中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災ひとつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。他山の石はチェコ、アイスランド、オランダ、せいぜい英国であり、決して中国や米国、ロシアではない。(中井久夫「日本人がダメなのは成功のときである」1994初出『精神科医がものを書くとき』所収)
「風をみながら絶えず舵を切る」、そうせざるをえない国民性だからやむえないのだろうな、日本に真の知識人なるものがほとんど存在しないのは。
たとえば彼らが必ず訪れる第二次関東大震災を「否認」して生きていてもまったく責められることではない。
日本という国は地震の巣窟だということ。大水、噴火、飢餓なども、年譜を見ればのべつ幕なしでしょう。この列島に住み、これだけの文明社会を構築してしまったという問題があります。(古井由吉「新潮45」2012 年1 月号 )
以下、何年かまえに読んで面白いな、と感じたジャン=ピエール・デュピュイの文を邦訳している方がいるからそれを掲げておくよ。
ある時期以降のジジェクは親しい友人関係にあるデュピュイの考え方をくどいぐらい再三提示しているがーーたとえばデュピュイ概念「プロジェクトの時間 Le temps du projet」、「不動点 point fixe」等ーーここではその考え方の派生物としての「自分ではそれと知らずに、終わりに最も近づいている瞬間にこそ、終わりから最も遠く離れていると信じ込んでしまう」メカニズムの指摘である。
■ジャン=ピエール・デュピュイ「極端な出来事を前にしての合理的選択」pdfより
デュピュイはこの小論でこの奇妙な現象についていくつかの事例を掲げているが、ここでは二つだけ掲げておく。
数多くのカタストロフィーが示している特性とは、次のようなものです。すなわち、私たちはカタストロフィーの勃発が避けられないと分かっているのですが、それが起こる日付や時刻は分からないのです。私たちに残されている時間はまったくの未知数です。このことの典型的な事例はもちろん、私たちのうちの誰にとっても、自分自身の死です。けれども、人類の未来を左右する甚大なカタストロフィーもまた、それと同じ時間的構造を備えているのです。私たちには、そうした甚大なカタストロフィーが起ころうとしていることが分かっていますが、それがいつなのかは分かりません。おそらくはそのために、私たちはそうしたカタストロフィーを意識の外へと追いやってしまうのです。もし自分の死ぬ日付を知っているなら、私はごく単純に、生きていけなくなってしまうでしょう。
これらのケースで時間が取っている逆説的な形態は、次のように描き出すことができます。すなわち、カタストロフィーの勃発は驚くべき事態ですが、それが驚くべき事態である、という事実そのものは驚くべき事態ではありませんし、そうではないはずなのです。自分が否応なく終わりに向けて進んでいっていることをひとは知っていますが、終わりというものが来ていない以上、終わりはまだ近くない、という希望を持つことはいつでも可能です。終わりが私たちを出し抜けに捕らえるその瞬間までは。
私がこれから取りかかる興味深い事例は、ひとが前へと進んでいけばいくほど、終わりが来るまでに残されている時間が増えていく、と考えることを正当化する客観的な理由がますます手に入っていくような事例です。まるで、ひとが終わりに向かって近づいていく以上のスピードで、終わりのほうが遠ざかっていくかのようです。
自分ではそれと知らずに、終わりに最も近づいている瞬間にこそ、終わりから最も遠く離れていると信じ込んでしまう、完全に客観的な理由をひとは手にしているのです。驚きは全面的なものとなりますが、私が今言ったことはみな、誰もがあらかじめ知っていることなのですから、驚いたということに驚くことはないはずです。時間はこの場合、正反対の二つの方向へと向かっています。一方で、前に進めば進むほど終わりに近づいていくことは分かっています。しかし、終わりが私たちにとって未知のものである以上、その終わりを不動のものとして捉えることは本当に可能でしょうか? 私が考える事例では、ひとが前へと進んでも一向に終わりが見えてこないとき、良い星が私たちのために終わりを遠く離れたところに選んでくれたのだ、と考える客観的な理由がますます手に入るのです。(ジャン=ピエール・デュピュイ「極端な出来事を前にしての合理的選択」)
デュピュイはこの小論でこの奇妙な現象についていくつかの事例を掲げているが、ここでは二つだけ掲げておく。
例としてはじめに、これは正確な例ですけれども、一定の年齢における平均余命、つまり、その年齢の人物があと何年生きるかの平均的な数値について取り上げてみたいと思います。年齢を重ねていくに連れて残された時間は減っていく、というふうに言いたくなるのですが、それは必ずしも正しくありません。ある年齢の子どもの平均余命、つまり、その子どもにまだ 生きるべきものとして残されている年数の平均値は、年齢が進むに連れて増えていくことがあり得るのです。生まれてから数年間の危険の多い段階を子どもが乗り切った、という事実は、その子どもの体質が丈夫であり、つまりは長生きをするはずであることの前兆です。知識(年を取りながら否応なく終わりに近づいていく)と推論(ひとが終わりに近づく以上のスピードで終わりが遠のいていく)とが、命の綱を正反対の方向へと引っ張るのです。これとまったく同じことが、脳血管障害やある種のガンといった疾病の生存者にも広く確認できます。発端となった事象から時間がたてばたつほど、再発の可能性は小さくなり、まだ生きられる年数の平均値は、ある程度までは増加していくのです。
