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2021年3月18日木曜日

人間は頭脳よりも先ず下半身で他のサル類に勝った

 


部隊と行動を共にした従軍看護婦が兵達を慰安した。

一人の将校に独占されていた婦長が、進んでいい出したのだそうである。

彼女達は職業的慰安婦ほどひどい条件ではないが、一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制された。

山中の士気の維持が口実であった。

応じなければ食糧が与えられないのである。(大岡昇平『俘虜記』)



慰安所と慰安婦の数


………………


「従軍慰安婦」問題に関する集会で必ず出てくる発言に、「自分もその場にいたら同じことをしたかもしれない」というのがある。若い世代の男性にも少なくないし、他の人権問題に専門的に関与している人からもある。男性の性欲の発露だから仕方がないという類の、この種のナイーブな性欲自然主義の正体は一体何なのだろうか。(大越愛子「「従軍慰安婦」問題のポリティックス」『批評空間』Ⅱ 11-1996)


問いはなぜこういったことをマガオでいってしまうフェミニストがいるかだな、まずは。


最近でもこうだ。


性欲にはけ口が必要であるならば、ムラムラは自分で解消すればいい。相手のあるセックスをしたければ、相手の同意が必要なのは当たり前だろう。セックスは人間関係なのだから、関係をつくる努力をすればよい。〔・・・〕


カネまで払って男性がやりたい理由は、私には永遠の謎だ。男たちが変わるのに何世紀かかるかわからないが、この男の不気味さは男に解いてもらいたい。(上野千鶴子「売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化」週刊ポスト2013年6月7日号)




どこかで知的退行が起こったんじゃないだろうか、とくにセクシャリティについて。

ジェンダー理論は、性差からセクシャリティを取り除いてしまった。(ジョアン・コプチェク Joan Copjec, Sexual Difference, 2012年)

驚くべきは、現代ジェンダー研究において、欲動とセクシャリティにいかにわずかしか注意が払われていないかである。(ポール・バーハウ  Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸にある欲動 drive beyond gender 』2005年)

追っかけと誘惑[Pursuit and seduction]はセクシャリティの本質である。(カミール・パーリア Camille Paglia, Sex, Art, and American Culture, 1992年)


私は、本能生活の非モラル性[amorality of the instinctual life]において、フロイト、ニーチェ、サドに従っている。(カミール・パーリア「性のペルソナ 」1990年)

フロイトを研究しないで性理論を構築しようとするフェミニストたちは、ただ泥まんじゅうを作るだけである。(Camille Paglia, Sex, Art and American Culture, 1992)




こういう話を持ち出すと、自我心理学系のーーシツレイながら「浅はかな知」のみを信奉する連中が「成熟」のたぐいの言葉を使って反論するのだろうけどさ。


戦闘消耗…ベテラン下士官などが、馬鹿馬鹿しい、どうでもなれ、と銃を捨てて寝そべってしまう現象〔・・・〕。これを防ぐために、ナチス・ドイツは末期まで三週間ごとに休暇を与え、ベトナムの米軍はヘリコプターでサイゴンに兵士を送り返していたのである。 (中井久夫『復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録』)


「欲動の抑圧」と「抑圧の残滓」


ひとりの女は異者である。 une femme, […] c'est une étrangeté.  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. 


しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat.


「愛は郷愁だ」とジョークは言う。 »Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort,


そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい。und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen. 


したがっての場合においてもまた、不気味なものはこかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)



ーーもしこれではご不満な方は、より基本的な「フロイトの愛の定義」を参照されたし。


ここではフロイトラカンのたぐいはもうやめて、上野千鶴子さんがとても尊敬しているらしい中井久夫をいくらか掲げておく。


◼️人間は頭脳よりも先ず下半身で他のサル類に勝った

家族というものは、別に人間の発明ではない。少産育児系統の動物は、魚であろうとゾウであろうと家族を営む。多産運命任せ系統ならば家族を持たない。例外や中間例はいくらでもあるだろうが、だいたいそう言ってまちがいない。


人間はどうも両方の可能性を持っているのではないか。他のサル類を圧倒したのは、スズメ型戦略、すなわち数である。その戦術の第一が、三六五日、時を構わず性交できる点、第二は、妊娠期間が例外的に短く、しかも出産後、すぐまた妊娠できる点である。短期間にたくさんの子ができる。人間は頭脳よりも先ず下半身で他のサル類に勝ったのである。だから最古の美術が腹部のふくれた、おそらく妊娠した女性の堂々たる像を描き、また多数の女性器をいたるところに記しているのかもしれない。


ただ、母子家庭である他のサルたちと違って、父(夫)が家族の一員になった。頻繁に生まれる子の育児のためだという。父(夫)は専属の下働き、外働き要員である。それまでオスは群全体を守る外働きだった。だから軍隊のように上下関係があるわけだ。


スズメ型であったならば、食物連鎖の頂点にいなかったはずで、もともとは他の肉食獣に食われる存在だったにちがいない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収)


◼️人類最古の職業:王・売春婦・精神科医

古代都市の成立は、技術史家ルイス・マンフォードによれば、すでに人力による巨大機械の成立であり、今日まで連続する事態であるという。逆に見みれば、古代都市の成立あるいは一般に civilisation とは、人類文化の人間個体への一身具現性の急激な低下である。医師はより古い層より出て、この一身具現性を少なくとも最近まで残していた。特に精神科医は、その意味でも王や売春婦とともに"人類最古の職業"といいうるであろう。医療が"技術"といら言葉に尽しえないものを持ち、このことばに感覚的にもなじみえないのはそのためであろう。売春婦の”技術" がきわめて一身具現的であるのにやや劣るとしても(筆者は戯れに言うのではない。下位文化としての"治療文化" 全体を問題にしているのだ、古代中東の神殿売春を特筆するわけではないが)。中井久夫「西洋精神医学背景史」『分裂病と人類』所収、1982年)



上野千鶴子さんは中井久夫の何を尊敬してんだろうな、ーー《売春婦は社会が否認したい存在、しかしなくてはかなわぬ存在である。さらに、母親なり未見の恋びとなりの代用物にすぎない。》(中井久夫『治療文化論』1990年)