前回次の文を引用しようとしてふと思い止まったんだけど、この際やっぱり引用しとくよ。
トランプによるシリアと北朝鮮に対する軍事介入の機会は、ヒラリー・クリントンの下よりはるかに高かった。…われわれは知っているじゃないか、トランプなきアメリカでこの民主主義的社会主義はないだろうことを。私はトランプにゾッとする。だがトランプを通して、リベラル中道ヘゲモニーに裂け目が現れた。
The chance of intervening militarily against Syria and North Korea would have been much higher under Hillary Clinton… Are we aware that there wouldn't be this democratic socialism in the US without Trump? I'm horrified at Trump but through him a crack appeared in the liberal centrist hegemony(Slavoj Žižek interview: “Trump created a crack in the liberal centrist hegemony”、9 JANUARY 2019)
許せない選択だろうな、良識派のみなさんにとっては。ジジェクが現在ひどくキラワレルの当たり前だよ。
で、ホントウに「何も起こらないよりは厄災が起きた方がマシ」が起っちゃたんだからな。
われわれの戦いの相手は、現実の堕落した個人ではなく、権力を手にしている人間全般、彼らの権威、グローバルな秩序とそれを維持するイデオロギー的神秘化である。この戦いに携わることは、バディウの定式 「何も起こらないよりは厄災が起きた方がマシ mieux vaut un désastre qu'un désêtre 」を裏付けることを意味する。つまり、たとえそれが大破局に終わろうとも、あれら終わりなき功利-快楽主義的生き残りの無気力な生を生きるよりは、リスクをとって真理=出来事への忠誠に携わったほうがずっとマシだということだ。この功利-快楽主義的生き残りの仕方こそニーチェが「最後の人間」と呼んだものだ。
したがってバディウが拒絶することは、犠牲モードのリベラルイデオロギーである。あの連中が政治を最悪を避けるためのプログラムに削減するやり方。ポジティブなプロジェクトのすべてを断念し、最低限の悪い選択のみを追求するやり方。これを断固として拒絶することだ。(ジジェク『終焉の時代に生きるLiving in the End Times』 2010年)
ところで戦争ぎらいの皆さんは、飢餓地獄なら耐えちゃうのかい?