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2021年5月16日日曜日

愛欲望享楽の関係


「享楽の対象」は、「防衛の原因」かつ「欲望の原因」としてある。というのは、欲望自体は、享楽に対する防衛の様相があるから。l'objet jouissance comme cause de la défense et comme cause du désir, en tant que le désir lui-même est une modalité de la défense contre la jouissance.(J.-A. Miller, L'OBJET JOUISSANCE, 2016/3)


享楽の対象[l'objet jouissance]は幻想においていかに隠蔽されるか。とくにそれが愛の様相[la modalité de l'amour]となる時に。


フロイトはナルシシズムの様相とアタッチメントの様相[la modalité narcissique et la modalité anaclitique]の二つを区別した。ナルシシズムの様相においては、「自己としての小文字の他者[l'autre en tant que même]によって隠蔽される。アタッチメントの様相においては、「大他者[l'Autre]」によって隠蔽される。ラカンにとって前者の「自己としての小文字の他者」は鏡像段階[stade du miroir]との関係をもつ。〔・・・〕


享楽の対象が幻想において隠蔽される二つの様相がある[il y a deux modes sous lesquels l'objet jouissance peut être caché dans le fantasme]。一方はi (a) の下、他方は「大文字の他者[l'Autre]」の下である。この二つの関係は想像界と象徴界である。そして現実界の審級にある欲動の享楽対象[l'objet jouissance de la pulsion]が底部にある。(J.-A. Miller, L'OBJET JOUISSANCE, 2016/3)







i (a) は上にあるようにナルシシズムだが、ラカンにとってナルシシズムは愛である。


ナルシシズムの相から来る愛以外は、どんな愛もない。愛はナルシシズムである。qu'il n'y a pas d'amour qui ne relève de cette dimension narcissique,[…]  l'amour c'est le narcissisme  (Lacan, S15, 10  Janvier  1968)


要するに i (a) は愛の審級、Aは欲望の審級にあり、日本語で図式化すれば次のようになる。




もっともこのラカン用語は、フロイトにとってすべてリーベ(愛)だ。


フロイトのリーベ[Liebe]は、愛、欲望、享楽をひとつの語で示していることを理解しなければならない。il faut entendre le Liebe freudien, c’est-à-dire amour, désir et jouissance en un seul mot. (J.-A. Miller, Un répartitoire sexuel, 1999)



愛は欲望に構造化されている(支配されている)ので、ラカンは通常は、「欲望/享楽」として語っていることが多い。


欲望は大他者に由来する、そして享楽はモノの側にある[le désir vient de l'Autre, et la jouissance est du côté de la Chose](ラカン, E853, 1964年)

欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である[le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.]( ラカン、E825、1960)




愛は想像界、欲望は象徴界であり、想像界は象徴界によって構造化されている。


想像界、自我はその形式のひとつだが、象徴界の機能によって構造化されている[la imaginaire …dont le moi est une des formes…  et structuré :… cette fonction symbolique](ラカン, S2, 29 Juin 1955)

愛と欲望…これはナルシシズム的愛とアタッチメント(愛着)的愛のあいだのフロイトの区別である。l'amour et le désir …la distinction freudienne entre l'amour narcissique et l'amour anaclitique〔・・・〕


ナルシシズム的愛は自己への愛にかかわる。アタッチメント的愛は大他者への愛である。ナルシシズム的愛は想像界の軸にあり、アタッチメント的愛は象徴界の軸にある。l'amour narcissique concerne l'amour du même, tandis que l'amour anaclitique concerne l'amour de l'Autre. Si l'amour narcissique se place sur l'axe imaginaire, l'amour anaclitique se place sur l'axe symbolique (J.-A. Miller「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour」1992)


「ナルシシズム的愛=自己へ愛」と「アタッチメント的愛=大他者への愛」とは、厳密に、フロイトの自己愛[Selbstliebe]と対象愛[Objektliebe]である。そして享楽は欲動である、ーー《欲動は、ラカンが享楽の名を与えたものである[pulsions …à quoi Lacan a donné le nom de jouissance.]》(J. -A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 11/05/2011)


したがって先ほどの図をフロイト用語にて図示すれば次のとおり。