今度は金融危機の事例で考えてみましょう。経済学者たちによれば、今日の危機を招いたメカニズムはおおよそ解明されています。後から振り返ってみれば、すべてのことに、あるいはほとんどすべてのことに説明が付くのです。にもかかわらず、危機は全世界を出し抜けに襲ったのでした。2007 年の夏のあいだ、さらには 2008 年の春の時点でも、アメリカの抵当権付債券の市場部門における非常に局所的な危機が、世界の金融システムの全体を根底から揺るがすことになるなどと、誰が想像したでしょうか? したがって、たいへんな不意打ち的影響があったのですが、こうした不意打ちが起こったという事実そのものは不意を打つものではありませんでしたし、ともかくも、そうではなかったはずなのです。バブルの崩壊は、起こらないということはあり得なかったのですから。(ジャン=ピエール・デュピュイ「極端な出来事を前にしての合理的選択」)
……
本来、ここでデュピュイの核心的思考法、「プロジェクトの時間 Le temps du projet」や、未来のディストピア的「不動点 point fixe」等を示すべきかもしれないけど、彼の考え方は、日本ではまったく機能しないんじゃないか。世界的にだってそれほど注目されているわけではないし。
共感の共同体の大衆と同様、「風をみながら絶えず舵を切る」ばかりに汲々としている似非知識人の国日本で言ったって無駄だから、ま、すくなくともいまは提示するのをやめとくよ。根にはヘーゲルの遡及性の考え方があって、これがジジェクと意気投合した理由なんだろうけど。
図だけ示しておこうか。
直近のものは、ジジェク組編集の2018年の小論がある。
さきほどもいったけど基本的にはジジェクの解釈するヘーゲルだな、デュピュイのこの思考方法は。
これは当時においては、何よりもまず1989年に「歴史の終わり」を主張したフランシス・フクヤマ批判である。
ところでこのように一般的には悪評の高いヘーゲル の「ミネルバの梟は夕暮れに飛ぶ die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug.」とは、本来、「ミネルバの梟は夕暮れになってようやく飛び始める」と訳されるべき言葉だ。
ジジェクはヘーゲルの「ミネルヴァの梟」を擁護するために、1990年の『斜めから見る』にて、いくつかの例を出しているが、ここではそのうちのひとつを掲げる。
その事例とは、コンウェイ一家の運命を描く三幕物の劇、J.B.ブリーストリイ J. B. Priestley』の『時とコンウェイ家Time and the Conways』(1937)についてである。
語りの順序を反転させることによって、徹底した宿命論が強調されているのか?、《すべては最初から決っているのに、登場人物たちは操り人形のように自分では何も知らず、すでに書かれた筋書きの中で最後まで自分の役を演じきるのだ、と》。いやそうではない、とジジェクは強調する。
ここでジジェクが言っていることは、これまたデュピュイが何度か示している次の図が示そうとしていることである。
柄谷行人は後年、このジジェクのヘーゲルの読み方を受け入れるようになる。
ここからがジャン=ピエール・デュピュイの本来の出番だけれど、ま、ヤメトクヨ、ながくなるだけじゃない。それだけじゃなく、きしてもムダだから。
二つの用語法の相違だけ示しておこう(ときにデュピュイはジジェクのいうほど厳密でないと感じるときがあるが、英訳と仏文の相違なのかもしれない)
アトラクターは、たとえば次のような形でデュピュイは図示している。
やっぱり長くなっちまったな、じゃあついでにもうひとつ。
図だけ示しておこうか。
直近のものは、ジジェク組編集の2018年の小論がある。
さきほどもいったけど基本的にはジジェクの解釈するヘーゲルだな、デュピュイのこの思考方法は。
柄谷行人はヘーゲル主義者を批判する文脈で1990年にこう言っている。
ヘーゲルはたとえば「ミネルバの梟が夕暮れに飛ぶ」と言った。それは世界史の終わりには全部が了解されうるということですが、これを逆転すれば、ミネルバの梟を飛ばせば世界史は終わるとも言えるわけです。…ヘーゲルにとって、哲学とは結果(終わり)から見ることです。そして、出来事を終わりからみることはそれを目的(エンド)から見ることである。だけど、それは結局いつもあったこと(現実性)を合理化することにしかなりません。ヘーゲルは「現実的なものは合理的である」と言ったけれどもね。(柄谷行人 岩井克人対談集『終わりなき世界』1990年)
ところでこのように一般的には悪評の高いヘーゲル の「ミネルバの梟は夕暮れに飛ぶ die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug.」とは、本来、「ミネルバの梟は夕暮れになってようやく飛び始める」と訳されるべき言葉だ。
