいえば、父なる「神の死」を言うならーー、かならず自閉症的なものがあらわれる。これはフロイト用語なら精神神経症と現勢神経症。




現勢神経症 aktualneuroseは(…)精神神経症 Psychoneurosenに、「身体側からの反応 somatische Entgegenkommen」を提供する。現勢神経症は刺激性の(興奮を与える)素材を提供する。そしてその素材は「心的に選択された、心的外被 psychisch ausgewählt und umkleidet」を与えられる。従って一般的に言えば、精神神経症の症状の核ーー真珠の核の砂粒 das Sandkorn im Zentrum der Perleーーは身体的-性的発露 somatischen Sexualäußerung から成り立っている。(フロイト『自慰論』Zur Onanie-Diskussion、1912年)
現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核Kernであり、先駆け Vorstufe である。リビドー 興奮 libidinöse Erregung による身体の上への影響 Beeinflussungen des Körpersがある。…このリビドー興奮は、「母なる真珠の実体の層もった真珠貝を包む砂粒 Sandkorns, welches das Muscheltier mit den Schichten von Perlmuttersubstanz 」の役割を果たす。(フロイト『精神分析入門』第24章、1917年)

ファルス(精神神経症)とは身体的なものの飼い馴らしなのであってーー《ファルスの意味作用とは厳密に享楽の侵入を飼い馴らすことである。La signification du phallus c'est exactement d'apprivoiser l'intrusion de la jouissance (J.-A. MILLER, Ce qui fait insigne,1987)》--、最後のフロイトの言い方なら次の通り。

すべての神経症的障害の原因は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動 widerspenstige Triebe が自我による飼い馴らし Bändigung に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期の外傷体験 frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumenを、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。

概してそれは二つの契機、素因的なもの konstitutionellen と偶然的なもの akzidentellenとの結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかに外傷は固着を生じやすくTrauma zur Fixierung führen、精神発達の障害を後に残すものであるし、外傷的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態normalen Triebverhältnissenにおいてもその障害が現われる可能性は増大する。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章)

この飼い馴らしという言葉自体、ニーチェにある。

私は、ギリシャ人たちの最も強い本能 stärksten Instinkt、力への意志 Willen zur Macht を見てとり、彼らがこの「欲動の飼い馴らされていない暴力 unbändigen Gewalt dieses Triebs」に戦慄するのを見てとった。(ニーチェ「私が古人に負うところのもの Was ich den Alten verdanke」1888年)

 多神教社会で欲動が飼い馴らされないのは当然だよ、多神教社会=非ファルス社会なのだから。

ま、なにはともあれフロイト・ラカン派的には、「自閉症」という語を神秘化したらダメだってことだな。自閉症とはもともと自己身体状態という意味なのだから。