マドレーヌのレミニサンスがあるんだよ、ボクの場合はとくにある種の音楽を聴くと。
この「スワン家のほう」はある意味で極めてリアルな書だが、 無意志的記憶を模倣するために、突如のレミニサンスによって支えられている。この書の一部は、私が忘れてしまった私の生の一部であり、マドレーヌのかけらを食べているとき、突然に再発見したものである。C'est un livre extrêmement réel mais supporté en quelque sorte, pour imiter la mémoire involontaire …par des réminiscences brusques une partie du livre est une partie de ma vie que j'avais oubliée, et que tout d'un coup je retrouve en mangeant un peu de madeleine (Comment parut Du côté de chez Swann. Lettre de M.Proust à René Blum de février 1913) |
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溝の入った帆立貝の貝殻のなかに鋳込まれたかにみえる〈プチット・マドレーヌ〉と呼ばれるずんぐりして丸くふくらんだあのお菓子の一つ[un de ces gâteaux courts et dodus appelés Petites Madeleines qui semblent avoir été moulés dans la valve rainurée d'une coquille de Saint-Jacques ](プルースト 「スワン家のほうへ」) |
厳格で敬度な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、お菓子でつくった小さな貝の身[petit coquillage de pâtisserie, si grassement sensuel sous son plissage sévère et dévot ](プルースト「スワン家のほうへ」) |
マドレーヌは母胎を表象している[la madeleine, …représente le ventre maternel] (フィリップ・ルジェンヌ「エクリチュールと性」Philippe Lejeune, L'Ecriture et Sexualité, 1970) |
このフィリップ・ルジェンヌが言っていることは決定的なんだ、精神分析的にも。
後年のプルーストはすべての芸術論の核はレミニサンスだと言っている。
私は作品の最後の巻ーーまだ刊行されていないーーで、無意識の再起の上に私の全芸術論をすえる[je trouve à ces ressouvenirs inconscients sur lesquels j'asseois, dans le dernier volume non encore publié de mon œuvre, toute ma théorie de l'art, ](Marcel Proust, « À propos du “ style ” de Flaubert » , 1er janvier 1920) |
例えば、「はるかに遠い昔の場所の空気を吸うことを強制される」とある。 |
過去の復活[résurrections du passé] は、その状態が持続している短いあいだは、あまりにも全的で、並木に沿った線路とあげ潮とかをながめるわれわれの目は、われわれがいる間近の部屋を見る余裕をなくさせられるばかりか、われわれの鼻孔は、はるかに遠い昔の場所の空気を吸うことを強制され [Elles forcent nos narines à respirer l'air de lieux pourtant si lointains]、われわれの意志は、そうした遠い場所がさがしだす種々の計画の選定にあたらせられ、われわれの全身は、そうした場所にとりかこまれていると信じさせられるか、そうでなければすくなくとも、そうした場所と現在の場所とのあいだで足をすくわれ、ねむりにはいる瞬間に名状しがたい視像をまえにしたときどき感じる不安定にも似たもののなかで、昏倒させられる。(プルースト「見出された時」) |
これを、異者[l'étranger]=かつての幼児の私[l'enfant que j'étais alors]と言っている。 |
私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。〔・・・〕最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての幼児の私だった。 je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…] Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, (プルースト「見出された時」) |
異者がレミニサンスするというのは、フロイトは最初期から言っている。 |
異者としての身体は、心的痛みを呼び起こし、レミニサンスをもたらす[Fremdkörper…erinnerter psychischer Schmerz …leide größtenteils an Reminiszenzen.](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
究極の異者のレミニサンスは、母の身体のなかの私、胎児の私だ。 |
子供はもともと母、母の身体に生きていた[l'enfant originellement habite la mère …avec le corps de la mère] 。〔・・・〕子供は、母の身体に関して、異者としての身体、寄生体、子宮のなかの、羊膜によって覆われた身体である[il est, par rapport au corps de la mère, corps étranger, parasite, corps incrusté par les racines villeuses de son chorion dans …l'utérus](Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
プルーストが言った「はるかに遠い昔の場所の空気」の究極は、胎内の空気だ。
フロイトラカンってのはこればっかり言ってるようなもんだよ。
異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich ](Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
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女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat. |
冗談にも「愛は郷愁だ」と言う。 »Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort, そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい。und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen. |
したがっての場合においてもまた、不気味なものはこかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。 Das Unheimliche ist also auch in diesem Falle das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung. (フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年) |
芸術が与えてくれる感動の起源はここにしかない。そう断言しておくよ。
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もうひとかたまり付け加えて確認しておこう。
異者の別名はモノだ。
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976) |
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20 Janvier 1960) |
享楽の対象としてのモノは喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要) |
究極のマドレーヌってのは喪われた対象だ。ーー《例えば胎盤は、個体が出産時に喪う己の部分、最も深く喪われた対象を表象する。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance , et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. 》 (ラカン、S11、20 Mai 1964)
ここでジャック=アラン・ミレールの簡潔な文を引用しよう。
美は現実界に対する最後の防衛である[la beauté est la défense dernière contre le réel.](J.-A. Miller, L'inconscient et le corps parlant, 2014) |
この意味は、美はマドレーヌに対する最後の防衛だということだ。 |
美は、最後の防壁を構成する機能をもっている、最後のモノ、死に至るモノへの接近の前にある。この場に、死の欲動用語の下でのフロイトの思考が最後の入場をする。〔・・・〕この美の相、それはプラトン(『饗宴』)がわれわれに告げた愛についての真の意味である。 « la beauté » …a pour fonction de constituer le dernier barrage avant cet accès à la Chose dernière, à la Chose mortelle, à ce point où est venue faire son dernier aveu la méditation freudienne sous le terme de la pulsion de mort. […]la dimension de la beauté, et c'est cela qui donne son véritable sens à ce que PLATON va nous dire de l'amour. (Lacan, S8, 23 Novembre 1960) |
モノ=異者=マドレーヌ、これが死の欲動=愛の欲動の対象だ、《死の欲動は現実界である。死は現実界の基礎である[La pulsion de mort c'est le Réel …c'est la mort, dont c'est le fondement de Réel ]》(Lacan, S23, 16 Mars 1976)
マドレーヌの別名はブラックホール。 |
ジイドを不安で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールのみを見させる光景の顕現である[toujours le désolera de son angoisse l'apparition sur la scène d'une forme de femme qui, son voile tombé, ne laisse voir qu'un trou noir ](Lacan, JEUNESSE DE GIDE, E750, 1958) |
マドレーヌの話…。口の中にマドレーヌをころがす話者、冗長性、無意志的回想のブラックホール[Le narrateur mâchouille sa madeleine : redondance, trou noir du souvenir involontaire]。どうやって彼はそこから脱け出せるだろうか。結局これは脱出すべきもの、 逃れるべきものなのだ[Avant tout, c'est quelque chose dont il faut sortir, à quoi il faut échapper]。プルーストはそのことをよく知っていた。 彼を注釈する者たちにはもう理解できないことだが。しかし、そこから彼は芸術によって脱け出すだろう、ひたすら芸術によって。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「零年ーー顔貌性」1980年) |
マドレーヌのブラックホールにギリギリのところで防衛するのが、真の芸術の美だ。例えばピラミッドだって、よく知られているように、地下は子宮という墓所だ。
以上。