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2019年9月13日金曜日

福祉国家維持可能という妄想


バブル最盛期に中井久夫はこう予言している。

一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。(中井久夫「引き返せない道ーー産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え」初出1988年『精神科医がものを書くとき』所収)

予言は当たっているだろうか?

ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わる

ーーこれはもちろんイケル。




こっちのほうはどうか?

平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。

ーー不幸にも(?)まだこっちのほうは起こっていない。いや「福祉の低下と医療努力の低下」はそろそろ起こりつつあるのかも。

 いずれにせよ日本だけではなく先進諸国全体でいっても、20世紀後半に一時的に可能であった福祉国家を維持できると考えるのは妄想である。

現在の政治は、福祉国家が現行のシステム内部でまだ維持可能だという思いこみで成り立っている。…だが次の事態は瞭然としている。それは、福祉国家が可能であった数十年を経た現在、…われわれはある種の経済非常事態が恒常的になった時代に突入していることである。この時代は、以前にもましてはるかに冷酷な財政引き締め策、給付の削減、医療教育サービスの減少、そしてこれまで以上に不安定な雇用の脅威をもたらしている。

… 現下の危機は早晩解消され、ヨーロッパ資本主義がより多くの人びとに比較的高い生活水準を保証し続けるだろうといった希望を持ち続けることは馬鹿げている。いまだ現在のシステムが維持可能だと考えている者たちはユートピアン(夢見る人)にすぎない。(ジジェク、A PERMANENT ECONOMIC EMERGENCY、2010年)

いつまでも夢をみていてはダメなのである。

なによりもまず世界は高齢化している。




ーー日本だけではない。驚くべきなのは「ひとりっこ政策」のあった中国の伸び率である。

どうしてこの高齢化比率でいままでのシステムが維持できよう?

ま、もちろん日本は当面、その際立った先進国だが。



で、ここから言いたいことについては、……口を閉ざしておこう・・・

平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。(中井久夫「引き返せない道ーー産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え」初出1988年『精神科医がものを書くとき』所収)

中井久夫ってのはじつに冷徹だね。姥捨て山共同体とは言っていないが、高齢者を中心とした家庭菜園コミューンぐらいは考えているのだろうな。

今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。二一世紀の家族のあり方は、何よりもまず二一世紀がどれだけどのように困難な時代かによる。それは、どの国、どの階級に属するかによって違うが、ある程度以上混乱した社会では、個人の家あるいは小地区を要塞にしてプライヴェート・ポリスを雇って自己責任で防衛しなければならない。それは、すでにアメリカにもイタリアにもある。

困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。

現在のロシアでは、広い大地の家庭菜園と人脈と友情とが家計を支えている。そして、すでにソ連時代に始まることだが、平均寿命はあっという間に一〇歳以上低下した。高齢社会はそういう形で消滅するかもしれない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」2000年初出『時のしずく』所収)


高齢者を中心とした家庭菜園アソシエーションしかないよ、すくなくとも2050年ごろにはね。つまりいま40歳のひとだったら70歳になったときにはね。いまから農業勉強しといたほうがいいんじゃないかね、そうしたら将来とってもモテルよ。

もし協同組合的生産 genossenschaftliche Produktion が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義制度 kapitalistische System にとってかわるべきものとすれば、もし連合した協同組合組織諸団体 Gesamtheit der Genossenschaften が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断のアナーキー beständigen Anarchieと周期的変動 periodisch wiederkehrenden Konvulsionenを終えさせるとすれば、諸君、それはコミュニズム、「可能なるmögliche」コミュニズム Kommunismus 以外の何であろう。(マルクス『フランスにおける内乱(Der Bürgerkrieg in Frankreich)』1891年)

ーー柄谷はこの「可能なるコミュニズム」を「アソシエーションのアソシエーション」と言い換えている。実際、前段には《自由でアソシエートした労働への変容 freien und assoziierten Arbeit verwandelt》とある。