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2020年4月29日水曜日

折口の女性恐怖の彼岸

前回わずかに引用した文を見てもわかるだろうようにーーとくに三種類の処女、神の嫁、祀られた母等ーー、同性愛者かつ女性恐怖症者の折口信夫には女性への憧憬の叙述がふんだんにある。

以下の飯田真氏の折口論は「正しい」だろう(氏は中井久夫の友人で共著もある)。


飯田眞「折口信夫 診断日本人」より
里子・自殺企圖
折口信夫は明治二十年、大阪に生まる。父は婿養子にて醫を本業とし、さらに家業の生薬屋を兼ぬ。幼時一時大和小泉に里子に出され、木津小學校を經て明治三十二年に大阪府立第五中學に入學せり。明治三十五年五月(十六歳)父死亡す。明治三十七年、卒 業試驗に落ち、その前後に數囘の自殺企圖あり。されど翌三十八年(十九歳)には同校を卒業し得たれど、醫科を學ばせむとする家人の意を斥け、國學院大學に入學、同四十三年、拔群の成績にて卒業するや、釋迢空の號を初めて用ゐる。…
祖父・父・母
折口信夫の生家は古く續ける生藥屋なりき。信夫誕生當時の家族は、兩親の他、曾祖母、祖母、二人の母方の叔母、姉、三人の兄にて、後に弟二人生まる。「祖父は、飛鳥ニ坐ス神社の神官の子なりしが、折口家の養子となり、醫を本業とし、舊來の家業を兼ぬるも、 差別なく部落民の治療に當り、その徳人より慕はれれたり。父は壻養子として折口家に入り、 祖父の跡を繼げるも、氣むつかしく、荒々しき氣性の人にて、晩年には患者を診ること少なかりし。母はいはゆるお孃さん育ちにて、わがままなる人なりしが、父には痛々しく思はるゝ程 よく仕へ、父の代診をつとむるなど、獨身なりし叔母二人と家業を切り廻したり。」(『母と子』) 恐らく信夫の父は、母系家族に對する一種の反逆兒にてはなからんかと想像せらる。
里子、遠くにある母の影
信夫が幼年時代の資料極めて乏しけれども、『古代感愛集』に收められたる「幼き春」「乞丐 コツガイ 相」「追悲荒年歌」などの詩の中にうたはれし、幻想の織り込まれたる幼時の囘想を讀まんか、そが傷ましさ、想像を絶するものあり。「わが父にわれは厭はえ、我が母は我を愛 メグまず、兄姉と心を別きて、いとけなき我を育 オフ しぬ」(「幼き春」)「父のみの父はいまさず、ははそばの母ぞかなしき。はらからの我と我が姉、日に夜に罵 コロ ばえにけり」 (「追悲荒年歌」)。斯くのごとき彼の不幸なる幼年時代を決定づけたるものは、幼時の一時を里子に出されたることなり。里子に出されたる年齡、期間の詳細は明らかならざるも、このために幼年時代の信夫は母との對象關係斷ち切られたれば、我は見捨てられたりと感じ、 母の影は遠くのもの、覺束なきものとなりたりと推測せらる。
父への反感憎惡、祖父への憧れ
一方、父との對象關係も十分なるものにてはなく、當時「年と共に氣むつかしくなり、家人とも樂しげに話をかはすこともなく、母と顏をあはすことも嫌ひたり」(『母と子』) 父によりて彼の孤獨感の瘉されるべきすべもなかりし。かへりて父は母を信夫より遠ざくるていの人物なれば、部落民を診察することを拒否し、祖父の里との交際を斷つといふがごとき父の粗暴なる行爲は、幼き信夫の心に消しさりがたき父への反感、憎惡を生み、彼の出生前に死亡したる祖父への止みがたきあこがれと幻想的なる同一視おこり、祖父を父批判のよりどころとする結果となりたるがごとし。父に對する憎しみの激しきことは『近代悲傷集』の「すさのを」の 詩篇からも容易にうかがひ知らる。
母代りの叔母えい姉あい・姉との近親相関近似関係・姉との同一化
幼年時代の信夫は、母代りの叔母えい、姉あいによりて育てられたるならん。殊に八歳年上の姉とは、互ひに孤獨なる魂を温め合ふかの如くに親密にて、近親相姦的關係に近かりしかと想像せらるる節さへ見ゆる。「わが御姉 ミアネ 、 我を助けて、かき出でよ、汝が胸乳 ムナヂ 、あはれわれ、死ぬばかり、いと戀し、汝が生肌 イキハダ 」(「すさのを」) 晩年の『死者の書』におきても主人公大津皇子は、その刑死を萬葉集の中にてもつとも哀切なる同母姉大伯皇女への追慕によりて鎭魂せられたる皇子なり。 折口の中將姫を登場させたるは韜晦にてはなからむか。かくのごとき幼時の異常なる關係より自己の男性性との葛藤をおこし、去勢恐怖、さらには姉との同一化おこり、その結果異性愛が封じられ、これが後年の彼の女性恐怖、同性愛的傾向の發展につながるものと精神分析的に解釋釋すること可能なり。
兩親より遺棄
いづれにせよ幼年時代の信夫は、兩親よりいはば遺棄され、しかもそれを被虐的に自己に關係づけたれば、兩親との對象關係正常に發展せず、ために生に對する信頼感が弱く、 生命否定的となり、男性としての十分なる性的同一性を確立することのできなかりしことは疑ひなき事實なれば、これが彼の分裂氣質的人格の形成、恐怖症の發展を促し、同時に信夫を同性愛に導く要因となりたることは確實なり。
自己愛的・被害者意識
晩年の信夫と起居を共にせる加藤守雄の『わが師折口信夫』、岡野弘彦の『折口信夫の晩年』を讀むに、信夫の人柄、日常生活には、われわれ精神科醫が興味そそらせらるる部分、少なからず。

