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2020年10月26日月曜日

究極の穴は何だろうか

 ラカン派において次のような形で図示されるとき、上部が象徴界で底部が現実界ということである。




このような形のとき上部は、想像界も含まれる。なぜなら想像界は、基本的に象徴界によって構造化されているから。たとえば愛は想像界だが次のように示される。




これらは別の言葉で示せば、次のようになる。


象徴界は言語である。Le Symbolique, c'est le langage(Lacan, S25, 10 Janvier 1978)

ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない。Die Bedeutung des Phallus  est en réalité un pléonasme :  il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus.  (ラカン, S18, 09 Juin 1971)

言語、法、ファルスとの間には密接な結びつきがある。父の名の法は、基本的に言語の法以外の何ものでもない。法とは何か? 法は言語である。Il y a donc ici un nœud très étroit entre le langage, la Loi et le phallus. La Loi du Nom-du-Père, c'est au fond rien de plus que la Loi du langage ; […] qu'est-ce que la Loi ? - la Loi, c'est le langage.  (J.-A. MILLER, - L’Être et l’Un,  2/3/2011)


現実界は穴=トラウマを為す。le Réel […] ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)

ラカンの現実界は常にトラウマ的である。現実界は穴である。Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)


で、究極の穴は何だろうか。


女は何も欠けていない La femme ne manque de rien(ラカン, S10, 13 Mars 1963)

不気味なもの Unheimlich とは、…私が(-φ)[去勢]を置いた場に現れる。…それは欠如のイマージュimage du manqueではない。…私は(-φ)を、欠如が欠如している manque vient à manquerと表現しうる。(ラカン, S10, 28 Novembre 1962)

欠如の欠如 が現実界を為す Le manque du manque fait le réel(Lacan, AE573、1976)



巷間の一般的言説や学者の世界の言説は、究極の穴を思考することを抑圧して、やれ男と女は違う、やれ男は言語的だ、やれ女は身体的だ、のたぐいの戯言を言い続けてきたし、今もそうである。





フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ。La Chose freudienne […] ce que j'appelle le Réel (ラカン, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである。La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, (Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

ひとりの女は異者である。 une femme […] c'est une étrangeté.  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)

異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)



何よりもまず女が男に比べて身体的なのは、子宮を抱えているせいである。シンプルにこれでよろしい。だがなぜ女のほうが非性的な愛の妄想に耽けることが多いのか。それは「子宮で考える」自らの実存に対する過剰防衛である。


我々の言説はすべて現実界に対する防衛(=抑圧)である tous nos discours sont une défense contre le réel である。(J.A. Miller,  Clinique ironique, 1993)

「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé …この意味はすべての人にとって穴があるということである[ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou.  ](J.A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 )


凡庸な女たちやオタメゴカシの学者たちが抑圧してきたことーーすぐれた女たちはとっくのむかしから連中を笑い飛ばしているはずであるーーを作家たちや精神分析家はすでに明瞭に語ってきた。


女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似てをり、お月さまの影響を受けてゐる。(三島由紀夫「反貞女大学」)

男がものごとを考える場合について、頭と心臓をふくむ円周を想定してみる。男はその円周で、思考する。ところが、女の場合には、頭と心臓の円周の部分で考えることもあるし、子宮を中心にした円周で考えることもある。(吉行淳之介『男と女をめぐる断章』)

素子とは何者であるか? 谷村の答へはたゞ一つ、素子は女であつた。そして、女とは? 谷村にはすべての女がたゞ一つにしか見えなかつた。女とは、思考する肉体であり、そして又、肉体なき何者かの思考であつた。この二つは同時に存し、そして全くつながりがなかつた。つきせぬ魅力がそこにあり、つきせぬ憎しみもそこにかゝつてゐるのだと谷村は思つた。   (坂口安吾「女体」)

女が事実上、男よりもはるかに厄介なのは、子宮あるいは女性器の側に起こるものの現実をそれを満足させる欲望の弁証法に移行させるためである。Si la femme en effet a beaucoup plus de mal que le garçon, […] à faire entrer cette réalité de ce qui se passe du côté de l'utérus ou du vagin, dans une dialectique du désir qui la satisfasse  (Lacan, S4, 27 Février 1957)