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2020年7月3日金曜日

セクシャリティとコピュリン

ははあ、ブルース・フィンクは最近の愛をめぐる書でとっても大切なことを註にて示しているな。


ボクはフィンクはあまり読まないけどーー彼は誠実過ぎるラカン注釈者で刺激が足りないーー、でもこれはいい。《コピュリンと呼ばれる女性のヴァギナホルモンは、テストステロン(男性ホルモン)のレベルを上げて性欲を増大させる[female vaginal hormones called copulins that …raise testosterone levels and increase sexual appetite in men](Bruce Fink, Lacan on Love: An Exploration of Lacan's Seminar VIII, 2017)。ラカンの対象aには眼差しや声があるのに、においがないのは大きいな欠陥だからな。

コピュリンについては、日本でもこんな記事がある。

女性の体には、生理前→生理中→生理後→排卵前→排卵期→生理前...というサイクルがある。このうち、「排卵期」になると妊娠しやすくなり、男性を誘うフェロモンを発することが様々な研究で明らかになっている。

2011年、米フロリダ州立大学の心理学者、ソウル・ミラー教授は、女性の汗のニオイを男性にかがせる実験でそれを確かめた。11人の女性学生に新品のTシャツを配り、「排卵期」の3日間と、そうでない時期の3日間、ずっと着続けてもらった。その際、香水や化粧水などの使用は一切禁じ、ソープも無香性のものに限定した。

そして、男子学生たちの2種類のTシャツのニオイをかがせて、「どちらの方が性的な気持ちの高まりを感じるか?」と尋ねた。すると、ほとんどの男子学生が「排卵期」のTシャツを選んだ。また、男子学生の血液を採取し、男性ホルモンのテストステロンの量を測ると、「排卵期」のTシャツをかいだ時の方が明らかに高かった。ニオイをかいで興奮したのである。

ソウル・ミラー教授は「男性は、本能的に子孫を残せる相手を求めています。女性が妊娠しやすい時期にあることを臭覚で察知しているのです。女性も今の自分ならあなたの子どもを生めるわ~、とニオイでアピールできるフェロモンを排卵期になると放出すると考えられます」と語っている。

そのフェロモンとは「コピュリン」と呼ばれる物質だ。別の研究で、コピュリンをニオイがわからないほど薄めて男性にかがせる実験を行なった。複数の女性の写真を見せると、どの女性に対しても「魅力的だ」と答える男性が多かった。女性なら誰でもキレイに見えて評価が甘くなる効果があるのだ。コピュリンは最近、多くの香水に使われている。(「女性はエッチなフェロモンを出すってホント?」2016)

こういう記事がある一方、効果なんてたいしてないという話もある。➡︎ 「Synthetic Copulin Does Not Affect Men's Sexual Behavior, Megan N. Williams & Coren Apicella, 2018

ーーコピュリン絶賛系の科学論文は、裏に香水業界がついているに決まっているのでご注意を!

とはいえ、フェロモンを否定したらもともこうもないので、コピュリンなる性誘引物質がそのうちのひとつであるのは確かだろう。

フェロモンの定義は「動物個体から放出され,同種他個体に“特異的な反応”を引き起こす 化学物質」だそうだ(「フェロモンなどの匂いを介したコミュニケーション」篠原一之、西谷正太)。

この論文にはフェロモンの四分類が示されている。



さらに腋下フェロモンが強調されているが、子宮フェロモンだってあるに決まっている。

無時間的なものの起源は、胎内で共有した時間、母子が呼応しあった一〇カ月であろう。生物的にみて、動く自由度の低いものほど、化学的その他の物質的コミュニケーション手段が発達しているということがある。植物や動物でもサンゴなどである。胎児もその中に入らないだろうか。生まれて後でさえ、私たちの意識はわずかに味覚・嗅覚をキャッチしているにすぎないけれども、無意識的にはさまざまなフェロモンが働いている。特にフェロモンの強い「リーダー」による同宿女性の月経周期の同期化は有名である。その人の汗を鼻の下にぬるだけでよい。これは万葉集東歌に残る「歌垣」の集団的な性の饗宴などのために必要な条件だっただろう。多くの動物には性周期の同期化のほうがふつうである。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年初出『時のしずく』所収)