加藤は信夫の人間的印象につき次のごとく記す。「一オクターブ高き聲、なで肩にて丸味 ある體つき、いんぎんなる物腰、自己愛的、女性的なり」「氣性はげしく我が儘なる性格、惡意ある批評や自分を傷つけむとせる言論には痛烈に反撥、反應過敏にて被害者意識つよく、先生が怒りは、不當にいためつけられたる自我を囘復せむがための闘ひ」「電話のベルにて過敏に怖る。相手の正體のわかるまで安心できず」。これらの記述より推察しうる信夫は、過敏、自己愛的、人間不信的、被害的傾向を有する分裂氣質に屬する人と言ひえむ。
極度の潔癖・女性恐怖・饑餓恐怖・極端な刺激物嗜好
彼の日常生活にはかなりの奇行目につく。その第一は極度に潔癖なることにて、書庫や部屋の埃を嫌ひ、他人の手が觸れたる襖、障子の把手は着物の袖にて摑み、電車の吊皮を持つときは手袋やハンチングを使ふなど直接自分の手にては觸れず(岡野)、フライパンをクレオソートにて消毒し、手に觸るるものはアルコール綿にて拭く(加藤)など、不潔恐怖の症状とも見られむ。

第二は女性恐怖にて、恐らく此が第一の不潔恐怖の原型と考へ得るものにて、女性を不潔視し、身邊にはほとんど女性を近づけず、食事は女性に作らせず、妻帶者の弟子の入りたる風呂には入らず、電車、バスの中にて女性の髮の毛觸るれば、すさまじき嫌惡感を示せり(岡野)。信夫の恐怖覺えざる女性は、親族の他はおそらく身邊にありし老婢、あるいは 「神の嫁」としての巫女的なる役割にとどまりをりたる女性ならむ。
第三は饑餓恐怖とも稱せらるゝ一種の貯藏癖にて、戰爭末期より戰後にかけての時期、護符の如くに硼砂入りの四斗の米を貯へをりたり。他人より贈られたる果物などは腐敗せるものも捨てずにとりおきて、奇妙なる果實酒を作るなど致したり(岡野)。

第四は刺戟物に對する極端なる嗜好にて、三十種にも及ぶ茶を常備し、ジンジャーエール、 コーヒーを好みたり。齒磨きは薄荷、樟腦、クレゾールなどを加へたる自家製のものを用ゐ、 ロートエキスの錠劑を愛用し、息の詰らむばかりのユーカリ油をマスクに垂らすこともありたり。 子供の頃には樟腦を齧りしことありたると言ふ。その極點に當れるはコカインに對する嗜癖 にて、大正末期より昭和初年にかけてはかなり濫用し、その結果晩年にはほとんど嗅覺失はれたり(岡野)。因に彼が旅行の際には愛弟子の誰かを同行したる他、必ず數種の茶、胃腸藥、アルコール綿を携行したり(岡野)。




