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2021年11月21日日曜日

何もかも美しい女がいないように、何もかも醜い女もいない

 


女というものは、たとえどんな醜女に生れついても、まったく自惚れを持たないことはない。あるいは自分の年頃から、あるいは自分の笑い方から、あるいは自分の挙動から、何かの自惚れをもたずにはいないのである。まったく、何もかも美しい女がいないように、何もかも醜い女もいない。il n'y a guère de femme, si disgraciée soit-elle, qui ne pense être digne d'être aimée, qui ne se fasse remarquer par son âge, ou par sa chevelure , ou par sa démarche, car des femmes absolument laides, il n'y en a pas plus que d'absolument belles. (モンテーニュ『エセー』第3部第3章16節)



女の驚きのことばは

クレオパトラが酒をつぎながら

ほめられた時に使う反射だ


「あらどうしましよう」



最初の男の愛の誓いに、ころりと参らぬ女は一人もない。ところで、今日のように、男たちの裏切りが普通で当たり前になると、すでにわれわれが経験で知っているようなことが必然的に起こってくる。すなわち女たちは、独り独りでも、相結束してでも、そろって我々を回避するようになった。あるいはまた、彼女たちの方でも我々が教えた実例にならって同じ狂言に参加し、熱情なく、真心なく、愛なく、この取引に応ずるようになった。 


《熱愛せらるることなければ、熱愛することもまたなくなりぬ》(タキトゥス)。

つまりプラトンにおけるリュシアスが教えるところに従って、女たちは、男たちが自分たちを愛することが少なければ、それだけ利益のために、ご都合のために、この身を委せてもよい[qu'elles peuvent d'autant plus utilement et facilement s'abandonner à nous que moins nous les aimons]と考えるわけである。(モンテーニュ『エセー』第3部第3章17節)



イボタの繁みから女のせせら笑いが

きこえてくる。



美女美景なればとて不斷見るにはかならずあく事。(井原西鶴『好色一代女』)



恋人の小路は近道だが

避けたらいい

犬の死骸が

あることがある



色は君子の惡むところにして、佛も五戒のはじめに置くといへども、流石に捨てがたき情のあやにくに哀なるかた〴〵も多かるべし。人しれぬくらぶの山の梅の下ぶしに思ひの外の匂ひにしみて、忍ぶの岡の人目の關ももる人なくばいかなる過ちをか仕出でてん。あまの子の浪の枕に袖しほれて、家を賣り、身を失ふためしも多かれど、老の身の行末をむさぶり米錢の中に魂を苦しめて物の情をわきまへざるには遙かにまして罪ゆるしぬべし。(芭蕉『閉關の説』)



柿の木の杖をつき

坂を上つて行く

女の旅人突然後を向き

なめらかな舌を出した正午 




笑いつつ少女らの通りすがるとき……

少女らの笑うのを聞くのはたのしい。

すると長いことその笑いは私の耳に残つている、

決して忘れられぬ、とすら私は思う……


lachende Mädchen begegnen...

Lachen hör ich sie gerne.

Lange dann liegt mir das Lachen im Ohr,

nie kann ichs, wähn ich, vergessen...


ーーリルケ「笑いつつ少女らの通りすがるとき」



遠くの屋根のはじから

行水をつかつている女

を望遠鏡でみている



私がその女の子をそんなに美しいと思ったのは、彼女をちらと見たにすぎなかったからであろうか? おそらくはそうだ。まず、女のそば近くに立ちどまることができないということ、またの日もう一度会えないというおそれ、それが突然その女に魅力をあたえるので、病気とか金がないとかで見物に行けないためにある土地が美しく見える、または、どうせ戦争でたたかって倒れるとわかっているとき、生きるために残された暗い日々が美しく見える、それとおなじなのであった。だから、習慣というものがなかったら、たえず死におびやかされているものにとってーーつまりすべての人間にとってーー人生はどんなに快いものであるかわからない。De sorte que, s'il n'y avait pas l'habitude, la vie devrait paraître délicieuse à ces êtres qui seraient à chaque heure menacés de mourir – c'est-à-dire à tous les hommes. (プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)



紫草のにほへる妹を憎くあらば人嬬ゆゑにあれ恋ひめやも(天武天皇)



人が何かを愛するのは、その何かのなかに近よれないものを人が追求しているときでしかない、人が愛するのは人が占有していないものだけである。(プルースト「囚われの女」)



恋の闇    下女は小声で    ここだわな 

早くして  仕舞いなと  下女ひんまくり 

をしいこと    まくる所を下女    呼ばれ


ーー誹風末摘花



若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト「ゲルマントのほう」)



けやきの木の小路を

よこぎる女のひとの

またのはこびの

青白い

終りを 


ーー西脇順三郎