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2019年8月27日火曜日

未来の大衆にたいして最も残酷な「庶民のための政治」

「庶民のための大衆に根ざした政治」とは、未来の大衆にたいして最も残酷な政治である。

ここではまず柄谷行人と池尾和人による二文を掲げてみよう。

ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001年)
簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(池尾和人「経済再生 の鍵は不確実性の解消」2011)

いまここにいる大衆の「公共的合意」に基づいて、まだ生まれていない、文句も言えない将来世代の大衆に負担を押しつけるのが、「庶民のための大衆に根ざした政治」である。そうではないだろうか? 

たとえば近未来の20年後に限ってもよい。




この数字は、よほどのことがないとーーたとえば災害や流行病などによる大量死者の発生、移民の急増などがないとーー確定的である。高齢者1人あたりを支える未来の労働人口の減少が意味するのは、未来世代は現在にくらべて格段の高負担を強いられるということである。

2040年には70歳まで働いてもらうとしても、高齢者1人あたりを支える労働人口は、2020年度並にしかならない。小泉進次郎が、「75歳以上を高齢者に」と言っているのは、この事態にもとづいている(参照)。

この未来の他者を無視するのが、「(現在の)庶民のための大衆に根ざした政治」である。

この話を現在20歳の若者たちを例にとって遡及的に言ってもよい。〈あなたがた〉は20年前の「庶民のための大衆に根ざした政治」の犠牲者だと感じたことはないのだろうか?

そしてその〈あなたがた〉が、もし「(現在の)庶民のための大衆に根ざした政治」を願うなら、さらなる「財政的幼児虐待」の実践者にほかならない。

財政的幼児虐待 Fiscal Child Abuse」とはボストン大学経済学教授ローレンス・コトリコフ Laurence Kotlikoff の造りだした表現で、 日本でも一部で流通しているが、現在の世代が社会保障収支の不均衡などを解消せず、多額の公的債務を累積させて将来の世代に重い経済的負担を強いることを言う。

この政治は過去から綿々と続いているのである。選挙で票を獲得することがなによりも優先する政治家たちは、今ここにいる大衆にとっての「口当たりのいい政策」を示さざるをえない。

かつてノーベル経済学賞をとったブキャナンらが言ったように、政治家は構造的に次の立場にある。

現実の民主主義社会では、政治家は選挙があるため、減税はできても増税は困難。民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない。(ブキャナン&ワグナー著『赤字の民主主義 ケインズが遺したもの』)


とはいえ日本の状況は世界的にみても突出している。





多くの人はこの事態にいまだ「選択的非注意」をしている。





より長期的に眺めれば、太平洋戦争末期と平成末期は、債務残高が「同じGDP比率」になってしまっている。




戦争もないのにこの有様である。この事態への対処なしの政治家などというものは、本来ありえない。もっとも黒田日銀によるインフレ施策はあった。インフレにより借金の実質額を減少させるという施策である。それが不幸なことに失敗してしまったのが、この現在である。

インフレ課税というのは、インフレを進める(あるいは放置する)ことによって実質的な債務残高を減らし、あたかも税金を課したかのように債務を処理する施策のことを指す。具体的には以下のようなメカニズムである。

 例えばここに1000万円の借金があると仮定する。年収が500万円程度の人にとって1000万円の債務は重い。しかし数年後に物価が4倍になると、給料もそれに伴って2000万円に上昇する(支出も同じように増えるので生活水準は変わらない)。しかし借金の額は、最初に決まった1000万円のままで固定されている。年収が2000万円の人にとって1000万円の借金はそれほど大きな負担ではなく、物価が上がってしまえば、実質的に借金の負担が減ってしまうのだ。

 この場合、誰が損をしているのかというと、お金を貸した人である。物価が4倍に上がってしまうと、実質的に貸し付けたお金の価値は4分の1になってしまう。これを政府の借金に応用したのがインフレ課税である。

 現在、日本政府は1000兆円ほどの借金を抱えているが、もし物価が2倍になれば、実質的な借金は半額の500兆円になる。この場合には、預金をしている国民が大損しているわけだが、これは国民の預金から課税して借金の穴埋めをしたことと同じになる。実際に税金を取ることなく、課税したことと同じ効果が得られるので、インフレ課税と呼ばれている。(加谷珪一「戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法」2016.8.15)

