またきいてくんだな、とっても簡潔版挙げとくよ。これがフロイトラカン理論のエキスだ。
フロイトには「真珠貝が真珠を造りだすその周りの砂粒[Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet] 」というよく知られた比喩がある。砂粒とは現実界の審級にあり、この砂粒に対して防衛されなければならない。真珠は砂粒への防衛反応であり、覆いあるいは容器、ーー《症状の形式的覆い[ l'enveloppe formelle du symptôme] 》(ラカン, E66, 1966)ーーすなわち原症状[S1 ]の可視的な外部である。内側には、元来のリアルな出発点が、異者としての身体[Fremdkörper]として影響をもったまま居残っている。 |
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フロイトはヒステリーの事例にて、「身体からの反応[Somatisches Entgegenkommen]」ーー身体の何ものかが、いずれの症状の核のなかにも現前しているという事実ーーについて語っている。フロイト理論のより一般的用語では、この「身体からに反応」とは、いわゆる「欲動の根[Triebwurzel]」、あるいは「固着点[Stelle der Fixierung]である。われわれは、ラカンに従って、この固着点のなかに、対象a を位置づけることができる。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders: A Manual for Clinical Psychodiagnostics,、2004) |
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このポール・バーハウの言っていることは、すべてラカンのセミネールⅩに既に現れている。 |
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対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
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異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,… absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
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享楽は残滓 (а) による[la jouissance…par ce reste : (а) ](Lacan, S10, 13 Mars 1963) |
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フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である[L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste, ](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
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これについてはバーハウと同じ2004年に、ジャック=アラン・ミレールがほとんど同じことを言っている(ミレール版セミネールⅩ「不安」を上梓した直後のセミネールで、精読して目覚めたんだろうな、ああ、ここにはすべてがある!と)。 |
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いわゆる享楽の残滓 [reste de jouissance]。ラカンはこの残滓を一度だけ言った。だが基本的にそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって触発され、リビドーの固着点 [points de fixation de la libido]を語った。 固着点はフロイトにとって、分離されて発達段階の弁証法に抵抗するものである[C'est-à-dire ce qui chez Freud précisément est isolé comme résistant à la dialectique du développement. ] 固着は、どの享楽の経済においても、象徴的止揚に抵抗し、ファルス化をもたらさないものである[La fixation désigne ce qui est rétif à l'Aufhebung signifiante, ce qui dans l'économie de la jouissance de chacun ne cède pas à la phallicisation.] (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III- 5/05/2004) |
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残滓…現実界のなかの異者概念(異者としての身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[reste…une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
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ここではフロイトから二文だけ挙げる。 |
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固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要) |
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常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
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より詳しく知りたいなら➡︎「固着マテーム:Σ ≡ S(Ⱥ) ≡ S1[S1 sans S2]」。もっともこの大半は、マテームに焦点を絞っているから少し難しいかも。 基本的には、上のバーハウとミレールの簡潔な注釈でよろしい。後期ラカン、特に1974年以降のラカンの核心はセミネールⅩにほとんど現れている。 晩年のラカンのサントームとは固着、あるいは固着の残滓(a)=異者のことで、反復強迫する。で、これが「ひとりの女」のことであり、セミネールⅩⅩ「アンコール」の女性の享楽とは異なった享楽自体としての女性の享楽のこと「参照]。
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