このところ室生犀星を読んでいたので、彼の友人の芥川龍之介や萩原朔太郎、弟子筋の堀辰雄などが犀星についてどんなことを言っていたかを探ってみることもしている。
犀星の真の友人は誰よりもまず朔太郎だろう。その萩原は《詩人といふ連中は、日本の文學者の中でいちばん氣質的に西洋臭く、身體の中からバタの臭ひがするやうなハイカラ人種に限られてゐる》、《詩を必要としなくなつた室生君は、日本の風土氣候にすつかり調和し、身邊に樂しく住心地の好い家郷を持つた幸福人》、僕は《生活の根柢してゐる精神にだけ、キリスト教的な西洋の蛇が食ひ込んでゐる》等々と言っている。
私はこういう話を読むと、何よりもまず加藤周一の雑種文化論を思い起こすのだがーー《日本は「雑種文化」に徹しよう》ーー、徹底しようとしまいとほとんどの日本人は雑種文化人だ。徹底の仕方がひどく悪い連中がウヨウヨいるのを知らないわけではないが、日本人は「キリスト教的な西洋の蛇」とともに生きざるをえない風になっている、・・・という話はここではせず、1934年にかかれた萩原朔太郎の「詩に告別した室生犀星君へ」から掲げる。
元來、僕等の作る「詩」といふ文學は、西洋から舶來した抒情詩や敍事詩の飜案で、日本に昔からあつた文學ではない。日本の國粹のポエムは、だれも知つてゐる通り和歌や俳句である。かうした傳統の詩があるところへ、さらに西洋から輸入して、また一の別なポエムを加へた。そこで今の日本には、和歌と、俳句と、歐風詩と、つまり三つの詩があるわけである。 |
さてこの最後の歐風詩、即ち僕等が普通に「詩」と呼んでるものは、西洋では「文學の精華」と言はれるほどで、西洋文藝思潮の最も本質的なエスプリを代表してゐる。日本の新しい文壇は、小説に、戲曲に、評論に、明治以來すべて西洋のそれを模倣し、飜案輸入することに勉めたけれども、その中最も根本のものは詩であつて、これに西洋文藝のエキスされた一切の精神があるのだから、詩の飜案と輸入の完全にされない限りは、日本に眞の西洋思潮は移植されないわけである。したがつてその輸入者である詩人といふ連中は、日本の文學者の中でいちばん氣質的に西洋臭く、身體の中からバタの臭ひがするやうなハイカラ人種に限られてゐる。たとへ外貌はどうあらうとも、性格氣質の底に西洋風なキリスト教や、ギリシャ思潮を傾向した人種でなければ、詩の輸入飜案者たる詩人の役目は勤まらない。そして實際にもその通り、日本で詩人と呼ばれる連中は、過去に於ても現在に於ても、どこか他の一般文學者とちがつたところがあり、何かしら日本の風土習俗に馴染まないところの、妙に周圍と調和しないエトランゼのやうな風貌がある。〔・・・〕 |
先年、靜岡に蒲原有明氏を訪ねた時、有明氏は茶の湯や生花の趣味を愛して居られ、且つ僕にかう語られた。「私も昔はずゐぶんハイカラで、西洋の詩など非常に好んで讀みましたが、今ではちつとも面白くない。それよりずつと日本の俳句などの方が幽玄で好い。若い時の西洋趣味なんか、年を取れば皆なくなつてしまふし、實に詰らんものですね。」と。佛蘭西の新しい近代詩を、初めて日本の詩壇に輸入した有明氏からこの言を聞き、僕も深く考へるところがあつた。僕等の作る西洋まがひの詩なんていふものは、結局青年時代のエキゾチシズム以外の何物でもなく、日本の風土に合はない附燒刃の似而非物ではないかと考へたりした。しかしやはり僕の中には、俳句や和歌で滿足できない或る物がある。すくなくとも僕自身には、まだ詩の必要があると思つた。〔・・・〕 |
室生君の「詩と告別する」を讀んで、僕は蒲原有明氏の言葉を考へ、當時の僕の感慨を、新しくまた繰返して感慨した。詩を必要としなくなつた室生君は、日本の風土氣候にすつかり調和し、身邊に樂しく住心地の好い家郷を持つた幸福人である。〔・・・〕 室生君は尚ほ、詩は青年の文學であるといふ。その通りにちがひない。なぜなら西洋の文學そのものが、元來本質的に「青年の文學」なのである。西洋には「老年の文學」といふものはない。ゲーテは八十歳になつて戀愛詩を書き、トルストイは老年になつて、尚ほ狂氣の如く正義を求め苦しんだ。西洋の文學が本質してゐる精神は、すべてみな「青年の情熱」である。靜かな落付いた觀照や、心の澄み切つた靜寂の境地ではなく、常に動亂し、興奮し、狂熱し、苦惱し、絶叫するところの文學である。あの芭蕉に見るやうな靜かな澄み渡つた深い境地、靜寂の侘びに住んで人生の底を探ぐるといふ風な文學は西洋にない。さうした「老年の文學」は、ただ東洋にだけ發育した。〔・・・〕 |
我が室生君が、この季節はづれの連中に告別して、小説や隨筆の方に專念するやうになつたのは、君自身の心境にその「季節はづれ」がなくなり、日本の風土氣候とぴつたり調和する境地に入つた證左である。その告別の言葉の中で君は言つてる。この頃では詩と隨筆の區別がつかなくなつたと。日本の文壇でいふ「隨筆」とは、西洋のエッセイとは全く別種の物であつて、主として季節の推移に於ける自然の情趣や、日常生活に於ける身邊の述懷などを敍するもので、その文學の本質する精神は、全く俳句のそれと共通してゐる。即ち隨筆とは「散文で書いた俳句」のやうなものであり、室生君の場合に於ては、特にまたさうである。したがつて君の場合に、詩と隨筆との區別がつかなくなつたと言ふのは、君の中にあるポエヂイ(詩的情操)そのものが、本質的に俳句になつてしまつたことを説明してゐる。君にとつて必要な詩は、日本の詩であつて抒情詩ではない。西洋風の詩の世界は、もはや君にとつて無用の物になつたのである。今の君の心境は、おそらく蒲原有明氏と共に、次の述懷をしてゐるだらう。「若い時の西洋趣味なんか、今となつて考へれば、實に詰らんものだつたなあ!」と。 |
もつとも君は、今でもまだ多少の西洋趣味を所有してゐて、輕井澤の外人町を喜んだり、ダンスガールのことを小説に書いたりする。その點で言へば、君は僕より却つてずつとモダンボーイである。しかし君の西洋趣味は、そのまま俳句の季節に入れて、句を作ることができる種類の趣味である。換言すれば、外部から鑑賞してゐる趣味であつて、君の生活の中心主體に食ひ込んでる趣味ではない。反對に僕の場合では、外部の趣味にハイカラやモダンが殆んどなく、生活の根柢してゐる精神にだけ、キリスト教的な西洋の蛇が食ひ込んでゐるのである。(萩原朔太郎「詩に告別した室生犀星君へ」初出:「文藝 第二卷第十號」 1934(昭和9)年10月号) |