2020年2月18日火曜日

神なき時代の女たち



内的な現実と宇宙
わたしは手に、一冊の書物を持っていた。ジョルジュ・バタイユの『マネ』だ。
マネの描く女性はみな、あなたが何を考えているかわかってるわ Je sais à quoi tu penses、と言っているようだ。おそらくそれは、この画家に至るまでは、--このことを私はマルローから学んだのだがーー内的な現実(réalité intérieure)が宇宙[コスモス]よりもまだ捉え難かったからだ。

ダ・ヴィンチやフェルメールの有名な物憂い微笑みは、まず、私、と言う。私、それから、世界。ピンクのショールを纏ったコローの女性さえ、オランピアの考えることを考えていない。ベルト・モリゾの考えることも、フォリー・ベルジュールの女給の考えることも。なぜなら、ついに世界が、内的世界が、宇宙[コスモス]とともに、近代絵画が始まったからだ。つまり、シネマトグラフが。つまり、言葉へと通じてゆく形式が。より正確を期すれば、思考する形式(une forme qui pense)が。映画は最初は思考するために作られたということは、すぐさま忘れられるだろう。だがそれは別の話だ。炎はアウシュヴィッツで決定的に消えてしまうだろう。この考えには、いささかの価値がある。(ゴダール『(複数の)映画史』「3A」)

神なき時代はいつ始まったのか

ーールネサンスにおいては
「自己」よりも「宇宙」のほうがはるかに問題であった
ヨーロッパにおける「神なき時代」がいつ始まったのか、を言うことは困難である。ウェーバーは、すでに、ピューリタニズムのなかに、父なる神が死滅し、次第に神なき時代へ向かう過渡現象をみていた。むろん、それは本質的に十九世紀人であるウェーバーの思想であり、彼の父との特殊な関係をも念頭に置かねばならないだろう。しかし、英語史において self-(自己) という前綴を持った単語がにわかに簇出するのは、十六、七世紀、つまりその時代である。カトリック圏の言語においては、この現象は著者のみるかぎり生じなかった。むろん、二十世紀になると、autocritique (自己批判--はじめはロシア語ではないかと思う)という奇語まで生じたけれども。

むろん、この「自己」ははじめ、神の前における自己であり、カルヴァンでなくルターの言であるが「信仰によってのみ義とせらるる」自己であったろう。しかし、次第に自己がひとり歩きをはじめたことは事実である。次第に「自己」主張は西欧人のもって美徳とするところとなった。中世西欧人にとって、それは意外のことであったはずである。またルネサンス人はさまざまの自己主張を行なったようにみえるが、しかし、彼らの自己主張は、政治的・日常的な自己の主張であった。たとえばマキャヴェルリは、自己の政治的生命が完全に断たれたときに、その全き断念においてあの激烈な、しかし冷静な自己主張を行なったのである。一般にルネサンスにおいては「自己」よりも「宇宙」のほうがはるかに問題であった、それがいかなる宇宙であるにせよ。

ルネサンスの商人たちは決して神を否定しなかったが、彼らはもし神が存在した場合にそなえてどの程度投資すべきかを乾いた思考で計算したのであり、「どれ、一般的善とやらに今日は割りあてるか」は彼らの日曜日の朝にルネサンス都市の広場において交わされる挨拶でありえた。そこにシニシズムとともにひそかな神への畏れを読み取ることは可能であり、免罪符もこの文脈において眺められるべきであろう。……

しかし、神の前にただ一人「自己」として立つというピューリタニズムは、次第に「自己」を肥大させたのではなかろうか。そして、神が次第に遠のくとともに、肥大した自己だけが残った。それは単なる前綴でなく、ego という、ラテン語においては稀れにしか使用されない単語を借用して、次第に自立的となった。「個室の成立」より遅れること約一世紀である。(中井久夫『分裂病と人類』第3章「「西欧精神医学背景史」1982年)

グレゴリア聖歌を唱う者にとって、聴衆のための演奏など思いもよらぬこと
(グールドは)演奏家、作曲家、聴衆が分れていない黄金時代を夢みた。

グレゴリア聖歌を唱う者にとって、聴衆のための演奏など思いもよらぬことであった。彼らが唱うとき、彼らを通して神の声が唱う。あるいはそれは天使の声であるかもしれない。しかしそこに集う者たちは聴くためだけではなく秘儀をとりおこなうために来ているのだ。音楽は信徒に語りかけるのではない。彼らに代わって唱われるのであり、しかも聖歌は誰もそれを聴く人間がいなかったとしてもまったく変わることはないはずだ。それは物理的な顕現でしかない。仮りに音楽が聴く者に外部から触れるとしても、そのほんとうの源は聴く者の内部にある。聖歌は音響に姿を変えた祈りとなるのだ。(ミシェル・シュネデール『グールド 孤独のアリア』)


こういった記述を受け入れるならば、「神との同一化」で示したように、現在の基本的な神の信者構造は、神という「自身が愛するに値するように見える」ような場所=自我理想に同一化して、「われわれがこうなりたいと思う」ようなイメージ=理想自我をナルシシズム的に享楽する形態となるように思う。いくらかSNSなどで観察する範囲ではまさにこの類型に当てはまる人がほとんどである。そもそも現在、もし古典的神の信者タイプが稀に存在したとしても、ツイッターなどの自己顕示装置に現れるはずがないのではないだろうか。





もっとも今でも傑出した敬愛すべきキリスト教徒はいる筈である。それを見分ける一つの基準として、ナザレのイエス自身に同一化しているか、キリストという自我理想に同一化しているかの相違があるように思う。後者はフロイトはひどく嫌った「集団神経症としてのカトリック教徒」である。

