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2021年10月5日火曜日

白い鳩の羽搏き

 



実に美しい写真である。ふとした弾みにたびたび戻ってくる写真である。


美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。

Il n’est pas à la beauté d’autre origine que la blessure, singulière, différente pour chacun, cachée ou visible, que tout homme garde en soi, qu’il préserve et où il se retire quand il veut quitter le monde pour une solitude temporaire mais profonde. (ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)


そう、美の起源は傷にしかない。


美は現実界に対する最後の防衛である[la beauté est la défense dernière contre le réel.](J.-A. Miller, L'inconscient et le corps parlant, 2014


そう、美は現実界の享楽、すなわち享楽の穴に対する最後の防衛に他ならない。


実界の享楽[Jouissance du réel楽は現実界である[la jouissance c'est du Réel. ](ラカン、S23, 10 Février 1976)

楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない。[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970


四十年以上たったって常に回帰するのである。


実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »  (Lacan, S16, 05  Mars  1969 )


分析経験の基盤、それは厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, […]précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]〔・・・〕

フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える。ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


ああ、あの穴への固着、ああ、あの対象a


対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido (Lacan, S10, 26 Juin 1963)

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である[l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S16, 27 Novembre 1968


…………


茗荷谷の女学生専用アパートで道祖神の女と性交している最中、医学を学んでいた彼女のおかたい妹が突然帰ってきたことがある。ドアチェーンがかかっているにはいた。「ちょっと待って!」と道祖神は玄関に向けて声を上げ、ボクに目配せする。慌ててズボンを履きバルコニーに出て隠れる(クツ、クツがない、と身ぶりで伝えるーーこれでまた玄関を開けるまでに時がたった)。


姉妹の言い争いの声がきこえてくる。どうも具合が悪い。隣のバルコニーに飛び移る。洗濯干しが音を立てたが大過ない(パンティがぶらさがっていたハンガーが落ちただけで、丁重に元にもどした)。幸運にも隣室の住人は在宅で、ガラス戸から拝んで入れてもらう。


少女は戸惑いつつもニヤニヤしている。大柄な友人もいる。「珈琲でも飲んでいって、せっかくだから」。一人は大胆にも床の上で(花札でもやるように)アグラをおきかになられてボクの正面で微笑み昂然とされている。ストッキングなしの短いスカートでの姿態である、--「途中だったのでしょ」


度々お聞き耳をお立になられていたらしい。道祖神はクライマックスで規則正しい声を三つか四つ間歇的に発するタチだった。「今日は鳥のいのちが果てる三連符がなかったから」。実に教養豊かな女性で感心した。


兎角するうちに、一人のお嬢さんは果敢にも《溶け残りの砂糖のこびりついたもの》を熱心にかきまわされ、別のお嬢さんは眼を閉じ眼を開けられた。


おやつのときの、つめたい砂糖入りミルク。古い白い茶碗の底に、陶器のきずがひとつあった。かきまわすときにスプーンに当たったものはそのきずだったか、それとも、溶け残りか洗い残しの砂糖のこびりついたものだったろうか。(『彼自身によるロラン・バルト』「想起記述 anamneses」)



もちろん白い鳩が飛んだのはいうまでもない



彼女の股は空虚である

ぼくはそこに乞食が物を乞うのをさえ見た

ぼくの精液は白い鳩のように羽搏く


ーー瀧口修造「地上の星」