女のたたり
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神の外立 l'ex-sistence de Dieu (Lacan, S22, 08 Avril 1975)
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問題となっている「女というもの」は、「神の別の名」である。その理由で「女というものは存在しない」のである。La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu, et c'est en quoi elle n'existe pas, (ラカン、S23、18 Novembre 1975)
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享楽のたたり
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享楽は外立する la jouissance ex-siste (Lacan, S22, 17 Décembre 1974)
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女の孔徳の容にそって唯一道は進む。この道が物を為すのは、唯一恍惚の中である。[孔徳之容、唯道是従。道之為物、唯恍唯惚](老子『道徳経』第二十一章)
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古井:(ハイデガーの)エク・スターシスek-stasisとは本来、自身の外へ出てしまう、ということです。忘我、恍惚、驚愕、狂気ということでもある。(古井由吉・木田元「ハイデガ ーの魔力」2001 年)
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ーー《たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。》(折口)
異者のたたり(まれびとのたたり)
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外立の現実界がある il a le Réel de l'ex-sistence (Lacan, S22, 11 Février 1975)
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フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ。La Chose freudienne […] ce que j'appelle le Réel (ラカン, S23, 13 Avril 1976) |
モノを 、フロイトは異者(まれびと)とも呼んだ。das Ding[…] ce que Freud appelle Fremde – étranger. (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 26/04/2006)
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モノは享楽の名である。das Ding[…] est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)
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以下、折口信夫を引用するが、後期ラカンと直接的に結びつけるつもりはいまのところそれほどない(蚊居肢流逆言法?)。ただ表現群の近似性があるということは言える。後期ラカンの思考はエディプスの彼岸、つまり一神教的「父の名」ではなくいわば多神教的「父の諸名」の領野ーーその起源は「母の名」ーーにあるため、古代日本の思想家折口と似てくるのかもしれない(とだけここでは言っておこう)。
折口信夫「國文學の發生(第三稿)まれびとの意義」初出1929年
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客とまれびと
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客をまれびとと訓ずることは、我が國に文獻の始まつた最初からの事である。從來の語原説では「稀に來る人」の意義から、珍客の意を含んで、まれびとと言うたものとし、其音韻變化が、まらひと・まらうどとなつたものと考へて來てゐる。形成の上から言へば、確かに正しい。けれども、内容――古代人の持つてゐた用語例――は、此語原の含蓄を擴げて見なくては、釋かれないものがある。…
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まれびとと神
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私は此章で、まれびとは古くは、神を斥す語であつて、とこよから時を定めて來り訪ふことがあると思はれて居たことを説かうとするのである。…
てつとりばやく、私の考へるまれびとの原の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る靈物を意味して居た。……
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「外に立つ」(トに立つ)神
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にほどりの葛飾早稻をにへすとも、彼の可愛しきを外に立てめやも誰ぞ。
此家の戸押ふる。にふなみに、我が夫を行りて、齋ふ此戸を
此二首の東歌(萬葉集卷十四)は、東國の「刈り上げ祭り」の夜の樣を傳へてゐるのである。にへは神及び神なる人の天子の食物の總稱なる「贄」と一つ語であつて、刈り上げの穀物を供ずる所作をこめて表す方に分化してゐる。…
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にへする夜の物忌みに、家人は出拂うて、特定の女だけが殘つて居る。處女であることも、主婦であることもあつたであらう。家人の外に避けて居るのは、神の來訪あるが爲である。