フロイトが嫌ったことは、シモーヌ・ヴェイユが嫌ったことである。

わたくしをこわがらせるのは、社会的なものとしての教会でございます。教会が汚れに染まっているからということだけではなく、さらに教会の特色の一つが社会的なものであるという事実でございます。わたくしが非常に個人主義的な気質だからではございません。わたくしはその反対の理由でこわいのです。わたくしには、人々に雷同する強い傾向があります。わたくしは生れつきごく影響されやすい、影響されすぎる性質で、とくに集団のことについてそうでございます。もしいまわたくしの前で二十人ほどの若いドイツ人がナチスの歌を合唱しているとしたら、わたくしの魂の一部はたちまちナチスになることを、わたくしは知っております。これはとても大きな弱点でございます。けれどもわたくしはそういう人間でございます。生れつきの弱点と直接にたたかっても、何もならないと思います。(…)

わたくしはカトリックの中に存在する教会への愛国心を恐れます。愛国心というのは地上 の祖国に対するような感情という意味です。わたくしが恐れるのは、伝染によってそれに染まることを恐れるからです。教会にはそういう感情を起す価値がないと思うのではありません。 わたくしはそういう種類の感情を何も持ちたくないからです。持ちたくないという言葉は適当ではありません。すべてそういう種類の感情は、その対象が何であっても、いまわしいもので あることをわたくしは知っております。それを感じております。(シモーヌ・ヴェイユ書簡--ペラン神父宛『神を待ちのぞむ Attente de Dieu』所収)

…………

カラヴァッジョ「聖トマスの不信」

なぜ聖トマスのようにまずキリストを疑ってみないのか。大他者を信ぜず、自らの道を歩んでみないのか。もし信仰があるとしても真の信仰はそこからしか始まらない。

ラカンのサントームsinthomeには傷と同一化しつつそこから距離をとるという意味がある。

そして、

Sinthome = Saint Homme 聖人= Saint Thomas 聖トマス

である。いわばsinthomeとは聖痕としての症状である。

わたくしのひどく限られた知識で敢えて言わせてもらえば、ナザレのイエス自身に真に同一化している人、イエスの傷に同一化している人は行為の人であり、たとえば病者の看護という実践に実に驚くべく仕事をする。わたくしはハンセン病に生涯を捧げたクェーカー教親和者の神谷美恵子をどうしても忘れることができない。他方、キリストという自我理想に同一化している人は(繰り返せば)ただ神に愛されたいというだけのナルシシストあるいはエゴイストであることが多いように見える。これこそラカン的なリアルとの同一化と象徴的同一化(仮象との同一化)を取り入れての想像的自我の享楽=自己愛の相違である。

もっともわたくしはこういうことを記して彼らが変わるとはまったく考えていない。お前さんたち、お里が知れてるよ、と言いたいだけである。

わたくしはバッハの合唱が好きで教会で歌ったこともある。そのせいでカトリック信者の友人もあった。かつて阪神大震災のボランティア活動にやむにやまれない理由で--離婚直後の妻娘が西宮に住んでいたーーわずか一週間たらずだが携わったことがある。そのとき十分な時間をもっている信者の友人二人を誘ってひどく不愉快な思いをしたことがある。彼らはこう言った、ぼくらは祈りを捧げることに専念しますと。

最後にニーチェを掲げておこう。彼はナザレのイエスを真に愛したために、キリスト教会をひどく嫌悪したのである。

キリスト教が、その最初の地盤を、最下層の階級を、古代世界の冥府を立ちさったとき、権力をもとめて野蛮民族のあいだへと出かけていったとき、そこで前提となったのは、もはや疲れた人間ではなく、内的に粗野となったおのれを引き裂く人間、――強いが、しかし出来そこないの人間であった。

――もとに話をかえして、私はキリスト教のほんとうの歴史を物語る。――すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤解であるーー、根本においてはただ一人のキリスト教者がいただけであって、その人は十字架で死んだのである。「福音」は十字架で死んだのである。この瞬間以来「福音」と呼ばれているものは、すでに、その人が行きぬいたものとは反対のものであった。すなわち、「悪しき音信」、禍音であった。「信仰」のうちに、たとえばキリストによる救済の信仰のうちに、キリスト者のしるしを見てとるとすれば、それは馬鹿げきった誤りである。たんにキリスト教的実践のみが、十字架で死んだその人が生きぬいたと同じ生のみが、キリスト教的なのである・・・今日なおそうした生は可能であり、或る種の人たちにとってはそのうえ必然的ですらある。真正のキリスト教、根源的キリスト教は、いかなる時代にも可能であるであろう・・・信仰ではなく、行為、なによりも、多くのことをおこなわないこと、別様の存在である・・・
意識の状態、たとえば、信仰とか真なりと思いこむとかはーーいずれの心理学者も知っていることだがーー本能の価値にくらべれば完全にどうでもよいことであり、五級どころのことである。もっと厳密に言うなら、精神的因果性の全概念が誤りなのである。キリスト者であることを、キリスト者であるゆえんのものを、真なりと思いこむことに、たんなる意識の現象性に還元することは、キリスト者であるゆえんのものを否定することにほかならない。実際のところ一人のキリスト者も全然いなかったのである。「キリスト者」なるものは、二千年以来キリスト者と呼ばれているものは、たんに心理学的な自己誤解にすぎない。(ニーチェ『反キリスト者』1888年)