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2020年3月4日水曜日

志位和夫と橋下徹


昨日、志位和夫なる人物はこう言っている。

志位和夫@shiikazuo 2020年3月3日
首相のコロナ対応の一番の問題は、専門家を尊重していないことだ。
一律休校要請の際、専門家会議の意見を聞いていなかった。
クルーズ船下船乗客の公共交通利用も、後に専門家会議の指摘を受け「自粛」に切り替えた。
専門家の知見を踏まえない「政治決断」はただの暴走だ。即刻改めてもらたい。

これは今回の安倍による一斉休校要請に対する批判の典型的言説のひとつだろう。専門家の知見に則った政治決断を、というものだ。

ところで学校に関して、次にありうるべき専門家の知見を踏まえた政治決断が必要なのは何だろう。おそらく1ヶ月の休みを経て、4月に始業をすべきなのか、もうしばらく休校し続けるべきか、が重要な決断となる。
専門家がお好きな政治家は、専門家集団にこれを求めてみたらどうだろう。今からでも是非これを準備していただきたい、と。わたくしも専門家の知見なるもののお手並みを拝見したい。そして専門家たちのあいだの意見がまったく統一できないだろうという憶測が杞憂であることを祈る者である。

さらに言えば、生物学者福岡伸一は「木を見て森を見ない傾向にある専門家」と言っているが、この通説を覆す試金石にもなりうる。

ところで、橋下徹は、志位和夫のたぐいとすることができるだろう政治家について、次のように言っている。

今、国会においては、野党は安倍さんに「根拠を出せ!」と追及している。今回、根拠を出せ!と言っている者はおよそ政治家ではない。「気配」で判断することを全く理解できない者は、危機時において国家を運営する能力がないことの証だ。

わたくしは橋下徹のファンでもなんでもないが、この件にかんしては、志位和夫のたぐいの政治家の発言よりはどんなに低く見積もっても百倍ぐらいはまともなことを言っていると思う。

以下、上の引用の前後をいくらか長く掲げておこう。

安倍首相は「一斉休校を決めたエビデンスはない」ことを堂々と公言すべき
新型コロナウイルスは、天然痘やエボラ出血熱のような「撲滅しなければならない/撲滅できる感染症」とは異なり、通常のインフルエンザ等と同じく、重症化を防げば症状は許容範囲であり、感染状態が目に見えてわからない「不顕性」感染症であることから、最終的には人類が「共生していかねばならない」感染症だ。

このように撲滅を目指す感染症ではなく、まだそのウイルスの実体がはっきりしていない場合に、その対策として重要なことは、感染者が増え始めた初期段階(感染期・移行期)における時点で、「ピークカット」「ピークずらし」をするということだ。

「ピークカット」「ピークずらし」とは、感染者が日本国内で指数関数的に爆発増加するのを防いだり、ウイルスの実体が明らかになるまで時間稼ぎをしたりすることだ。爆発増加を防いで、医療体制の崩壊を阻止し、時間稼ぎをして有効な医薬品を開発するためだ。

そして、この「ピークカット」や「ピークずらし」施策で難しいのは、感染状況のデータがそろっていない段階で、流行への流れの「気配」を感じ取って施策を打ち込まなければならないことだ。

感染状況がデータ的に明らかになった頃にはもう流行への流れを止めることができない。遅いのだ。……

学者などは、「明確な根拠を出せ!」と批判し続けるだろう。彼ら彼女らは、「気配」で踏み切らなければならない状況を経験したことがないからだ。

今、国会においては、野党は安倍さんに「根拠を出せ!」と追及している。今回、根拠を出せ!と言っている者はおよそ政治家ではない。「気配」で判断することを全く理解できない者は、危機時において国家を運営する能力がないことの証だ。

確かに平常時は明確な根拠に基づいた判断が重視される。しかし、危機時においては、明確な根拠なく判断しなければならないことの連続だ。だからこそ、選挙で選ばれた政治家に、その判断を行う役割が与えられる。
明確な根拠がなくても、選挙で選ばれたということの自信をもって、有権者に理解を求めることができる立場。

間違った場合には、有権者から猛批判を食らい、ある意味社会的に抹殺される立場。その上で、そのような者を選挙で選んだことに責任があると最終的に有権者を納得させる立場。

一方、学者たちはそこまでの責任を負っていない。明確な根拠を求めている間に、感染が爆発的に広がり医療体制が崩壊したとしても、彼ら彼女らは特段、責任を負わない。だからこそ、政治家が結果責任を負った上で判断しなければならない。

安倍首相は、新型コロナウイルスの感染拡大という危機時において「ピークカット」「ピークずらし」のための施策を打つには、明確な根拠を求めている時間的猶予がなかったことを積極的に発信していくべきだ。

時間稼ぎをしているうちに、ウイルスの実体が徐々に明らかになってくるだろう。そのときには、「ピークカット」「ピークずらし」の施策は、実体に合わせて修正していくべきだ。
そして、未知の危機に対処する大原則は、「初動で大胆に強い施策を打ち、実体が明らかになるにつれてその施策を縮小、解除していく」というものであることを国民も理解すべきだ。
小中高の一斉休校や大規模イベント自粛は、人の活動を抑制し、感染の爆発的増加(ピーク)を抑えることが目的だ。「休校しても満員電車がそのままなら意味がない」と言う人もいるが、企業活動を止めることは日本経済全体をまひさせることになり、それは不可能だ。

政治とは、どちらを選んでも痛みが伴うような状況で、それでも決断をすることだ。今回は、日本国全体での爆発的感染を防ぐために、人の活動をどこで抑制するのかと検討した結果、大規模イベント自粛と生徒・学生の活動を抑制する一斉休校を選択した結果になった。

…「目標を達成するためには、自らの要望を整理し、どこまでが『譲れるライン』でどこからが『譲れないライン』なのかを明確にしなければならない」…

今回の新型コロナウイルスへの対応策も同じだ。政府の、獲得目標は「ピークカット=全国での爆発的な感染者増加を防ぎ、時間稼ぎをする」ということだ。そして「譲れるライン」は大規模イベント自粛と一斉休校。「譲れないライン」は企業活動の全面的停止。

一斉休校も、社会防衛策なので日本全体で一斉にやらなければ意味がない。ただし、そこで生じるであろう問題、例えば共働き・一人親家庭の児童や特別支援が必要な児童に対しての支援策をしっかり講じ、子供のためにどうしても仕事を休まざるを得ない人の収入補償策も講じる必要がある。

不都合があるからといって、日本全体でやらなければならないことを放棄するのではなく、やるべきことをやるためにはどう不都合に対策を講じるかに知恵を絞る。

このようにして、危機を乗り切っていく日本の政治行政・日本社会にならなければならない。

今回のような危機事態においては、政治家は批判を受ける覚悟で、責任をもって判断し、施策を実行するべきだ。

失敗すれば社会的に抹殺されることもあろう。成功しても、たいして評価されることはないかもしれない。それでも国民、国を守ることが政治家の使命だ。