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2021年2月23日火曜日

花ざかりの藤の鉢

 なんてステキなエッセイだろう、飯田線を中学から高校時代しばしば利用したということもあるが、文章自体に限りなく魅せられる。私は中井久夫のエッセイが根っから好きなんだが、最近こういった文を書ける随筆家っているんだろうか。欧米起源のこごしくこちたい訳語を使われただけでもう失格だよ、とくに詩文においては。

ああこの人が世界にいてくれてほんとによかったと思う書き手ってのはほんの数人しかいないのは間違いないのだが、中井久夫以外の名をあげようとすると考え込んでしまうからやめとくさ


かつては列車に乗り合わせたら、どちらともなく声がかかり飴や蜜柑やおにぎりが行き交い、仕事話や故郷話が出た。そして出口で他人に戻って別れた。新幹線が走るころからなくなった習慣である。


車中の団欒が消滅したのはなぜだろう。新幹線や特急ではあっという間に着く。どうやら四時間以内なら人間同士黙ったままでおれるらしい。ローカル線ではどうだろうか。たいていはがら空きである。自然、離れて座る。「袖振りあうも他生の縁」というが、わざわざ振れあわせに行くものではない。あれは満員の各駅停車で長距離を行く旅でこその話であったのだ。今は五、六駅で人ががらりと入れ代わる。


筑肥線は一両だけになって美しい唐津の町を背に内陸部に入る。川は逞しいうなじを光らせて流れ、稲の葉先は出揃い、赤とんぼは風に逆らって飛ぶ。しかし、唐津から乗った塾帰りの中学生もいつか降り、車中の人はいつも二、三人となって、ディーゼルカーは無残に荒れた無人駅をめぐってゆく。


思い起せば、四年前、高遠の桜を見ての帰り、豊橋まで飯田線の各駅停車に乗った。天竜川沿いの四時間である。発車してまもなく、おばさんが話しかけてきた。孫の自慢をして五駅ほどで降りた。しかし、それから次々に人が話しかけてくる。中年の土地の人、四人組の名古屋のおばさん、ダム工事の技師、近く渡米する電力会社の青年 ――。「不思議」は「なるほど」に変わった。私は高遠の花の市で満開の藤の鉢植えを買って持っていた。通路に置いてあるその鉢が鍵であった。「いい藤だね、どこで買いなすった、いい買い物だ。時々酒をおやんなさい」で始まった地元の人、「まあきれい、ね、ちょっとあなた」と仲間のほうを向いて話すことから始めた名古屋の女性たち、等々。


結局、人間は人間に話しかけたくてうずうずしているのだ。過疎地ならなおさらであろう。しかし、うっかり話しかけるのは危ない。相手が悪い人間でないという感触と、不自然でないきっかけが必要なのである。花ざかりの藤の鉢は、その二つの条件を満たしてくれた。日本人が今も「花が好きな人間はまあいい人間だ」と思っているのがわかる。人恋しい独り旅は花の鉢をもってローカル線に乗るのがいいかもしれない。ひょっとすると時刻表でもよいのかも。ああいうものをためつすがめつしている独り旅の初老の男はあまり悪人にみえないだろう。(中井久夫「花と時刻表」初出1991年「神戸新聞」『記憶の肖像』所収)