試験管ベービーのたぐいを除いて、人の身体にはみな、胎内のにおいの刻印がある。これこそ対象a(喪われた対象)の根源の代表的なもののひとつであり、そのにおいを取り戻そうとする絶え間ない享楽回帰ーー無意識のエスの反復強迫ーーがある筈である。

反復は享楽回帰に基づいている la répétition est fondée sur un retour de la jouissance 。…フロイトによって詳述されたものだ…享楽の喪失があるのだ il y a déperdition de jouissance。.…これがフロイトだ。…マゾヒズムmasochismeについての明示。フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse」への探求の相がある。…

享楽の対象は何か? [Objet de jouissance de qui ? ]…
大他者の享楽? 確かに!  [« jouissance de l'Autre » ? Certes !   ]

享楽の対象としてのフロイトのモノ La Chose(das Ding)…モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
モノは母である。das Ding, qui est la mère (ラカンS7, 16 Décembre 1959)

モノは対象aである。そして《母は構造的に対象aの水準にて機能する C'est cela qui permet à la mamme de fonctionner structuralement au niveau du (а).  》(Lacan, S10, 15 Mai 1963 )。だがより厳密には原喪失としての対象aは、ラカンにとって「ラメラという羊膜の喪失」である。

とはいえ究極の享楽回帰とは母胎回帰に収斂する。

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

ーー女性において自傷行為や拒食症が多発するのはこの子宮回帰欲動のヴァリエーションだと想定される(参照)。

話を戻せば、ヴァギナフェロモンについては、においの本格的研究は1990年前後に始まったばかりなのでまだほとんどのことが曖昧なだけである。


生物が、外部環境を識別するために発達させた感覚機能には、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の 5つがあります。いわゆる「五感」です。そのなかであえて順位をつけると、生物学的に一番重要だと考えられる感覚は嗅覚です。その理由として、まず「こちらからコンタクトしなくてもその存在が確認できる」という点があげられます。たとえば視覚であれば、対象物が自分の視野に入ってはじめて認識することができます。味覚の場合は、対象物を口に入れる、というこちらからの積極的なコンタクトが必要になります。しかし嗅覚はどうでしょう。嗅覚は、相手が見えなくても、接触しなくても、そのにおい物質が空気中を拡散して伝われば、その存在を認知できるシステムになっています。

もうひとつ、嗅覚の重要説を裏付けるものとして、においの「レセプター(受容体)」について触れておきましょう。人間は、各対象に対応したレセプターを持ってはじめて、対象を感知することができます。たとえば味覚であれば、甘味、苦味、酸味などを感知するレセプターを 5つほど持っていて、その組み合わせによって味を判断しています。視覚も同様で、光の粒子を感知する数種類のレセプターで色を認識しています。そして嗅覚はというと、においのレセプターが発見されたのは、約 20年前のことです。発見したのは女性研究者、リンダ・バック博士。彼女の研究によってわかった人間のにおいレセプターの数は、少なくとも数百種類あります。人間の遺伝子が 2万数千種類であるのに対して、その全体の数パーセントを、においに関する遺伝子が占めていることになります。ここまでたくさんの数の遺伝子を用意している組織は、ほかにありません。人間にとってどれだけ嗅覚が大切か、お分かりいただけるでしょう。(福岡伸一「生物の進化と“ におい ”の関係」2010年)


こういったことは直観的にであれ昔からの言われてきた。ボードレールにはそれがふんだんにあるが、ここではホルクハイマー&アドルノを引用しよう。

においを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。 (ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』)


何はともあれ、子宮内から発するコピュリンなるフェロモンが男女の「リビドーの身体」としてのコミュニケーションに、ある意味で決定的役割を果たしているのは間違いなかろう。

人は心的外被に過ぎない自我の領域ばかりで考えていたらダメなのである。

フロイトラカンの基本図式


最後にいくらかキワモノっぽい感がないわけではないコピュリン解説映像を貼り付けておこう。