2019年12月15日日曜日

山本太郎信者の「転向」について

最近、山本太郎信者の一部で「転向」が見られるようだが、まず自己批判が必要じゃないかね。ボクの考えではポピュリズム信者の構造自体が問題だと捉えているが。その意味では左翼ポピュリズム政党共産党信者もひどく問題がある。あの政党は事実上、財政的幼児虐待政党だとボクは判断している→「財政的幼児虐待」の犠牲者から加害者へ


シェイクスピア曰く、

邪な心を抱いて正しい行為
そして正しい心を抱いて邪な行為

wicked meaning in a lawful deed
And lawful meaning in a wicked act

ーーシェイクスピア『終わりよければすべてよし』


消費税反対を言い募って大衆の支持を得ようとするポピュリズム政党や政治家は、「短期的には庶民のためにという正しい心を抱いて、長期的には未来の他者虐待という最悪の邪な行為をしている」と言っておこう、「彼らはそれを知らないが、そうする Sie wissen das nicht, aber sie tun es」(マルクス『資本論』vol I: 88)


カトリック信者については、ま、ここでは何も言わないでおくよ。

カトリック信者とは関係なしに、最後に次の三文を掲げておこう。

一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 (中井久夫『看護のための精神医学』2004年 )
善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。(坂口安吾『続堕落論』)
私は善人は嫌ひだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあひで世を渡り、真実自我を見つめるといふ苦悩も孤独もないからである。(坂口安吾『蟹の泡』)