「戸おそふる」と言ひ、「外に立つ」(トに立つ)と謠うたのは、戸を叩いて其來訪を告げた印象が、深く記憶せられて居たからである。とふはこたふの對で、言ひかけるであり、たづぬはさぐるを原義として居る。人の家を訪問する義を持つた語としては、おとなふ・おとづるがある。音を語根とした「音を立てる」を本義とする語が、戸の音にばかり聯想が偏倚して、訪問する義を持つ樣になつたのは、長い民間傳承を背景に持つて居たからである。祭りの夜に神の來て、ほと〳〵と叩くおとなひに、豐かな期待を下に抱きながら、恐怖と畏敬とに縮みあがつた邑落幾代の生活が、産んだ語であつた。だから、訪問する義の語自體が、神を外にして出來なかつたことが知れるのである。新甞の夜に神のおとづれを聽いた證據は、歌に止まらないで、東の古物語にも殘つて居た。母神(御祖神)が地上に降つたのは、偶然にも新甞の夜であつた。姉は、人を拒む夜の故に、母を宿さなかつた。妹は、母には替へられぬと、物忌みの夜にも拘らずとめることにした(常陸風土記)。
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賓客の待遇は神に對するとおなじ
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繰り返へして言ふ。我が國の古代には、人間の賓客の來ることを知らず、唯、神としてのまれびとの來る事あるをのみ知つて居た。だから、甚稀に賓客が來ることがあると、まれびとを遇する方法を以てした。此が近世になつても、賓客の待遇が、神に對するとおなじであつた理由である。だが、かう言うては、眞實とは大分距離のある言ひ方になる。まれびとが賓客化して來た爲、賓客に對して神迎への方式を用ゐるのだと言ふ方が正しいであらう。まれびととして村内の貴人を迎へることが、段々意識化して來た爲に、そんな事が行はれたのだ。
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折口信夫「「しゞま」から「ことゝひ」へ」
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歌垣の起源とまれびと
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日本の歌垣も支那の踏歌も、源流は一つなる農産呪術で、地霊を孕ませる為の祭事である。其が後には、人の行為に農神を感染させようとするものと言ふ風に考へて来た。併し元々、新に来た「まれびと」と穀物の神との間の誓言の「言ひかけ」に始まり、更に「とつぎ」を行うて、効果を確実ならせようとするのである。群衆客神と群衆巫女との様な形になつて来てはゐるが、実は根本思想はそこにあつたのである。「まれびと」の「ことゝひ」に対して、答へる形が段々様式化して、歌垣の「かけあひ」の歌となる。後には其も、文句がきまつて来て、「かけあひ」としての興味と、原義を失うた地方もある。筑波の嬥歌会の如きはさうしたものになつてゐたらしい。而も他の方では、依然即興の歌をかけあうて居たと見られる。歌垣・嬥歌会・小集会皆初春の行事であつたのが、今一度秋冬の間に行ふ様にもなつた。感謝の意味から出たのであらう。
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折口 信夫「古代生活に見えた恋愛」初出1926年
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三種類の処女
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一体、日本の処女の中で、歴史的に後世に残る処女といふものは、たつた一つしかない。其女といふのは神に仕へて居る処女だけであります。昔から叙事詩に伝へられて残つて居る処女といふものは、皆神に仕へた女だけであります。今で言へば巫女といふものであります。其巫女といふものは、男に会はないのが原則であります。併し、日本にも処女には三種類ありまして、第一の処女は私共が考へてゐるやうに、全く男を知らない女、第二の処女は夫を過去に持つた事はあるが、現在は持つて居ないで、処女の生活をして居る。つまり寡婦です。それからもう一つがあります。其は臨時の処女なのです。新約聖書を読みましても訣ります様に、家庭の母親なるまりあが処女の生活をすると言ふ事があります。或時期だけ夫を近寄らせないと言ふ事、其だけでも処女と言はれるのであります。つまり、全然男を知らない処女と、過去に男を持つたけれども、現在は処女の生活をして居るものと、それからもう一つは、ある時期だけ処女の生活を保つて居るものと、此三種類であります。
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神の嫁
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一体、神に仕へる女といふのは、皆「神の嫁」になります。「神の嫁」といふ形で、神に会うて、神のお告げを聴き出すのであります。だから神の妻になる資格がなければならない。即、処女でなければならない。人妻であつてはならない。そこで第三類の処女と言ふものが出来てくる。人妻であつても、ある時期だけ処女の生活をする。さういふ処女の生活が、吾々の祖先の頭には、深く這入つて居たのであります。
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折口信夫「「ほ」・「うら」から「ほがひ」へ」
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「志ゞま」の「ほ」
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「志ゞま」を守る神の意向は、唯「ほ」によつて表される。その上一旦、「志ゞま」の破れた世になつても、「ほ」を以て示す事の屡あることは、前に述べた。我が文学なる和歌に、「ほに出づ」「ほにあらはる」「ほにあぐ」など言ふ歌詞が、限りなく繰り返されてゐて、その根本の意義はいまだに漠としてゐる。必学者は秀や穂を以て解決出来た様なふりで居る。併し、ほぐと言ふ語の語原を説いた後に思ひあはせれば、今までの理会は妙なものであつた事に心づく事と思ふ。
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神のたたり
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後代の人々の考へに能はぬ事は、神が忽然幽界から物を人間の前に表す事である。…
