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2021年11月21日日曜日

不気味な神への祈り

 




みなさん、祈るときには厳密に神の形を作らねばなりません。




神は不気味なものである[Gottes …Er ist ein unheimlicher](フロイト『モーセと一神教』2.4、1939年)

不気味ななかの親密さ[heimisch im Unheimlichen](フロイト『ある錯覚の未来』第3章、1927年)

不気味なものは秘密の親密なものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[daß Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第3章、1919年)

女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)




バタイユの「あたしは神よ(je suis DIEU)」を正面から受け止めなくちゃな、ボクは30年以上かかってしまったけど。


マダム・エドワルタの声は、きゃしゃな肉体同様、淫らだった。「あたしのぼろぎれが見たい?[Tu veux voir mes guenilles ? ]」両手でテーブルにすがりついたまま、おれは彼女ほうに向き直った。腰かけたまま、彼女は片脚を高々と持ち上げていた。それをいっそう拡げるために、両手で皮膚を思いきり引っぱり。こんなふうにエドワルダの《ぼろきれ》はおれを見つめていた。生命であふれた、桃色の、毛むくじゃらの、いやらしい蛸 [velues et roses, pleines de vie comme une pieuvre répugnante]。おれは神妙につぶやいた。「いったいなんのつもりだ。」「ほらね。あたしは神よ…[Tu vois, dit-elle, je suis DIEU...]」「おれは気でも狂ったのか……」「いいえ、正気よ。見なくちゃ駄目。見て!」(バタイユ『マダム・エドワルダ Madame Edwarda』1937年)





ダリとベケットがイカれたオットー・ランクをもっとはやく正面から受け止めるべきだったね。


出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている[Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde](オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年)


不快な固着[unlustvolle Fixierung」の不快は享楽である。


不快は享楽以外の何ものでもない[déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)


したがって、女性器の機能への不快な固着[Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales]とは、女性器への享楽の固着である。


不快の審級にあるものは、非自我のなかに刻印されている。…非自我は異者としての身体、異物として現れる[ l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, … le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt] (Lacan, S11, 17 Juin  1964)

現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


さらに確認しておこう。


ひとりの女は異者である[une femme, … c'est une étrangeté.]  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)

異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)





みなさん、歩く不快、歩く神たちをもっと大切にしなくてはなりません。


トリュフォー、女たちを愛した男

ーー《享楽はオチンチンから来る。それはハンス少年にとって異者だった[La jouissance qui est résultée de ce Wiwimacher lui (petit Hans )est étrangère ]》(LACAN CONFÉRENCE À GENÈVE SUR LE SYMPTÔME, 1975)



エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる[Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

欲動蠢動は「自動反復」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。そして抑圧において固着する契機(動力)は「無意識のエスの反復強迫」である[Triebregung  …vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –…Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)



ーー《疎外(異者分離 Entfremdungen)は注目すべき現象です。この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです[Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, …Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.]》(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)






世の中に絶えて女のなかりせばをとこの心のどけからまし


世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあひたい


ーー蜀山人太田南畝


ゴダール、彼女について知っている二、三の事


愛するという感情は、どのように訪れるのかとあなたは尋ねる。…彼女は言う、「見て」。彼女は脚を開き、そして大きく開かれた彼女の脚のあいだの窪みにあなたはとうとう黒い夜を見る[Elle dit : Regardez. Elle ouvre ses jambes et dans le creux de ses jambes écartées vous voyez enfin la nuit noire]。あなたは言う、「そこだった、黒い夜[la nuit noire]、それはそこだ」(マルグリット・デュラス『死の病 La maladie de la mort』1981年)