私の手元にある荷風の日記は文庫版で印はついてないのだが、原稿あるいは岩波全集版には黒丸等の印がついているそうだ。
「断腸亭日乗」ではインクによる●(黒丸)が日付けの所々についていた。これは一体何の印なのだろうか。研究者がその日の記述内容を検討してみると、どうみてもセックスをした符号としか考えられなかった。その●は昭和4年5月以降から記されていたのです。
|
●のナゾ、セックスのしるしか
吉野俊彦著『「断腸亭」の経済学』 NHK出版(1999年7月刊)が、この点を克明に分析しているで紹介しましょうね・・・。
その黒丸がついているのは昭和4年(荷風50歳)で41回、5年(51歳)で87回、6年(52歳)89回、7年(53歳)69回、8年(54歳)85回、9年(55歳)66歳、10年(56歳)、11年(57歳)60回、12年(58歳)70回、13年(59歳)59回、14年(60歳)72回、15年(61歳)53回、16年(62歳)47回、17年(63歳)64回、18年(64歳)52回、19年(65歳)28回という具合である。
さらに、黒丸が2つついている、つまり日に2回セックスを行ったという印だが、昭和4年12月、昭和5年2月、昭和7年12月にあり、荷風の老年セックス記録というわけだ。
|
(日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風を歩け(7))
|
精力絶倫日本一
昭和20,21年には●は出てこないが、22年には2回記されており、以後は全くない。ところが、22年から新たに赤鉛筆の○が出てくる。これは、一体何の印であろうか。
23年(68歳)45回、23年(69歳)76回、24年(70歳)56回、25年(71歳)61回、26年(72歳)67回、27年(73歳)81回、28年(74歳)68回、29年(75歳)47回、30年(76歳)40回、31年(77歳)33回、32年(78歳)4回つけられており、以後はない。
|
これをセックスの回数だとみると、70歳代で5,60歳のもろよりも盛んということになるが、荷風もそこまで性豪ではないであろう。実際のセックスそのものではなく、多分、性にまつわるもの、セックスの夢とか、性欲を刺激された女性との交渉、会話、会った事などを憶えておくための印ではないだろうか。そう考えれば納得がいく。
それにしても、死ぬまで性の衝動を忠実に記録したその執念には驚く。これにはあの世界のポルノ古典文学の『カサノバ日記』も真っ青の、一品じゃ。。
|
(日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風を歩け(8) -変態オヤジ-)
|
どうだろうね、皆さんも。
もっとツイッター有効に使ったら。
黒丸や赤丸等を記すように習慣づけてさ。
オナニーだったら▲とか。
女性の場合ならレイプ妄想や痴漢妄想しちゃったわ
とかの印も赤丸ヴァリエーションとかでつけてさ。
そうしたらツイッターながめても退屈しなくなるんだがな
人間は、人殺しだとか、裏切りだとか、泥棒だとかいう言葉を、平気で人前でしゃべり散らしているくせに、どうして性交という言葉は、歯の間で噛み殺してしまうのであろう、言葉に出して発散してしまわない方が、その思想を拡大することができるというわけか知らん、とモンテエニュは言っている。続いて、この苦労人は、世間で最も稀れにしか使われぬ言葉が、世人に最もよく広く知られた言葉であるとは、実におもしろいことである、と言う。おもしろいことかもしれない。あるいは恐ろしいことかもしれない。人間という奇妙な動物は、己れを恐れている、これも確かモンテエニュの言葉である。いずれにせよ、これは、あらゆる好色文学が花を咲かせる謎めいた地盤のように思われる。(小林秀雄「好色文学」昭和二十五年七月)
|
とくに芸術愛好家の方々には義務づけたいぐらいだね
芸術とは所詮、情慾の一変形に外ならぬ。名文家と好色家との間にある心理的もしくは生理的な必然の関係は将来必ず研究発表されるであらう。ダンヌンチオの詩文、レニヱーのもの、わが荷風文学も亦その時の有力な証左として引用さるべきものであらう。色情は本来、生物天与の最大至高のものである。それを芸術にまで昇華発散させるのが人間獣の能力、妙作用である。色情によつて森羅万象、人事百般を光被させるのが所謂芸術の天分である。グルモンの所説の如く美学の中心は心臓よりももつと下部にある。この認識が荷風文学を理解の有力な鍵である。(佐藤春夫「永井荷風」1952年)
|
だいたい「あゝなんて美しいんでしょう!」ってのは、 「あゝとっても腰の奥の力の圧力抜きしたいわ」ってことじゃないか と睨んでいるんだけどさ、 どうなんだい、「ああ…」を連発してるそこのお嬢さん?
|
芸術や美へのあこがれは、性欲動の歓喜の間接的なあこがれである。Das Verlangen nach Kunst und Schönheit ist ein indirektes Verlangen nach den Entzückungen des Geschlechtstriebes (ニーチェ遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )
|
すべての美は生殖を刺激する、ーーこれこそが、最も官能的なものから最も精神的なものにいたるまで、美の作用の特質である。daß alle Schönheit zur Zeugung reize - daß dies gerade das proprium ihrer Wirkung sei, vom Sinnlichsten bis hinauf ins Geistigste... (ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」22節『偶像の黄昏』1888年)
|
もっともいくらかレベルの高いこういった話もあるな。
これまでのところ、人間の最高の祝祭は生殖と死であるに違いない。So weit soll es kommen, daß die obersten Feste des Menschen die Zeugung und der Tod sind! (ニーチェ遺稿137番、1882 - Frühjahr 1887)
|
|
美は、最後の障壁を構成する機能をもっている、最後のモノ、死に至るモノへの接近の前にある。この場に、死の欲動用語の下でのフロイトの思考が最後の入場をする。〔・・・〕この美の相、それはプラトン(『饗宴』)がわれわれに告げた愛についての真の意味である。« la beauté » …a pour fonction de constituer le dernier barrage avant cet accès à la Chose dernière, à la Chose mortelle, à ce point où est venue faire son dernier aveu la méditation freudienne sous le terme de la pulsion de mort. […]la dimension de la beauté, et c'est cela qui donne son véritable sens à ce que PLATON va nous dire de l'amour. (Lacan, S8, 23 Novembre 1960)
|
こっち系だったらもっといっそう尊敬するよ。
|
美は現実界に対する最後の防衛である。la beauté est la défense dernière contre le réel.(J.-A. Miller, L'inconscient et le corps parlant, 2014)
|
死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である。La pulsion de mort c'est le Réel …la mort, dont c'est le fondement de Réel (Lacan, S23, 16 Mars 1976)
|
|
蚊居肢ブログだって印つけてもいいんだけどさ
誰かジャコメッティの宙吊りになった玉[boule suspendue]
の絵文字作ってくれないかな、
だいたいこのパターンが多いんだから。