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たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。ところが此処に考へねばならぬのは、善い意味の神は「そしり」「ことゝひ」を自在にするが、わるい意味の神又は、含む所があつて心を示さない神が、専ら「ほ」を示す事に変つて来る。「ほ」の意味の下落でもあり、同時に「ほ」なる語の用ゐられなくなつた一つの原因とも思はれる。
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折口信夫「古代生活に見えた恋愛」初出1926年
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一夜妻の起源
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…神祭りの時に、村の神に扮装する男が、村の処女の家に通ふ。即、神が村の家々を訪問する。その時は、家々の男は皆出払つて、処女或は主婦が残つて神様を待つて居る。さうして神が来ると接待する。つまり臨時の巫女として、神の嫁の資格であしらふ。「一夜妻」といふのが、其です。決して遊女を表す古語ではなかつたのです。此は語学者が間違へて来たのも無理はありません。一夜だけ神の臨時の杖代となる訣なのです。
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神の子
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村の若い男――一定の年齢の期間にある男、前に言つた元服をした男は、神に扮装する義務と、権利とがあつた訣なのです。一年の間に其神が、村の家々に来り臨む日がある。其日に神に姿をやつして、村の家々へ行く。さうすると巫女なる女が残つて居て、即まれびとを接待して、おろそかにせないのです。つまり神が其家へ来られたのを饗応する。
ところが段々其意味が忘れられて来まして、唯の若い衆である所の男が――神の資格を持たない平生の夜にも、――処女のある家には、通ふといふ風習に変つて参りました。だから、単なる村の人口を殖さうなどゝいふ考へから出た交訪ではなくて、厳粛な宗教的の意味から出発してゐたのです。若い衆は神の使ひ人、同時にある時期には、きびしい物忌みをして神になるものといふ信仰から出た制度であります。其で、神が来臨する祭りの夜は、男は皆外へ出払つて居つて、巫女たるべき女が残つて居る。さうした家々へ神人が行く。饗応をも受ければ、床も共にして、夜の明けぬ前に戻る。さうして若しも其晩子が寓ると、言ふまでもなく神の子として、育てたのです。決して人間の胤と考へない。
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祀られた母の国
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すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ〳〵の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)
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……「妣が国」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。妣は祀られた母と言ふ義である。(折口信夫「最古日本の女性生活の根柢」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)
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偉大な母なる神
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偉大な母なる神 große Muttergottheit⋯⋯もっとも母なる神々は、男性の神々によって代替される Muttergottheiten durch männliche Götter(フロイト『モーセと一神教』1938年)
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偉大なる母、神たちのあいだで最初の「白い神性」、父の諸宗教に先立つ神である。la Grande Mère, première parmi les dieux, la Déesse blanche, celle qui, nous dit-on, a précédé les religions du père (Jacques-Alain Miller, MÈREFEMME 2015)
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父の諸名に先立つ母の名 le nom de la Mère
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ラカンによるフランク・ヴェーデキント『春のめざめ』の短い序文のなかにこうある。父は、母なる神性・白い神性の諸名の一つに過ぎない noms de la déesse maternelle, la Déesse blanche、父は《母の享楽において大他者のままである l'Autre à jamais dans sa jouissance》と(AE563, 1974)。(Jacques-Alain Miller、Religion, Psychoanalysis、2003)
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ラカンは言っている、最も根源的父の諸名 Les Noms du Père は、母なる神だと。母なる神は父の諸名に先立つ異教である。ユダヤ的父の諸名の異教は、母なる神の後釜に座った。おそらく最初期の父の諸名は、母の名である the earliest of the Names of the Father is the name of the Mother 。(ジャック=アラン・ミレールThe Non-existent Seminar 、1991)
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