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2020年3月13日金曜日

世代的ギャップ

以下、『批評空間』についてすこし調べているなかでネット上から拾ったものだが、ちょっと訳ありでここに備忘メモ。


「90年代の論壇・文壇状況の検証!!"身の程を知らない文化人"を斬る!」
ーー浅田彰、田中康夫、中森明夫の鼎談『噂の真相』二〇〇〇年四月号
浅田彰)柄谷行人と僕とでやっている『批評空間』でデビューした東浩紀も優秀だと思う。 でも、『群像』2月号で対談しているのを読んだりすると、 過大評価だったのかなっていう気もしてきた。 

ともかく、あの程度の能力のあるやつがこんな幼稚な自意識過剰の子供のままかってところに、 ある種の世代的ギャップを感じる。

田中康夫)どういうこと?

浅田彰)つねに「僕を見て、僕を褒めて」っていうヒステリーなの。 

それで、阿部が野間新人賞、東がサントリー学芸賞をもらったら、 それまでの不和も忘れて、喜びあってるわけ。お互い、ついに無冠を脱し、めでたい、と。 しかしそんなくだらない賞なんて欲しいと思う? 

万一そう思ったって、普通そんな恥ずかしいことは隠すでしょ。 それを人前で喜んじゃうほど他人の評価に飢えているみたい。 阿部はいい意味で、優等生じゃない一匹狼的なところがあるからまだしも、 東はそれが見え見え。見ていて恥ずかしいよ。

中森 東は浅田さんが編集委員を務める『批評空間』が売り出した批評家なんだから、もうちょっと教育したら。それとも、個人的に迫ったけど、ふられたとか(笑)。

浅田 いや、あれはおニャン子のおっかけで自宅まで行ったような本物のおたくだよ。それに、僕としては過保護に近いくらい面倒を見たつもり。柄谷は「父」だから、「面白いから書け」と言うだけで、書いたものは読まない。それは「父」としてはいい態度じゃない? 

で、僕はいわば「兄」として意見を言って、デリダはラカン-ジジェクの線に近いとか言うからそれは逆なんじゃないかって言ったら、逆であるという本ができたわけよ。それをあれだけ褒めたんだから、本が出た後、批判する権利はあるよね。ところが、ちょっとでも批判的なことを言うと、ヒステリーの発作が起こるわけ。「こんなに頑張ってるボクをなぜ褒めてくれないの」って。「エヴァ」に出てくるひ弱なガキと同じ。

中森 付き合いきれなくなったんだ。

浅田 彼の方がぼくらを敬遠しだしたわけ。で、今まで年上に褒められようと思って書いてた(って言っちゃうのがすごいけど)のは間違いだった、これからは年下に向けて書く、と。しかし、その後で年上に褒められだすと……。

中森 筒井康隆とか。

浅田 筒井に褒められたら文庫の解説を書き、山崎正和に褒められたら感謝してサントリー学芸賞をもらい……。褒めたら喜ぶバカだってわかったから、蓮實重彦も褒めるし加藤典洋も褒めるし。




ボクは浅田とほぼ同年だけど、「あの程度の能力のあるやつがこんな幼稚な自意識過剰の子供のままかってところに、 ある種の世代的ギャップを感じる」というのは、東浩紀に感じるだけでなく、最近のもっと若い書き手にことごとく感じてしまうね。

たとえばツイッターをたまに眺めると、なんでこんなコドモっぽいことを言ってんだろ、あれらの連中はドゥルーズやらマルクスやらラカンやらの「優秀な」書き手らしいのに、と。

つねに「僕を見て、僕を褒めて」っていうヒステリーなの」--これは昔の世代にも当然(少なくともいくらは)あるのだけど、隠したんだよな。でも最近の世代はまったく隠さない隠せないナルボウヤばっかりだね。あれでは僕らの世代は読む気が失せるよ。

もはやどんな恥もない Il n'y a plus de honte …下品であればあるほど巧くいくよ plus vous serez ignoble mieux ça ira (Lacan, S17, 17 Juin 1970)
ラカンが『裏面』S17の最後の講義で述べた「もはや恥はない」という診断。これは次のように翻案できる。私たちは、恥を運ぶものとしての大他者の眼差しの消失の時代にある。(Jacques-Alain Miller, Note sur la honte.)



