このブログを検索

2021年5月15日土曜日

オメコが欲しないものがあろうか


まずジャック=アラン・ミレールの簡潔な三文を引いて、このところ記してきたエキスを確認しておきます。


モノは享楽の名である。das Ding…est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)

モノをフロイトは異者とも呼んだ。das Ding[…] ce que Freud appelle Fremde – étranger. (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 26/04/2006)

現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


ーー享楽=現実界=モノ=異者です。


そして異者の別名は不気味なものです。


異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。Iétrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)


不気味なものと死の欲動」で見たように、不気味なものは必ずしも常に女性器ではありません。でも究極の不気味なものは女性器(母胎)です。


女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)




ここで少し趣向を変えます。


我々は、フロイトが Lust と呼んだものを享楽と翻訳する。ce que Freud appelle le Lust, que nous traduisons par jouissance. (J.-A. Miller, LA FUITE DU SENS, 19 juin 1996)


さて lust =jouissance をオメコに変えて、我が愛するニーチェを読んでみることにします。


オメコが欲するのは自分自身だ、永遠だ、回帰だ、万物の永遠にわたる自己同一だ。Lust will sich selber, will Ewigkeit, will Wiederkunft, will Alles-sich-ewig-gleich.


…すべてのオメコは永遠を欲する。 alle Lust will - Ewigkeit! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』「酔歌」第9節 1885年)


いかがでせうか?

もうひとついきませう。


オメコが欲しないものがあろうか。オメコは、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。オメコはみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志がオメコののなかに環をなしてめぐっている。―― 


_was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「酔歌 Das Nachtwandler-Lied 」第11節 1885年)


・・・いやあすばらしい。さらにもうひとつ。


欲動〔・・・〕、それは「オメコへの渇き、生成への渇き、力への渇き」である。Triebe […] "der Durst nach Lüsten, der Durst nach Werden, der Durst nach Macht"(ニーチェ「力への意志」遺稿第223番)


ここでいったん非ポエジーの世界に戻ります。


欲動は、ラカンが享楽の名を与えたものである。pulsions …à quoi Lacan a donné le nom de jouissance.(J. -A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 11/05/2011)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)

ヴァギナの享楽[jouissance vaginale](Lacan, S10, 19  Décembre  1962)



そしてニーチェのポエジーに回帰することにします。


生はオメコの泉である。Das Leben ist ein Born der Lust; (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部「賎民 Vom Gesindel」1884 年)

おお、永遠のオメコよ、晴れやかな、すさまじい、正午の深淵よ。いつおまえはわたしの魂を飲んで、おまえのなかへ取りもどすのか?- wann, Brunnen der Ewigkeit! du heiterer schauerlicher Mittags-Abgrund! wann trinkst du meine Seele in dich zurück?"(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「正午 Mittags」1885年)



永遠のオメコとすれば、老子を想起せざるを得ません。



谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子『道徳経』第六章)

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ。(老子『道徳経』第六章「玄牝之門」福永光司訳)



二十世紀以降のコモノ作家ばかりを読んでいると核心を外すばかりです。オキヲツケヲ!