「おじさまはそんなに永い間生きていらっして、何一等怖かったの、一生持てあましたことは何なの。」 「僕自身の性慾のことだね、こいつのためには実に困り抜いた、こいつの附き纏うたところでは、月も山の景色もなかったね、…」 |
|
「これは甚だ困難なしごとだ、ぺとついていて、まるでつまむ事は出来ないじゃないか。もっと、ひろげるんだ。」 「羞かしいわ、そこ、ひろげろなんて仰有ると、こまるわ。」 「なにが羞かしいんだ、そんな大きい年をしてさ。」 「だって、……」 「なにがだってなんだ、そんなに、すぼめていては、指先につまめないじゃないか。」 「おじさま。」 「何だ赦い顔をして。」 「そこに何かあるか、ご存じないのね。」 「何って何さ?」 「そこはね、あのね、そこはあたいだちのね。」 「きみたちの。」 「あのほら、あのところなのよ、何て判らない方なんだろう。」 「あ、そうか、判った、それは失礼、しかし何も羞かしいことがないじゃないか、みんなが持っているものなんだし、僕にはちっとも、かんかくがないんだ。」〔・・・〕 |
「でも、おじさまとキスはしているじゃないの。」 「きみが無理にキスするんだ、キスだか何だか判ったものじゃない。」 「じゃ、永い間、あたいを騙していたのね、おじさまは。」 「騙してなんかいるものか、まア型ばかりのキスだったんだね。じゃ、そろそろ、尾っぽの継ぎ張りをやろう。もっと、尾っぽをひろげるんだ。」 「何よ、そんな大声で、ひろげろなんて仰有ると誰かに聴かれてしまうじゃないの。」 「じゃ、そっとひろげるんだよ。」 「これでいい、」 「もっとさ、そんなところ見ないから、ひろげて。」 「羞かしいな、これが人間にわかんないなんて、人間にもばかが沢山いるもんだナ、これでいい、……」 「うん、じっとしているんだ。」 「覗いたりなんかしちゃ、いやよ。あたい、眼をつぶっているわよ。」 「眼をつぶっておいで。」 「おじさまは人間の、見たことがあるの。」 「知らないよそんなこと。」 |
|
「女のこころが判るものか、判らないから小説を書いたり映画を作ったりしているんだ、だが、ぎりぎりまで行ってもやはり判っていない、判ることはおきまりの文句でそれを積みかさねているだけなんだ。」〔・・・〕 「騙されるということは、気のつかない間は男に媚びているみたいなものよ、気がつくと、がたっと何処かに突き堕された気がしてしまうんです。」 「おばさまも突き堕されたのね。」 |
(室生犀星『蜜のあわれ』初出:「新潮」1959(昭和34)年1月~4月) |
騙されないで人を愛そう、愛されようなんて思うのは、 ずいぶん虫のいい話だ。 (川端康成『女学生』) |
|
愛はイマージュである。それは、あなたの相手があなたに着せる、そしてあなたを装う自己イマージュであり、またそれがはぎ取られるときあなたを見捨てる自己イマージュである。l'amour ; soit de cette image, image de soi dont l'autre vous revêt et qui vous habille, et qui vous laisse quand vous en êtes dérobée,(ラカン、マグリット・デュラスへのオマージュ HOMMAGE FAIT A MARGUERITE DURAS, AE193, 1965) |