………

現在の日本国内政治における核心問題は次の5つである。

①高齢者一人当たり労働人口の減少
②社会保障給付費の増大
③国家債務の膨張
④労働人口における負担増の必然
⑤人口減少国で継続的経済成長は不可能


①③④については上に示したとおりである。


「②の社会保障給付費の増大」については、「①の高齢者一人当たり労働人口の減少」による必然である。





平成30年度(2018年度)の歳入・歳出構成は次のとおり。






いま示した二つのデータを基にして、社会保障費を中心にポイントだけを抜き出して示せば次のとおり。




税収のうち何を増やそうがかまわない。だが税収総額を増やさねば、国家債務はふえつづけて、未来の大衆に過剰な負担を押しつけることになる。

公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである(ジャック・アタリ、国家債務危機 )

税収を増やすとは、国民負担率を上げるということに収斂する。




世界一の少子高齢化社会で、この国民負担率の低さはありえない。このありえないことを放置せざるをえなかった主要な原因のひとつとして、「左翼ポピュリズム政治」がある。他方、保守政党は選挙に勝つために、その左翼ポピュリズム政治の「未来の大衆にたいする破廉恥な残酷さ」に対抗しえなかった「途轍もないふしだらさ」をもってきた。


踏み絵のすすめ」等でいくらか詳述したなかからポイントのみを抜き出しておこう。


◼️社会保障の問題
社会保障は原因が非常に簡単で、人口減少で働く人が減って、高齢者が増えていく中で、今の賦課方式では行き詰まります。そうすると給付を削るか、負担を増やすかしかないのですが、そのどちらも難しいというのが社会保障問題の根本にあります。(小峰隆夫「いま一度、社会保障の未来を問う」2017年)

◼️中福祉・高負担しかありえない
日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。(財政と社会保障 ~私たちはどのような国家像を目指すのか~ 大和総研理事長武藤敏郎、 2017年1月18日)
国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。(武藤敏郎「日本の社会保障制度を考える」2013年)


■歴史的に特異な状況にある日本財政
日本財政の構造を見ると、国の税収が一般会計歳出の6割しか賄えないという弱い税収基盤の上に成り立っている。2018年度における国の当初予算では、一般会計歳出総額97.7兆円のうち、33.7兆円分が国債の新規発行によって賄われている。税収(印紙収入を含む)の見積もりは59兆円であり、その他の運用収入等と合わせても64兆円に過ぎない。

一方、歳出構成の推移をみると、高齢化等に伴う社会保障費の増加と、公債残高の累増に伴う国債費の増加というわが国が抱える構造的問題が大きいことが分かる。実際、18年度予算に占める割合では、社会保障関係費が33.7%(32.9兆円)で最大のシェアを占め、国債の償還・利払い費(23.8%、23.3兆円)、地方交付税交付金等(15.9%、15.5兆円)と合わせて7割強となっている。次世代への投資である文教及び科学振興費や公共事業費など、その他の政策的経費は3割弱しかない。(小黒 一正「歴史的に特異な状況にある日本財政:中長期の社会保障の姿を示せ」2018.4.2)


現在の国内政治の核心的問題の五つ、

①高齢者一人当たり労働人口の減少
②社会保障給付費の増大
③国家債務の膨張
④労働人口における負担増の必然
⑤人口減少国で継続的経済成長は不可能


このなかでここまで触れなかったのは「⑤人口減少国で継続的経済成長は不可能」である。わたくしが依拠するのは次の観点であり、これは奇跡でもないかぎり「限りなく正しい」と考える。


◼️経済成長の困難性
アメリカの潜在成長率は 2.5%弱であると言われているが、アメリカは移民が入っていることと出生率が高いことがあり、生産年齢人口は年率1%伸びている。日本では、今後、年率1%弱で生産年齢人口が減っていくので、女性や高齢者の雇用を促進するとしても、潜在成長率は実質1 %程度に引き上げるのがやっとであろう。

丸めた数字で説明すれば,、アメリカの人口成長率が+1%、日本は-1%、生産性の伸びを日米で同じ 1.5%と置いても日本の潜在成長率は 0.5%であり、これをさらに引き上げることは難しい。なお過去 20年間の1人当たり実質GDP 成長率は、アメリカで 1.55%、日本は 0.78%でアメリカより低いが、これは日本においては失われた 10 年といった不況期があったからである。

潜在成長率の引上げには人口減少に対する強力な政策が必要だが、出生率を今すぐ引き上げることが出来たとしても、成人して労働力になるのは20年先であり、即効性はない。今すべき政策のポイントは、人口政策として移民政策を位置づけることである。現在は一時的に労働力を導入しようという攻策に止まっているが、むしろ移民として日本に定住してもらえる人材を積極的に受け入れる必要がある。(『財政赤字・社会保障制度の維持可能性と金融政策の財政コスト』深尾光洋、2015年)