2020年1月3日金曜日

パンドラの箱

ミレール ? 天才だよ、私が知っている唯一の完璧に学者ぶった天才だThe only absolute pedagogical genius that I know.(SLAVOJ ZIZEK ON JACQUES-ALAIN MILLER, 06.11.2015

ーー《私はきわめて率直に言わなければならない、私のラカンはミレールのラカンだと。I must say this quite openly that my Lacan is Miller's Lacan》(『ジジェク自身によるジジェク』2004年

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以下、「パンドラの箱」というのに出会ったので、以前メモしたものをミックスさせつつ備忘メモとして掲げる(まだ「小旅行」中で、iPadからだからうまく記せないのだけれど)。

パンドラの箱があまりにも長く開けられている。われわれは今、ジジェクをもっている。私のセミネールで彼に教えた基本原則を使って、ラカンを「ジジェク化」する彼だ。われわれはバディウをもっている。ラカンを「バディウ化」する彼だ。全くよくない。われわれは、パンドラの箱をもう一度閉じる時だ。


Mais la boîte de Pandore est ouverte depuis longtemps ! Vous avez Zizek qui zizekise Lacan depuis qu'il a appris les rudiments de la doctrine jadis, à mon séminaire de DEA. Vous avez Badiou qui badiouise Lacan, et ce n'est pas joli joli. Il s'agirait plutôt de la refermer, la Pandora's Box.(ジャック=アラン・ミレール Eve Miller-Rose et Daniel Roy, Entretien nocturne avec Jacques-Alain Miller, 2017,PDF


ジジェクは、例えば、対象aを彼が《パララックス・ヴュー》、ーーある観点からの小さな逸脱ーーと呼ぶものの類似物とする。ジジェクは、これによって哲学の気まぐれの機能を対象aに適用する。対象aは対象もどきabjetである。幸いにもこのゴマカシはあまりにも瞭然としている。そんなものは機能しない。Zizek, par exemple, a voulu poser l’objet petit a comme analogue à  ce qu’il appela «parallax view», une petite déviation du point de vue. Cela lui permet d’appliquer l’objet petit a en fonction de son caprice de philosophe. L’objet petit a, abjet. Heureusement, le truc est trop évident. Ça ne marche pas. .(J.-A. Miller, Jacques Rancière, une politique des oasis, 2017)


In the last couple of years, attacks on Slavoj Žižek multiply from different sources. Politically, he was condemned for his position on Donald Trump, for his critique of the humanitarian approach to refugees, for his more nuanced approach to LGBT+ movement, etc. In the space of psychoanalysis, Lacanians around Jacques-Alain Miller started a ferocious campaign against Žižek, denouncing him as a fraud. In the space of philosophy, new forms of realism ("object-oriented-ontology") reject Žižek's thought as still rooted in transcendental subjectivity. Attacks on Žižek are often characterized by an almost unheard-of personal brutality (Chomsky, the campaign to "erase" Žižek from public space), and they are also accompanied by Žižek's growing exclusion from public media - one can no longer read his comments and columns in LRB, Guardian, In These Times, etc. (What Went Wrong With Žižek? 2019)


「二つの現実界」についての当面の結論

象徴界の外部の「純粋な」現実界 the “pure” Real、象徴界によっていまだ汚染されていない或る現実界に向けてのミレールの探求。彼はその現実界をラカンに属するものだと考えている。⋯⋯⋯
ミレールによれば、ラカンの「性別化の式」でさえ、法の外部にある「純粋な」現実界を混乱させる象徴的苦心作のカテゴリーに落ちる。

⋯⋯この論拠の流れは、厳密なラカン派の立場からは、何かが途轍もなく間違っているsome­thing is ter­ribly wrong。(Slavoj Žižek: Am I a Philosopher?, 2016)


ジジェクの誤謬

書かれることを止めないもの un ne cesse pas de s'écrire。これが現実界の定義 la définition du réel である。…

書かれぬことを止めないもの un ne cesse pas de ne pas s'écrire。すなわち書くことが不可能なもの impossible à écrire。この不可能としての現実界は、象徴秩序(言語秩序)の観点から見られた現実界である。le réel comme impossible, c'est le réel vu du point de vue de l'ordre symbolique (Jacques-Alain Miller, Choses de finesse en psychanalyse IX Cours du 11 février 2009)


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※付記

他にもミレール が「対象もどきabjet」と嘲罵するジジェクの対象aの定義とは、例えば次のものである。

…対象a はカントの超越論的対象 transcendental object に近似している。なぜなら、対象a は「知られていないX」、仮象の彼方の対象の「ヌーメノンNoumenon」的核を表すから。それは《あなたのなかにあるあなた以上のもの》である。

したがって対象a は、純粋なパララックス対象 pure parallax objectとして定義される。…さらに厳密に言えば、対象a は、視差の裂目 parallax gapの「原因」である。

ここでのパラドクスは厳密なものである。まさにこの点にて、純粋差異が現れる。差異はもはや「二つの可能的に存在する対象 two positively existing objects」のあいだの差異ではない。そうではなく「「一」とそれ自体からの同じ対象を分割する divides one and the same object from itself」差異である。この差異「それ自体」は即座に測り知れない unfathomable 対象と一致する。

諸対象の間の単なる差異とは対照的に、純粋差異はそれ自体、対象である。(ジジェク、パララックス・ヴュー2006、私訳)
ラカンが、象徴空間の内部と外部の重なり合い(外密 Extimité)によって、象徴空間の湾曲・歪曲を叙述するとき、彼はたんに、対象a の構造的場を叙述しているのではない。剰余享楽は、この構造自体、象徴空間のこの「内に向かう湾曲」以外の何ものでもない。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)


飢餓地獄