けやきの葉先が黄色にぼける頃 遠く遠く生垣にたよつて 猿の鳴く山の町へ行け 白い裸の笛吹きのように言葉を忘れた 舌をきられたプロクネ 口つぼむ女神に 鶏頭の酒を 真珠のコップへ つげ いけツバメの奴 野ばらのコップへ。 角笛のように 髪をとがらせる 女へ 生垣が 終わるまで ーー西脇順三郎「プレリュード」『第三の神話』 |
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鶏頭に隠れるごとしワカメ酒 (鶏頭に隠るるごとし昼の酒 波郷) |
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生垣にはグミ、サンショウ、マサギ が渾沌として青黒い光りを出している この小径は地獄へ行く昔の道 プロセルピナを生垣の割目から見る 偉大なたかまるしりをつき出して 接木をしている ーー「夏(失われたりんぼくの実)」 |
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人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「あむばるわりあ あとがき(詩情)」) |
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水銀の苦しみに呪われた 青ざめた旅人は 片目を細くして 破れたさんざしの生垣の 穴をのぞいている ーー「坂の五月」
時間はとまつてしまった 永遠だけが残ったこの時間のない ところに顔をうずめてねむつている 「汝を愛するからだ おお永遠よ」 もう春も秋もやつて来ない でも地球には秋が来るとまた 路ばたにマンダラゲが咲く ーー「坂の五月」 |
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おお、永遠の泉よ、晴れやかな、すさまじい、正午の深淵よ。いつおまえはわたしの魂を飲んで、おまえのなかへ取りもどすのか? - wann, Brunnen der Ewigkeit! du heiterer schauerlicher Mittags-Abgrund! wann trinkst du meine Seele in dich zurück?" (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「正午 Mittags」) |
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竹藪に榧の実がしきりに落ちる アテネの女神に似た髪を結う ノビラのおつかさんの 「なかさおはいりなせ--」という 言葉も未だ今日はきかない。 ーー西脇順三郎「留守」 |
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恐らく真理とは、その根底を窺わせない根を持つ女ではなかろうか? 恐らくその名は、ギリシア語で言うと、バウボ[Baubo]というのではないか?…[Vielleicht ist die Wahrheit ein Weib, das Gründe hat, ihre Gründe nicht sehn zu lassen? Vielleicht ist ihr Name, griechisch zu reden, Baubo?... ](ニーチェ『悦ばしき知』「序」第2版、1887年) |
女から
生垣へ
投げられた抛物線は
美しい人間の孤独へ憧れる人間の
生命線である
ーー「キャサリン」『近代の寓話』
ああ すべては流れている
またすべては流れている
ああ また生垣の後に
女の音がする
ーー「野原の夢」『禮記』
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 Wer mit wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein(ニーチェ『善悪の彼岸』146節、1886年) |
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川の瀬の岩へ
女が片足をあげて
「精神の包皮」
を洗っている姿がみえる
「ポポイ」
わたしはしばしば
「女が野原でしゃがむ」
抒情詩を書いた
これからは弱い人間の一人として
山中に逃げる
ーー吉岡実「夏の宴」 西脇順三郎先生に
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