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2020年6月30日火曜日

イマージュの傍らの無


確かにイマージュとは幸福なものだ。だがそのかたわらには無が宿っている。そしてイマージュのあらゆる力は、その無に頼らなければ、説明できない。(ゴダール『(複数の)映画史』「4B」)


ゴダール『(複数の)映画史』「4B」

イマージュは対象a を隠蔽している。l'image se cachait le petit (a).(ミレール 『享楽の監獄 LES PRISONS DE LA JOUISSANCE』1994年)
対象aは無[ le rien]である。(ラカン、E817、1960)
モノは無物とのみ書きうる  la  chose ne puisse s'écrire que « l'achose »(ラカン、S18、10 Mars 1971) 
モノ La chose、それはもし美あるいは女とともにavec une belle ou avec une dame 現れないとしても、スクリーンの上の暗くされた部屋のなかのイマージュとともに dans la salle obscure avec une image qui est sur l'écran 現れる。(ラカン、S3, 31 Mai 1956)


ゴダール『(複数の)映画史』「3A」


現実界の中心にある空虚[vide au centre de ce réel]の存在を表象するこの対象は、モノla Choseと呼ばれる。この空虚は表象のなかに現れる。何もないものnihil、無rienとして。(ラカン, S7, 27  Janvier  1960)
モノLa Choseは享楽の空胞 vacuole de la jouissanceである。(Lacan, S16, 12 Mars 1969)
享楽の対象Objet de jouissance …フロイトのモノ La Chose(das Ding)…それは、喪われた対象 objet perdu である。(ラカン, S17, 14 Janvier 1970)
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ。La Chose freudienne […] ce que j'appelle le Réel (ラカン, S23, 13 Avril 1976)


ゴダール『(複数の)映画史』「1A」



モノは大他者の大他者である。モノは穴である。la Chose […] c'est l'Autre de l'Autre.  […] la Chose est équivalente à l'Autre barré[Ⱥ](J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)
モノは享楽の名である。das Ding[…] est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)


ゴダール『(複数の)映画史』「1A」



モノの概念、それは異者としてのモノである。La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, (Lacan, S7, 09  Décembre  1959)
ひとりの女は異者である。 une femme, […] c'est une étrangeté.  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)
異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)


ゴダール『(複数の)映画史』「4A」


「不気味なもの」は、仏語ではそれに相応しい言葉がない。フロイトの『不気味なもの (Das Unheimliche)』は、L'inquiétante étrangeté と訳されている。すなわち「不穏をもたらす奇妙なもの」。ラカンはそのかわりに、外密extimitéという語を発明した。(ムラデン・ドラ―Mladen Dolar, I Shall Be with You on Your Wedding-Night": Lacan and the Uncanny,1991)
親密な外部、この外密 extimitéが「モノ la Chose」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose (ラカン、S7、03 Février 1960)
モノとしての外密 extimitéという語は、親密 intimité を基礎として作られている。外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。外密は、異者としての身体のモデルmodèle corps étrangerである。…外密はフロイトの 「不気味なもの Unheimlich 」同じように、否定が互いに取り消し合う語である(親密/不気味 [Heimlich / Unheimlich])。(J.-A. Miller, Extimité, 13 novembre 1985)


ゴダール『(複数の)映画史』「2A」


女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)