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2021年11月7日日曜日

ユーリの正午

 


◼️Youri Egorov plays Bach Prelude and Fugue No.24 in B Minor, BWV 869


この末期の歌のようなBWV869、1975年の録音なのか。まだ21歳だ(ユーリ・エゴロフ 1954年 - 1988年 エイズで死去)


彼は、影響を受けたピアニストとして、リヒテル、リパッティ、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、グールドの名を挙げているようで、リヒテルのBWV869の名演に学んだのだろう。


でもユーリの演奏のほうがはるかに美しい。何度も聴けないが、息がつまって。

何ものかに呑み込まれそうで。


………………



つつしむがいい。熱い正午が野いちめんを覆って眠っている。歌うな。静かに。世界は完全なのだ。


歌うな。草のあいだを飛ぶ虫よ。おお、わたしの魂よ。囁きさえもらすな。見るがいい──静かに。老いた正午が眠っている。いまかれは口を動かす。幸福の一滴を飲んだところではないか。──


──金色の幸福、金色の葡萄酒の、古い褐色の一滴を飲んだところではないか。ちらとかれの顔を過ぎるものがある。かれの幸福だ。かれの幸福の笑いだ。神──に似た笑いだ。静かに。──


『幸福になるには、どんなにわずかなことで事足りるだろう』 わたしはかつてそう語って、自分を賢いと思った。しかしそれは、たいへんな冒瀆であった。そのことをわたしはいま学んだ。阿呆でも、りこうな阿呆なら、もっとましなことを言うだろう。


まさに、ごくわすかなこと、こくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ、一つの息、一つの疾過、一つのまばたき──まさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。──


わたしに何事が起こったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、──耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。


わたしに何事が起こるのだろう。静かに。わたしを刺すものがある──あっ!──心臓を刺すのか。心臓を刺すのだ! おお、裂けよ、裂けよ、心臓よ、このような幸福ののちには、このように刺されてのちには。──


──どうだ! 世界はいままさに完全になったのではないか。まろやかに熟れて、おお、金の円環よ、──どこへ飛んでゆくのだ。わたしはそのあとを追う、身もかるく。


静かに──


〔・・・〕


──おお、永遠の泉よ、晴れやかな、すさまじい、正午の深淵よ。いつおまえはわたしの魂を飲んで、おまえのなかへ取りもどすのか?


- wann, Brunnen der Ewigkeit! du heiterer schauerlicher Mittags-Abgrund! wann trinkst du meine Seele in dich zurück?" (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「正午 Mittags」1885年)