哲学が、その灰色に灰色を重ねてさらに塗り重ねるとき、そのとき生命の姿はすでに年老いたものになってしまっている。そして、灰色の中に灰色を塗ることによっては生命の姿は自らを若返らせることはできず、むしろそうではなく、ただ認識されるのみである。ミネルバの梟は夕暮れになってようやく飛び始めるのである。
Wenn die Philosophie ihr Grau in Grau malt, dann ist eine Gestalt des Lebens alt geworden, und mit Grau in Grau lässt sie sich nicht verjüngen, sondern nur erkennen; die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug.(ヘーゲル『法の哲学Grundlinien der Philosophie des Rechts』1821年)
ジジェクはヘーゲルの「ミネルヴァの梟」を擁護するために、1990年の『斜めから見る』にて、いくつかの例を出しているが、ここではそのうちのひとつを掲げる。
その事例とは、コンウェイ一家の運命を描く三幕物の劇、J.B.ブリーストリイ J. B. Priestley』の『時とコンウェイ家Time and the Conways』(1937)についてである。
第一幕は二十年前の出来事で、夕食のテーブルを囲んで家族全員がそれぞれ熱心に将来の計画を立てている。第二幕は現在、すなわち第一幕の二十年後のことで、計画が挫折して意気消沈した家族がまた一同に会し、テーブルを囲んでいる。第三幕ではまた二十年前の出来事に戻り、家族は第一幕に引き続いて夕食のテーブルを囲んでいる。
この時間的な操作によって、観客は、戦慄をおぼえるとまでは言わないが、気が滅入る。だが、衝撃的なのは第一幕から第二幕への移行(夢と希望にみちた計画から悲しい現実へ)ではなく、第二幕から第三幕への移行である。人生の計画を無慈悲にも打ち砕かれた人びとの暗い現実を見た後で、二十年前の彼らの姿、すなわち前途に何が待ち受けているかを知らずに夢と希望を抱いている姿を見るのは、人をなんともやりきれない気分にさせる。(ジジェク『斜めから見る』1990年)
語りの順序を反転させることによって、徹底した宿命論が強調されているのか?、《すべては最初から決っているのに、登場人物たちは操り人形のように自分では何も知らず、すでに書かれた筋書きの中で最後まで自分の役を演じきるのだ、と》。いやそうではない、とジジェクは強調する。
細かく分析してみると、出来事のこうした逆配列によって与えられる戦慄の背後に、宿命論とは違うもう一つ別の論理、すなわち「私はよく知っている、それでも……」というフェティッシュ的な分裂fetishistic splitの一つの形が見えてくる。「この後に何が起きるのか。私はよく知っている(物語の結末を知っているのだから)。それでも私はどうしてもそれを信じることができない。だから不安で一杯なのだ。不可避の出来事は本当に起きるのだろうか」。言い換えれば、まさしく時間的配列の逆転によって、われわれは物語の連鎖がまったく偶然的なものであること、すなわちすべての転機において物事は別の方向に進んだかもしれないという事実を実感させられるのである。(ジジェク『斜めから見る』1990年)
ここでジジェクが言っていることは、これまたデュピュイが何度か示している次の図が示そうとしていることである。
柄谷行人は後年、このジジェクのヘーゲルの読み方を受け入れるようになる。
それは、ジジェクが柄谷行人の『トランスクリティーク』に大いに依拠して書いた『パララックス・ヴュー』書評(2010年)にてである。
カントは『純粋理性批判』で、たとえば、「世界には始まりがある」というテーゼと「始まりがない」というアンチテーゼが共に成立することを示した。それはアンチノミー(二律背反)を通してものを考えることである。しかし、カントはそれよりずっと前に、視差を通して物を考えるという方法を提起していた。パララックス(視差)とは、一例をいうと、右眼で見た場合と左眼で見た場合の間に生じる像のギャップである。カントの弁証論が示すのは、テーゼでもアンチテーゼでもない、そのギャップを見るという方法である。実は、そのことを最初に指摘したのは、私である(『トランスクリティーク——カントとマルクス』)。それを読んだジジェクは、本書において、戦略的なキーワードとして、パララックスという語を全面的に使用した。といっても、たんに言葉を取り入れただけである。本書は、その語を使って、彼がすでにこれまで書いてきた事柄を再編成したものだといったほうがよい。彼自身が本書を「代表作」と呼ぶのは、そのためである。
私がカントのパララックス的把握を重視したのは、それによってヘーゲルによる弁証法的総合を批判するためであった。しかし、ジジェクは、ヘーゲルにおける総合(具体的普遍)にこそ、真にパララックス的な見方がある、したがって、私のヘーゲル観は的外れだ、というのである。それに対して、私は特に、反対しない。私のカントが通常のカントと異なるのと同様に、ジジェクのヘーゲルも通常のヘーゲルではないからだ。ヘーゲルを読んだからといって、彼のような見方が出てくるわけではない。また、彼のような考え方は、必ずしも彼がいうラカンの精神分析から来るものでもない。私の知るかぎり、彼に最も似ているのは、ドストエフスキーである。テーゼとアンチテーゼの両極をたえず目まぐるしく飛びわたる、その思考においてのみならず、その風貌、所作、驚異的な多産性において。(柄谷行人「「視差」戦略的に全面的に再編成」ーージジェクの『パララックス・ヴュー』書評」 2010年)
