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2019年10月13日日曜日

けやきの木の小路をよこぎる女のひと

小津の遺作『秋刀魚の味』ってのは、最近はじめ観たのだけど、21歳の岩下志麻ってのはとってもいいね。





原節子でもいいけどさ。けなすと小津ファンに怒られるからそう言っておくけど、ちょっとボクの趣味からするとオモイんだよな。




でもこうやって何度も観ていると、鼻の奥がキュンとなるね、ああ、オッカサン!

ま、いわゆる同じ構図のなかの女たち、その小津効果だけどさ。でもボクには幼少期、ほとんど同じ光景が毎日あったんだ。オッカサンはときにオバアチャンだったけど。


けやきの木の小路を
よこぎる女のひとの
またのはこびの
青白い
終りを

(⋯⋯)
路ばたにマンダラゲが咲く

ーー西脇順三郎『禮記』


蚊居肢散人はあれらを「行ったり来たりする神効果」と呼んでいる。

母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、S5、15 Janvier 1958)
問題となっている「女というもの La femme」は、「神の別の名 autre nom de Dieu」である。その理由で「女というものは存在しない elle n'existe pas」のである。(ラカン、S23、18 Novembre 1975)





荷風のいう「路地の向こう効果」でもいいけど。

路地を通り抜ける時試に立止つて向うを見れば、此方は差迫る両側の建物に日を遮られて湿つぽく薄暗くなつてゐる間から、彼方遥に表通の一部分だけが路地の幅だけにくつきり限られて、いかにも明るさうに賑かさうに見えるであらう。殊に表通りの向側に日の光が照渡つてゐる時などは風になびく柳の枝や広告の旗の間に、往来の人の形が影の如く現れては消えて行く有様、丁度灯火に照された演劇の舞台を見るやうな思ひがする。夜になつて此方は真暗な路地裏から表通の灯火を見るが如きは云はずとも又別様の興趣がある。川添ひの町の路地は折々忍返しをつけた其の出口から遥に河岸通のみならず、併せて橋の欄干や過行く荷船の帆の一部分を望み得させる事がある。此の如き光景は蓋し逸品中の逸品である。(永井荷風『路地』)