ラカン派では大他者の時代から大兄弟の時代への移行と言われるんだが、40歳前後以下の世代ってのは、とくに大兄弟の時代の落し子だな

…………


上の引用だけでは「ある種の誤解」を生むかもしれないから、東浩紀による最近の浅田インタビューの断片を引用しておこう。


インタビュー マルクスから (ゴルバチョフを経て )カントへ ─ ─戦後啓蒙の果てに     浅田彰 聞き手 │東浩紀 2016
─ ─ 『批評空間 』創刊の経緯を教えていただけますか 。 

浅田  「文学者の反戦声明 」への柄谷行人や田中康夫の関わりとも似て 、ぼくはいわば巻き込まれたかたちなんです 。そもそも鈴木忠志が中心となって市川浩や柄谷行人と一緒に八八年に創刊した 『季刊思潮 』という雑誌があった 。しかしそれを具体的に動かすことが難しくなって座礁しかけたので 、柄谷行人から 「一緒にやってくれないか 」という依頼 があって 、ぼくも第四号 (八九年 )から編集委員会に参加した ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。   

─ ─具体的に動かせないというのは 、単純に目次が作れないといったことですか 。 

浅田 そうです (笑 ) 。いうなれば 、お山の大将に対する参謀役みたいなかたちで加わっ たんですね 。そのうち 、編集委員会は柄谷と浅田に任せ 、あとのひとたちにはアドヴァイザリー・ボードに参加してもらうかたちにすればいいじゃないかという話になり 、九一年に柄谷と浅田を編集委員とする 『批評空間 』へと改組された 。だいたいそういう経緯です 。  

柄谷行人は N A Mから反原発デモにいたる過程で六〇年安保闘争へ先祖返りしたようにも見える 。その流れは 『批評空間 』が創刊された時点からすでに始まっていたのかもしれない 。ただ 、ぼく自身は 、 『批評空間 』が担うべき課題は 、署名だデモだといった政治運動 (それはそれでむろん重要だけれど )とは異なる理論的・批評的次元にあるはずだと考えていました 。冷戦が終結し 、新自由主義という名の下に 、プリミティヴな原型に回帰 した資本主義が世界を覆いつくそうとしている 。ケインズ主義的妥協の下で労働組合に支 えられていた労働者も 、マルチチュードへと還元され 、そこここでゲリラ戦を展開するほかなくなっている 。むろんそれは意味のあることだし 、そうしたゲリラ戦の連接を図ることも重要だろう 。しかし 『批評空間 』のなすべきことは 、たとえエリート主義と言われようが 、アド ルノのように「グランドホテル深淵 」に籠っていると見られようが 、やはり批判的知性を再構築することだろう 、と 。この点について柄谷行人と議論を詰めたことはないんですが 、 「政治に回帰する柄谷とアドルノ的エリート主義に回帰する浅田が呉越同舟で 『批評空間 』に 同居していた 」という見立てがあるとすれば 、 「そう見えたとしてもしかたないだろう 」と答 えるべきかもしれません 。 

ただ 、いまから振り返ると 、 『批評空間 』に意義があったとすれば 、それはなによりもまず 、東浩紀とスラヴォイ・ジジェクを導入したことでしょう 。東さんが 『批評空間 』に連載したデリダ論 ( 『存在論的 、郵便的 』の原型 )は 、いわゆる 「システムの自己脱構築 」を 、 閉じたかたちではなく 、ある種のコミュニケーションの問題として 、つまりある種の実践の問題として捉え直すもので 、一方における理論信仰 、他方における実践信仰というあまりに単純な両極化に対するオルタナティヴをはっきりと示してくれました 。  

また 、『批評空間 』はジジェクを日本で最初に訳したわけですね 。ジジェクのことは最初 のフランス語の本 ( 『最も崇高なヒステリー者 Le plus sublime des hystériques  』 〈原著 八八年 〉というヘーゲル論 )が出たときから知っていたけれど 、最初の英語の本 ( 『イデオ ロギーの崇高な対象 The Sublime Object of Ideology 』 、原著八九年 )はアルチュセールから出発していて (ラカンもそこから出てくる )われわれの文脈とも接合しやすかったし 、な によりアクロバティックな理論展開とレトリカルな見栄の切り方がおもしろいので 、ぜひ日本に紹介しようと考えたんです 。もちろんアラも多いので理論的に批判しようと思えばいくらでも批判できる 。しかし 、彼のトリッキーな言説は 、理論を超えて 、ある種の政治的な効果を持つのではないか 、と 。ここでもやはり理論信仰と実践信仰の単純な両極化に抗うことが問題だったといえるでしょう 。 


…………


こうも付け加えておこう、発信やレスポンスを求めてばかりいる大兄弟の世代の皆さんのために。

蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)  …僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。 東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦) 下らない。それは批評の死を意味します。
――中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田彰)

ネット社会の問題⋯⋯⋯。横のつながりが容易になったが、SNS上で「いいね!」数を稼ぐことが重要になった。人気や売り上げだけを価値とする資本主義の論理に重なります。他方、一部エリートにしか評価されない突出した作品や、大衆のクレームを招きかねないラディカルな批評は片隅に追いやられる。仲良しのコミュニケーションが重視され、自分と合わない人はすぐに排除するんですね。 (「逃走論」、ネット社会でも有効か 浅田彰さんに聞く、2018年1月7日朝日新聞)