ここからがジャン=ピエール・デュピュイの本来の出番だけれど、ま、ヤメトクヨ、ながくなるだけじゃない。それだけじゃなく、きしてもムダだから。
二つの用語法の相違だけ示しておこう(ときにデュピュイはジジェクのいうほど厳密でないと感じるときがあるが、英訳と仏文の相違なのかもしれない)
歴史に介入するためのわれわれの「行為の能力」とはどんな意味か? 仏語には、英語では充分には表現しえない「未来」を指す二つの言葉がある。futur とavenirである。futurは現在の継続としての未来を表す。futurとは、既に現在である傾向の十全なアクチュアル化である。他方、avenirはラディカルな突破[radical break]に向けての何ものかを指す傾向がある。つまり現在との非継続性である。avenirとはà venirであり、「来るべきべき未来」である。たんに「来るだろう未来」ではない。
例えば、現在の黙示的状況[apocalyptic situation]、未来の究極的地平は、ジャン=ピエール・デュピュイJean‐Pierre Dupuyが呼ぶところのディストピア的「不動点point fixe」(dystopian “fixed point,” )であり、エコロジカル瓦解、世界経済的・社会的カオス等のゼロ点である。もしそれが無限に延期されても、このゼロ点は、われわれの現実がそれに為すがままになって向かい続ける「潜在的アトラクター」である。
未来のカタストロフィと闘う方法は、このディストピア的「不動点point fixe」に向けての「駆動力drifting」を中断する行為を通してのみ存在する。行為とは、「来るべきラディカルな他者性を生み出すリスクを引き受けることである。
われわれはここで「前途に見込みがない(未来はないno future)」というスローガンが如何ようにも解釈されることを見る。それは、より深い水準では、変化の不可能性を示しているのではない。そうではなく厳密に、われわれに覆い被さっているカタストロフィ的「未来」を突破するために闘争すべきであることを示している。それによって、「来るべきべき」新しい何ものかのための空間を開くのである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)
アトラクターは、たとえば次のような形でデュピュイは図示している。
やっぱり長くなっちまったな、じゃあついでにもうひとつ。
もしわれわれが(社会的あるいは環境的な)脅威に直面したなら、時間(一時性)という「歴史的」概念から逃れる必要がある。われわれは時間の新しい概念を導入しなければならない。デュピュイはこの時間を「プロジェクトの時間 Le temps du projet 」と呼ぶ。過去と未来の閉じた回路である時間である。未来はわれわれの過去の行為から偶然に生み出されるが、 その一方で、 われわれの行為のありかたは、未来への期待とその期待への反応によって決まるのである。
『カタストロフィ的出来事は運命として未来に刻印されている。それは確かなことだ。だが同時に、偶発的な事故でもある。つまり、たとえ前未来においては必然に見えていても、起こるはずはなかった、ということだ。……たとえば、大災害のように突出した出来事がもし起これば、それは起こるはずがなかったのに起こったのだ。にもかかわらず、起こらないうちは、その出来事は不可避なことではない。したがって、出来事がアクチュアルになること――それが起こったという事実こそが、遡及的にその必然性を生みだしているのである。』(Jean=Pierre Dupuy, Petite métaphysique des tsunami, 2005)
(原文)
L'événement catastrophique est inscrit dans l'avenir comme un destin, certes, mais aussi comme un accident contingent : il pouvait ne pas se produire, même si, au futur antérieur, il apparaît comme nécessaire.[…]si un événement marquant se produit, par exemple une catastrophe, il ne pouvait pas ne pas se produire ; tout en pensant que, tant qu'il ne s'est pas produit, il n'est pas inévitable. C'est donc l'actualisation de l'événement – le fait qu'il se produise – qui crée rétrospectivement de la nécessité.
