身構える必要はなく、
呼び出される光景に、浸ればいい。
――暁方ミセイ
ハロ丘陵 暁方ミセイ |
言うべきことを失くすというのは、ほとんど足りるということで、それでも幸福でないな らば、わたしなかを疾駆していった影がまだ近くに残っている。 ごく早い頃、夜との境目があいまいな、ひとの反射熱のない時間に、性をなくしているわ たしたちはたいていは静かな、擦れた空気の音しかしない人間のいとなみを丘やマンション の壁から感知して、その像をもらってくる。そうだ、そういうものはいつも内側が空虚な さみしい時間でできていて、わたしはこの空虚こそを臓腑いっぱいに吸い込んでしまって もう何も語らないでいられたらと思う。 |
特質のない、更に怒りの気色もない 視野がわたしのほんとうの肉体で、 生命の底を見透かすような 青い炉が吐く大気層を 昼ま歩いていったのだ。 |
まったく明るすぎて、緑が暗く点滅した。野原の途中で倒れるイメージを幾つも重ねて、 わたしの亡骸が点々と葬られている豊かな春がもうじきにここへもくると思う。中天では 青い炉が希薄な大気層をもやもやと吐いて、それごと大きなまるい嵩を被っていた。その 下で、小さくなったわたしが妙に白けた動作を繰り返していた。針金を曲げたり、また真 っ直ぐにしたりして、それを一日中生真面目に、きちんとしようと苦心していた。川沿い では蜜蜂と花が燃えてひとつになり、動物が温んだ土に肉体を溶かしながら、小さくなっ たわたしの顔をじっと覗き込んでいた。 誰にでもあるのかもしれない この感覚 そう、思春期にはあった 少なくとも二年ほどのあいだは 空を見、雲を見、 木立ちのなか、川辺をさまよい 樹々や腐葉土のにおいを吸い込んだ 川水の渦をみつめ続け 吸い込まれそうになった 長持ちするかどうかだ 二十歳頃にはもうとっくに消えていた あの感覚を持続させていたら うまく生きていけないよ だが彼女は呼び戻す あの光景を 「詩を書いているときの自分は、あまり人の輪に入って馴染めている自分ではなくて、〔・・・〕壁一枚みんなから隔てられている感覚、人間社会のなかに入り込めていない感覚、人間社会を観察しているような距離感があります。(ウイルスとか微生物は)そういうこれまでの、わたしの立場かもしれないと思います。」 |