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2021年3月13日土曜日

女性性と受動性(マゾヒズム性)

 前回フロイトラカンを引用して示したように、女性性は必ずしも受動性(マゾヒズム性)ではない。解剖学的男性にも受動性がある。とはいえやはり解剖学的女性の方がはるかに受動性の生を生きているのは間違いない。


2002年11月6日(水)

私はフェミニストでありかつマゾヒストである。

フェアネスを求める私が、残酷さを愛するということ、この事態は許容されうるのか、私はそれをどう受け止めればいいのか、これは私にとって重要な問題である。

女性を抑圧し支配し利用する言説と制度に反対しながら、責め苛まれ所有され支配され犯され嬲られ殺される女性の状態を愛することは、許されるのだろうか。


2003年2月11日(火)

私が初めてタンポンを使ったのは小学校六年生の夏だった。


私は女性で、膣があり、排卵していた。私は犯されうる肉体を持ち、妊娠させられうる状態でいた。

私は、男性から性的な目で見られることが多かった。性的な目的で利用したいと思われることが多かった。

バスに乗れば触られ、図書館に行けば書架の間で性器を見せられ、部室では押し倒され、街を歩けば後をつけられる。

家に私しかいない夜にお風呂に入っていると、風呂場の窓の外でぴたりと止まる足音。

朝玄関から出ると落ちている、精液の入ったコンドーム。

雑居ビルの階段で突然後ろから駆けあがってきた男に羽交い締めされ胸を掴まれたこともある。

夜、たまたま人通りが絶えた近所の道で、四人の若い男が乗った車に突然横付けされ、無理矢理乗せられそうになったこともある。

私は常に抵抗し、警察を呼び、大声を出して相手を追いかけた、公の処分を求めた。私は今も常に催涙スプレーを携帯している。私の意志に反して私の身体を性的に利用しようとする者を私は決して許さない。

自分が性的身体を持っていることを自覚しないでいることは不可能だ。

自分が性的身体を持っていないふりをして、何も知らないで生きていくことは愚かだ。

それでは、毎日を切り抜けていけない。

私は貞操帯が好きだ。金属製の、オーダーメイドの、装着しての日常生活が可能な貞操帯を持っている。持っているだけでつけてはいないけれど、それがあるというのはうれしいことだ。

(多分それは、銃を隠し持つ人の気持ちに似ている。)

貞操帯の話をすると、好色な笑いを浮かべる男性がいる。

貞操帯は、「あなたは私に入れない」、「私を犯すことはできない」という意味なのに。拒まれていることに気がつかないほど、女性の身体は使用されうるものだと信じているのだ。鍵が与えられることを疑わないくらいに。

タンポンは便利な生理用品だ、けれども、初めてタンポンを使った私が覚えた達成感は、単にそれが便利だという理由によるものではない。

その時、膣は私がコントロールしうるものになったのだ。


無自覚なままでは無垢ではいられない。小学生の私は、「無垢」でいるために、自分の性的肉体をコントロールすることを決意していた。


ごめんなさい、無断引用してしまった。


◇「八本脚の蝶」の無断転載を禁じます。著作権は二階堂奥歯に帰属します


二階堂さんに倣ってこう言っておこう。

版権・ 著作権をお持ちの方、ご連絡頂けばすぐに削除いたします。(2002年4月8日(月))