2019年12月10日火曜日

「原ナルシシズムと原マゾヒズムと去勢」等置の奇妙さ

前回、「ベースにある原ナルシシズムの対象ってのは、ようするに享楽の対象」と記したけど、たしかにラカンは直接的にはそんなことは言っていない。ラカンは「享楽の対象」という表現は(ボクの知る限り)一度だけしか使っていないが、この語の前段には「マゾヒズム」としかない。

反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…

享楽の対象 Objet de jouissance…それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)

ま、でもボクにいわせれば原ナルシシズムの対象と原マゾヒズムの対象ってのは同じもんだよ。ボクはO型だからな、なんでもザックリさ。

……

まずラカンの享楽概念についての最も基本的な定義文を並べる。


享楽=自体性愛
ラカンによる等置
=
ミレールによる等置
自体性愛
auto-érotisme
自体性愛
auto-érotisme
原ナルシシズム
narcissisme 
primaire
享楽自体
jouissance 
comme telle
自己身体の享楽
jouissance 
du corps propre
自ら享楽する
身体
corps 
qui se jouit
自閉的享楽
jouissance 
autiste
女性の享楽
jouissance 
féminine 
Lacan, S10, 05 Décembre 1962
J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,2011




享楽=原マゾヒズム  
われわれにとって唯一の問い、それはフロイトによって名付けられた死の本能 instinct de mort 、享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance である。
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel。フロイトはこれを発見したのである。
lacan, S13, June 8, 1966
Lacan, S23, 10 Février,1976
享楽=去勢
享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…
問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。
(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。
J.-A. MILLER , Retour sur la psychose ordinaire, 2009
去勢は享楽の名である。la castration est le nom de la jouissance 。
 Lacan parle à Bruxelles, Le 26 Février 1977
J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un 25/05/2011



この三つの定義を受け入れるなら、享楽=自体性愛(原ナルシシズム)=原マゾヒズム=去勢ということになる。

それぞれの語彙の通念からすればひどく奇妙な等置である。だがこの奇妙さは、もうすこし突っ込めば納得しうる。

まず自体性愛(原ナルシシズム・自己身体の享楽)の「自己身体」愛とは、究極的には自己身体の愛(享楽)ではない。異者としての身体愛=異物愛である。

フロイトは、幼児が自己身体 propre corps に見出す性的現実 réalité sexuelle において「自体性愛autoérotisme」を強調した。…

だが自らの身体の興奮との遭遇は、まったく自体性愛的ではない。身体の興奮は、ヘテロ的である。la rencontre avec leur propre érection n'est pas du tout autoérotique. Elle est tout ce qu'il y a de plus hétéro.

…ヘテロhétéro、すなわち「異物的(異者的 étrangère)」である。

(LACAN CONFÉRENCE À GENÈVE SUR LE SYMPTÔME、1975)
たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年)
われわれにとっての異者としての身体 un corps qui nous est étranger[corps étranger](ラカン, S23, 11 Mai 1976)

この異者としての身体とは、たとえば母の乳房である。

子供の最初のエロス対象 erotische Objekt は、この乳幼児を滋養する母の乳房Mutterbrustである。愛は、満足されるべき滋養の必要性への愛着Anlehnungに起源がある。疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体 eigenen Körper とのあいだの区別をしていない。乳房が分離され「外部 aussen」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、子供の最初のエロス対象 erotische Objekt は、この乳幼児を滋養する母の乳房Mutterbrustである。愛は、満足されるべき滋養の必要性への愛着Anlehnungに起源がある。疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体 eigenen Körper とのあいだの区別をしていない。乳房が分離され「外部 aussen」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、原ナルシシズム的リビドー備給 ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung の部分と見なす。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年)

すなわち、もともと自己身体と区別していなかった母の乳房が、原ナルシシズム的リビドー備給ursprünglich narzisstischen Libidobesetzungの対象だと。

だが実際は、原ナルシシズム的リビドーの原対象は母の乳房ではない。

乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢、つまり自分自身の身体の重要な一部の喪失Verlustと感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為 Geburtsakt がそれまで一体であった母からの分離 Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war として、あらゆる去勢の原像 Urbild jeder Kastration であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)

出産行為によって分離された(去勢された)母自体が、起源としての自己身体である。

ラカンはこの原初に喪われた対象を胎盤と表現している。

例えば胎盤 placenta は…個体が出産時に喪う individu perd à la naissance 己の部分、最も深く喪われた対象 le plus profond objet perdu を象徴するsymboliser が、乳房 sein は、この自らの一部分を代表象représenteしている。(ラカン、S11、20 Mai 1964)

この出生によって去勢された母なる自己身体を取り戻す運動が、原ナルシシズム運動である。

人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む。haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)
自我の発達は原ナルシシズムから出発しており、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす。Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)

ここまでで、フロイトにとって自体性愛=原ナルシシズム運動は、母なる自己身体を取り戻そうとする運動であることが判然とした筈である。

ところで(冒頭に記したように)ラカンはこの喪われた対象を取り戻そうとする運動を享楽回帰=マゾヒズムと呼んでいる。

反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…

享楽の対象 Objet de jouissance…それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)

繰り返せば究極の喪われた対象は母あるいは母胎である。

母という対象 Objekt der Mutterは、欲求Bedürfnissesのあるときは、「切望sehnsüchtig」と呼ばれる強い備給Besetzung(リビドー )を受ける。……(この)喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsへの強烈な切望備給 Sehnsuchtsbesetzung(リビドー )は絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle と同じ経済論的条件ökonomischen Bedingungenをもつ。(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)

こうしてフロイトは次のように言うことになる。

人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動Trieb、⋯⋯母胎回帰運動 Rückkehr in den Mutterleibがある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