もしも―偶然に―ある出来事が起こると、 そのことが不可避であったように見せる、 それに先立つ出来事の連鎖が生み出される。 物事の根底にひそむ必然性が、 様相の偶然の戯れによって現われる、 というような陳腐なことではなく、これこそ偶然性と必然性のヘーゲル的弁証法なのである。 この意味で、人間は運命に決定づけられていながらも、 おのれの運命を自由に選べるのである。
環境危機に対しても、このようにアプローチすべきだと、デュピュイはいう。 カタストロフィの起こる可能性を 「現実主義者的realistically」に見積もるのではなく、 厳密にヘーゲル的な意味で〈大文字の運命 Destiny〉として受け容れるべきであるーーもしもカタストロフィが起こったら、 実際に起こるより前にそのことは決まっていたのだと言えるように。 このように〈運命〉と ( 「もし」 を阻む)自由な行為とは密接に関係している。自由とは、もっと根源的な次元において、自らの〈運命〉を変える自由なのだ。
つまりこれがデュピュイの提唱する破局への対処法である。 まずそれが運命であると、 不可避のこととして受けとめ、そしてそこへ身を置いて、 その観点から (未来から見た) 過去へ遡って、 今日のわれわれの行動についての事実と反する可能性(「これこれをしておいたら、いま陥っている破局は起こらなかっただろうに!」)を挿入することである。
われわれは受け入れてなくてはならない、可能性の水準においては、われわれの未来は運命づけられており、カタストロフィは起こるだろうことを。それはわれわれの運命である。そしてこの受容の背景に対して、運命自体を変える行為の遂行を動員すること。このようにして、過去のなかに新しい可能性を挿入するのだ。
逆説的ながら、大惨事をさけるための唯一の道は、それを不可能なこととして受け入れることである。バディウにとってもまた、出来事への忠誠性の時間は、前未来 futur antérieurである。つまり時間を超えて未来に追いつき、向きあって、実現してほしい未来がすでにそこにあるかのように、いま行動するということだ。(ジジェク 『ポストモダンの共産主義』 2009年)
いやあ、これは絶対ムリだよ、「風をみながら絶えず舵を切る」国民性の人たちには。
………………
デュピュイの思考の基盤はヘーゲルにあるとともに、ギュンター・アンダースの「ノアの寓話」にあr。
世界は滅びるという予言が聞き入れられないことに落胆したノアは、ある日、身内を亡くした喪の姿で街に出る。ノアは古い粗衣をまとい、灰を頭からかぶ った。これは親密な者を失った者にしか許されていない行為である。誰が死んだのかと周りの者たちに問われ、「あなたたちだ、その破局は明日起きた」と彼は答える。「明後日には、洪水はすでに起きてしまった出来事になっているだろうがね。洪水がすでに起きてしまったときには、今あるすべてはまったく存在しなかったことになっているだろう。洪水が 今あるすべてと、これからあっただろうすべてを流し去ってしまえば、もはや思い出すことすらかなわなくなる。なぜなら、もはや誰もいなくなってしまうだろうからだ。そうなれば、 死者とそれを悼む者の間にも、なんの違いもなくなってしまう。私があなたたちのもとに来たのは、その時間を裏返すため、明日の死者を今日のうちに悼むためだ。明後日になれば、手遅れになってしまうのだからね」。その晩、大工と屋根職人がノアの家を訪れ、「あの 話が間違いになるように」箱舟の建造を手伝いたいと申し出る。……(ギュンター・アンダース、ノアの寓話、いくらか要約)