「やめてよ」と女
ーー谷川俊太郎「小景」
これだって詩だけどさ、
次のも。
私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの
世間知らずの子ども
その三つ児の魂は
人を傷つけたことも気づかぬほど無邪気なまま
百へとむかう
詩は
滑稽だ
詩を疑ったことのないヤツはダメだね
震災後の世界で、詩がそれほど役に立つとは思っていない。詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。震災後、みんなが言葉を求めていると聞いて意外。僕の作品を読んだ人が力づけられたと聞くと、うれしいですが。(谷川俊太郎「震災後 詩を信じる、疑う」)
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震災後の甘っちょろい詩の氾濫に辟易したはずなのに、この期に及んでふたたび同じことを繰り返そうとしているヤツは徹底的にダメだよ
詩人は嘘をつきすぎる。…
詩人のうち、酒の偽造をしなかったものがあろうか。……
感情のこもった興奮がやってくると、詩人たちはいつもうぬぼれる、自然がかれらに惚れこんだのだと。……
ああ、なんとわたしは詩人に飽き飽きしていることだろう。……
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わたしは古い詩人、また新しい詩人に飽きた。わたしにとってはかれらのすべてが、表皮であり、浅い海である。 かれらは十分に深く考え抜いたことがなかった。それゆえかれらの感情も、真に底の底まで沈んで行ったことがなかった。……
ああ、わたしはわたしの網をかれらの海のなかに投げ入れて、よい魚を捕えようとした。しかしわたしの引き上げたものはいつも、どこかの古い神の頭であった。……
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わたしから見れば、かれらは十分に清らかではない。かれらのすべては、自分の池が深く見えるように、それを濁すのである。……
たしかに、詩人の内部に真珠の見いだされることはある。それだけに、詩人自身はいよいよ殻の硬い貝類である。そして、魂のかわりに、わたしはしばしばかれらのなかに、塩水にひたった粘液を見いだした。……
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かれらはさらに海から虚栄心をも学び取った。海は孔雀のなかの孔雀ではなかろうか。……
まことに、詩人の精神そのものが孔雀のなかの孔雀であり、虚栄の海である。(ニーチェ「詩人」『ツァラトゥストラ』第2部1883年)
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