母胎回帰運動とは事実上、自己破壊運動であるだろう(フロイトは1913年のシェイクスピア論で、母なる大地 Mutter Erdeへの回帰、沈黙の死の女神 schweigsame Todesgöttin への回帰を語っている)。

マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。

他方、サディズムは外部に向けられた破壊欲動 der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstriebであり、攻撃性 Aggressionの特徴をもつ。或る量の原破壊欲動 ursprünglichen Destruktionstrieb は内部に居残ったままでありうる。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向 Tendenz zur Selbstdestruktioから逃れるために、他の物や他者を破壊する anderes und andere zerstören 必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!⋯⋯

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)

ーー上にマゾヒズム=自己破壊欲動=死の欲動とあるが、ラカンは享楽=マゾヒズムとする文脈のなかで、《享楽の弁証法は、厳密に生に反したものである。dialectique de la jouissance, c'est proprement ce qui va contre la vie. 》 (Lacan, S17, 14 Janvier 1970)としている。


以上、現在のわたくしはこう考えているということを示した。

ジャック=アラン・ミレールは、自体性愛と去勢とのかかわりについては何度も明示している。

たとえば、次の文。

疑いもなくモノ[la Chose]は、ナルシシズムと呼ばれるものの深淵な真理である。享楽自体は、自体性愛 auto-érotisme・自己身体のエロスérotique de soi-même に取り憑かれている。そしてこの根源的な自体性愛的享楽 jouissance foncièrement auto-érotiqueは、障害物によって徴づけられている。…去勢 castrationと呼ばれるものが障害物の名 le nom de l'obstacle である。この去勢が、自己身体の享楽の徴marque la jouissance du corps propre である。(Jacques-Alain Miller Introduction à l'érotique du temps、2004)

ーーモノdas Dingについては、「享楽の名 le nom de la jouissance」を参照のこと。


上に「去勢が自己身体の享楽の徴」とあるように自体性愛についてはとても明瞭である。

だがミレールは原マゾヒズムについて触れることが最近はきわめて少ない(1990年代のセミネールまで遡ってざっと眺めてみても、サドと原ナルシシズムのかかわりについては何度か示しているが、それ以上の具体的注釈はない)。ほかの臨床ラカン派注釈者たちもわたくしの知るかぎり同様である。つまり上に記した内容の原マゾヒズム箇所は、わたくしの独断的結びつけであることを最後に断っておく。

…………

ラカンの享楽とは、基本的にはフロイトのエスの力能あるいは無意識のエスの反復強迫のことであり、これが死の欲動の最も直接的意味合いである。

エスの力能 Macht des Esは、個々の有機体的生の真の意図 eigentliche Lebensabsicht des Einzelwesensを表す。それは生得的欲求 Bedürfnisse の満足に基づいている。己を生きたままにすることsich am Leben zu erhalten 、不安の手段により危険から己を保護することsich durch die Angst vor Gefahren zu schützen、そのような目的はエスにはない。それは自我の仕事である。

… エスの欲求によって引き起こされる緊張 Bedürfnisspannungen の背後にあると想定された力 Kräfte は、欲動 Triebe と呼ばれる。欲動は、心的な生 Seelenleben の上に課される身体的要求 körperlichen Anforderungen を表す。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

次にエスの無意識の反復強迫、あるいは異物にかかわる欲動蠢動の記述もいくつかを並べておこう。

心的無意識のうちには、欲動蠢動Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919年)
自我にとって、エスの欲動蠢動 Triebregung des Esは、いわば治外法権 Exterritorialität にある。…

われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ーーと呼んでいる。…

自我は、二次的な防衛闘争 sekundäre Abwehrkampf において、原症状の異郷性 Fremdheitと孤立性Isolierung を取り除こうとするものと考えられる。

…この二次的症状によって代理されるのは、内界にある自我の異郷部分 ichfremde Stück der Innenweltである。(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)
欲動蠢動 Triebregungは「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして(この欲動の)固着する要素 Das fixierende Moment ⋯は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


※付記


大他者の享楽=身体の享楽=エロス =死=異者としての身体の享楽
大他者の享楽 jouissance de l'Autre について、だれもがどれほど不可能なものか知っている。フロイトが提起した神話に反して、すなわちエロスのことだが、これはひとつになる faire Un という神話だろう。[Cette jouissance de l'Autre, dont chacun sait à quel point c'est impossible, et contrairement même au mythe, enfin qu'évoque FREUD, qui est à savoir que l'Éros ça serait de faire Un]

…だがどうあっても、二つの身体 deux corps がひとつになりっこない ne peuvent en faire qu'Un。…ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素 élément、つまり死に属するrelève de la mort ものの意味に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)
大他者の享楽[la Jouissance de l'Autre]…私は強調するが、ここではまさに何ものかが位置づけられる。…それはフロイトの融合としてのエロス、一つになるものとしてのエロスである[la notion que Freud a de l'Éros comme d'une fusion, comme d'une union]。(Lacan, S22, 11 Février 1975)
大他者は身体である。L'Autre c'est le corps! (ラカン、S14, 10 Mai 1967)
大他者の享楽…問題となっている他者は、身体である。la jouissance de l'Autre.[…] l'autre en question, c'est le corps . (J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 9/2/2011)


自己身体の享楽はあなたの身体を異者にする。あなたの身体を大他者にする。ここには異者性の様相がある。…これはむしろ精神病の要素現象(本源現象)の審級にある。[la jouissance du corps propre vous rende ce corps étranger, c'est-à-dire que le corps qui est le vôtre vous devienne Autre… là c'est plutôt de l'ordre du phénomène élémentaire de la psychose ](Jacques-Alain Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20 mai 2009)