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2020年2月21日金曜日

具体的なものを失わずに絶えずリトルネロして下さい


具体的なものを失わずに、 絶えずそこへと立ち返ってください。多様体、 リトルネロ、 感覚、 等々は発展して純粋な概念になりますが、それらはある具体的なものから別の具体的なものへの移行と緊密に結びついているのです 。(ドゥルーズ書簡ーークレ・マルタン宛)




Godard, Adieu au Langage




原カオス回帰・リトルネロ
原カオス回帰・リトルネロ(我々の往時の状態回帰)への希望と憧憬は、蛾が光に駆り立てられるのと同様である。…人は自己破壊憧憬をもっており、これこそ我々の本源的憧憬である。la speranza e 'l desiderio del ripatriarsi o ritornare nel primo chaos, fa a similitudine della farfalla a lume[…] desidera la sua disfazione; ma questo desiderio ène in quella quintessenza spirito degli elementi, (『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』)
母胎回帰
以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動 Triebe の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)
人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎回帰Rückkehr in den Mutterleibがある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
原ナルシシズム回帰
自我の発達は原ナルシシズムから出発しており、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす。Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.(フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)
人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む。 haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt  (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)
永遠回帰
「永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)
人は循環運動をする on tourne en rond… 死によって徴付られたもの marqué de la mort 以外に、どんな進展 progrèsもない 。それはフロイトが、« trieber », Trieb という語で強調したものだ。(ラカン、S23, 16 Mars 1976)
享楽回帰
反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…

享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…

大他者の享楽? 確かに!  [« jouissance de l'Autre » ? Certes !   ]

…フロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
大他者の享楽[la Jouissance de l'Autre]…私は強調するが、ここではまさに何ものかが位置づけられる。…それはフロイトの融合としてのエロス、一つになるものとしてのエロスである[la notion que Freud a de l'Éros comme d'une fusion, comme d'une union]。(Lacan, S22, 11 Février 1975)
永遠の悦楽回帰
何を古代ギリシア人はこれらの密儀(ディオニュソス的密儀)でもっておのれに保証したのであろうか? 永遠の生 ewige Lebenであり、生の永遠回帰 ewige Wiederkehr des Lebensである。過去において約束された未来、未来へと清められる過去である die Zukunft in der Vergangenheit verheißen und geweiht。死の彼岸の生、転変の彼岸の生への勝ちほこれる肯定である das triumphierende Ja zum Leben über Tod und Wandel hinaus。総体としてに真の生である das wahre Leben als das Gesamt。生殖を通した生 Fortleben durch die Zeugung、セクシャリティの神秘を通した durch die Mysterien der Geschlechtlichkeit 生である。

このゆえにギリシア人にとっては性的象徴は畏敬すべき象徴自体であり、全古代的敬虔心内での本来的な深遠さであった。生殖、受胎、出産のいとなみにおける一切の個々のものが、最も崇高で最も厳粛な感情を呼びおこした。密儀の教えのうちでは苦痛が神聖に語られている。すなわち、「産婦の陣痛Wehen der Gebärerin」が苦痛一般を神聖化し――、一切の生成と生長、一切の未来を保証するものが苦痛の条件となっている・・・創造の永遠の悦楽ewige Lust があるためには、生への意志Wille zum Leben がおのれを永遠にみずから肯定するためには、永遠に「産婦の陣痛」もまたなければならない・・・これら一切をディオニュソスという言葉が意味する。すなわち、私は、ディオニュソス祭のそれというこのギリシア的象徴法以外に高次な象徴法を知らないのである。そのうちでは、生の最も深い本能tiefste Instinkt des Lebensが、生の未来への、生の永遠性Ewigkeit des Lebensへの本能が、宗教的に感じとられている、――生への道そのものが、生殖が、聖なる道として感じとられている・・・(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」4『偶像の黄昏』1888年)



悦楽の王
リルケ、ドゥイノエレギー、第三歌より
愛するものを歌うのはよい。しかし、あの底ふかくかくれ棲む罪科をになう血の河神をうたうのは、それとはまったく別なことだ。恋する乙女が遥かから見わけるいとしいもの、かの若者みずからは、その悦楽の王について何を知ろう。…
EINES ist, die Geliebte zu singen. Ein anderes, wehe, jenen verborgenen schuldigen Fluß-Gott des Bluts. Den sie von weitem erkennt, ihren Jüngling, was weiß er selbst von dem Herren der Lust, 

聴け、いかに夜がくぼみ、またえぐられるかを。星々よ、いとしい恋人への彼の乞いは、あなたから来るのではなかったか。…
Horch, wie die Nacht sich muldet und höhlt. Ihr Sterne, stammt nicht von euch des Liebenden Lust zu dem Antlitz seiner Geliebten
朝風に似て歩みもかるくすがしい乙女よ、あなたの出現がかれをかほどまでに激動さしたと、あなたはほんとうに信ずるのか。まことにあなたによってかれの心は驚愕した。けれど、もっと古くからの恐怖がこの感動に触発されてかれの中へと殺到したのだ。彼を揺すぶれ、目覚めさせよ…しかしあなたは、彼を暗いものとの交わりから完全に呼びさますことはできない。
Meinst du wirklich, ihn hätte dein leichter Auftritt also erschüttert, du, die wandelt wie Frühwind? Zwar du erschrakst ihm das Herz; doch ältere Schrecken stürzten in ihn bei dem berührenden Anstoß. Ruf ihn . . .  du rufst ihn nicht ganz aus dunkelem Umgang.