2020年7月31日金曜日

おさが湿る


乾盃の唄  川崎洋

飲みはじめてから
酔いが一応のレベルに違することを
熊本で
「おさが湿る」というそうな
「おさ」は「鰓」(えら)である
きみも魚おれも魚
あの女も魚
ヒトはみな形を変えた魚である
いま この肥後ことばの背後にさっとひろがった海へ
還ろう
やがて われらの肋骨の間を
マッコウクシラの大群が通過しはじめ
落日の火色が食道を赤赤と照らすだろう
飲めね奴は
陸(おか)へあがって
知的なことなんぞ呟いておれ
いざ盃を


「おさが湿る」は実にいい言葉だな。
ネットで探してもないけど、今は熊本でも使わないんだろうか。


ところで女たちはおさが湿ると鞘も湿るんだろうか。

妻とギー兄さんは森の鞘に入って山桜の花盛りを眺めた日、その草原の中央を森の裂け目にそって流れる谷川のほとりで弁当を食べた。(……)そして帰路につく際、ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)
山桜の大木はかならずといってよいほど、二つの丘の相会うところ、やわらかにくぼんでやさしい陰影を作るところ、かすかな湿りを帯びたあたりにある。

(……)山ざくら、この日本原種の桜は、けっして群がって咲きはしない。山あいの窪に、ひっそりと、かならず一もとだけいるのである。そして、女体を思わせる地形がかすかにしかし確実にエロスを感じさせる陰影の地に直立して立つ優雅な姿のゆえに、桜は、古代の人の心を捉えたのであろう。(中井久夫「桜は何の象徴か」)

ボクは「わが立つ杣に冥加あらせたまへ」って具合にはならないけどな、ウィスキーならまだしも、ビールやワインだととってもアンチ冥加だよ。札幌に仕事行ってピチピチの乙女を5人連れてビール園で10リットルぐらい飲んだことがあるけど、そのあと誘惑されても(?)不如意棒だったな。でも鮨屋での日本酒はいけるね、ヘベレケに飲んだって赤貝やら鮑やらに対峙できるさ。