……


※付記

男性の同性愛において見られる数多くの痕跡 traits がある。何よりもまず、母への深く永遠な関係 un rapport profond et perpétuel à la mère である。(ラカン、S5、29 Janvier 1958)
男性の同性愛者の女への愛 L'amour de l'homosexuel pour les femmes は、昔から知られている。われわれは名高い名、ワイルド、ヴェルレーヌ、アラゴン、ジイドを挙げることができる。彼らの欲望は女へは向かわなかったとしても、彼らの愛は「女というもの Une femme 」に落ちた。すくなくとも時に。

男性の同性愛者は、その人生において少なくとも一人の女をもっている。フロイトが厳密に叙述したように、彼の母である。男性の同性愛者の母への愛は、他の性への欲望 désir pour l'Autre sexe のこよなき防御として機能する。…

私はすべてがそうであると言うつもりはない。同性愛者の多様性は数限りない。それにもかかわらず、…ラカンがセミネール「無意識の形成」にて例として覆いを解いた男性の同性愛者のモデルは、「母への深く永遠な関係」という原理を基盤としている。(Pour vivre heureux vivons mariés par Jean-Pierre Deffieux、2013 )
われわれが調べたすべての事例について確認されたのは、のちに性対象倒錯者(男性の同性愛者)になった者は、その幼児期の初めの数年に、非常に強烈な、だが短期間の女への固着 Fixierung an das Weib (おおむね母への固着)の時期をへてきていることである。そしてその女への固着を克服して、女との同一化 sie sich mit dem Weib identifizieren をし、自分自身を性対象 Sexualobjekt として選ぶようになる。すなわち、ナルシシズムから出発して、自分自身に似た男性を探し求める。そしてこの母との同一化した者たちは、母が彼らを愛したように、この彼らに似た若い男を愛する。

さらに、われわれはまた実にしばしば見出したのは、この性対象倒錯者たちが女性の魅力 Reiz des Weibesにまったく無感覚なのではなく、女性によって惹起された興奮 Erregung をたえず男性の対象に移行させている männliches Objekt transponierten ということである。彼らはこうして、その全生涯にわたって性対象倒錯を成立させたメカニズムを反復している。男性への強迫的追求 zwanghaftes Streben は、彼らの「やむことなき女からの逃避 ruhelose Flucht vor dem Weibe」によって決定づけられていることがわかった。(フロイト『性理論三篇』1905年、1910年注)

母との同一化 Mutteridentifizierungは、母との結びつき Mutterbindung の替りになるablösen 。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
子供は自分自身を母の場に置きindem er sich selbst an deren Stelle setzt、母と同一化 Mutter identifiziert し、彼自身をモデルVorbild にして、そのモデルに似た者から新しい愛の対象を選ぶことによって、彼は母への愛を抑圧する verdrängt die Liebe zur Mutter。…このようにして同性愛者となった者は、無意識裡に自分の母の記憶映像に固着 Erinnerungsbild seiner Mutter fixiert したままである、という主張が正当化される。母への愛を抑圧することによって彼はこの愛を無意識裡に保存し、こうしてそれ以後つねに母に忠誠 der Mutter treu な者となる。(フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』1910年)
少年は母を捨てないで verläßt nicht 自分を母と同一化 identifiziertして、彼女の中に自分を転化してwandelt 、いまや彼の自我の代理となるような対象を求め、その対象を彼が母から経験したように愛し慈しむ lieben und pflegen のである。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第7章、1921年)



…………


あゝ耳面刀自。…おれはまだお前を……思うてゐる。おれはまだ、お前を思ひ續けて居たぞ。耳面刀自。こゝに來る前から……こゝに寢ても、……其から覺めた今まで、一續きに、一つ事を考へつめて居るのだ。(折口信夫『死者の書』) 
をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。足の踝が、膝の膕が、腰のつがひが、頸のつけ根が、顳顬が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇。

をゝさうだ。伊勢の國に居られる貴い巫女――おれの姉御。あのお人が、おれを呼び活けに來てゐる。(折口信夫『死者の書』) 



七処女は、何のために召されたか。言うまでもなくみづのをひもを解き奉るためである。…みづのをひもを解き、また結ぶ神事があったのである。…みづのをひもは、禊ぎの聖水の中の行事を記念している語である。…そこに水の女が現れて、おのれのみ知る結び目をときほぐして、長い物忌みから解放するのである。(折口信夫『水の女』)
我々の幼い頃、京都辺で、夜、きむすめといふものがよく見えると言はれました。処女(キムスメ)の意味と、木が娘の姿に見える、といふ二つを掛けた、しやれた呼び名だつたのです。(折口信夫「万葉集に現れた古代信仰――たまの問題――」)