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2022年1月24日月曜日

穴の回帰


例えばラカンは「反復=享楽の回帰」と言っている。


反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)


享楽は穴=トラウマである。


享楽は、抹消として、穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


つまり享楽の回帰はトラウマの回帰に他ならない。


フロイトはこう言っている。


結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz; ](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


トラウマ的不安とあるが、不安自体、フロイトにおいてトラウマである。


不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


つまりトラウマ的不安状況の回帰とはトラウマの回帰でよい。これが享楽の回帰である。


これは比較的知られているだろうが、フロイトにおいて「抑圧されたものの回帰という表現がある。


抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]〔・・・〕

抑圧されたものの回帰は固着点から起こる[Wiederkehr des Verdrängten…erfolgt von der Stelle der Fixierung her]。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察(症例シュレーバー)』1911年、摘要)


これは見ての通り実際は、原抑圧されたものの回帰=固着点の回帰だが、この回帰はトラウマの回帰である。


抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは叙述する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年)


したがってジャック=アラン・ミレールは抑圧されたものの回帰は、享楽の回帰だと言っている。


「抑圧されたものの回帰」のスキーマは、症状の形態における「享楽の回帰」と相同的である。そしてこの固執する残滓が、ラカンが対象aの名を与えたものである[C'est symétrique du schéma du retour du refoulé, …symétriquement il y a retour de jouissance, sous la forme du symptôme. Et c'est ce reste persistant à quoi Lacan a donné la lettre petit a. ](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97)


残滓あるいは対象aとあるが、残滓=対象a=享楽=固着点である。


残滓がある。分裂の意味における残存物である。この残滓が対象aである[il y a un reste, au sens de la division, un résidu.  Ce reste, …c'est le petit(a).  ](Lacan, 21 Novembre  1962)

享楽は残滓 (а)  による[la jouissance…par ce reste : (а)  ](Lacan, S10, 13 Mars 1963)

対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963)


残滓の回帰、享楽の回帰、固着の回帰、そしてトラウマの回帰、これはすべて同じ意味なのである。私は穴の回帰という表現を好むが。ーー《対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou ]》(Lacan, S16, 27 Novembre 1968)



ミレールはこういっている。


享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)


これは「享楽は真にトラウマにあり、人は常にそのトラウマに回帰する」と言い換えてもよいことになる。


前回次の二文引用した。


現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる[le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place »  ](Lacan, S16, 05  Mars  1969 )

フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、「享楽の一者がある」ということであり、常に同じ場処に回帰する。この理由で固着点に現実界の資格を与える[ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, c'est qu'il y a un Un de jouissance qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


結局、現実界自体が固着である。フロイトのトラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]・トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]である。トラウマ自体が固着である。固着がなければ反復強迫しない。反復強迫しなければトラウマではない。


つまり現実界は固着、享楽は固着、そして現実界はトラウマ、享楽はトラウマである。


分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る[Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation]. 〔・・・〕

われわれはトラウマ化された享楽を扱っている[dans l'expérience analytique. Nous avons affaire à une jouissance traumatisée]( J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE2011)

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)



人が欲動の身体をもっていれば人はみなトラウマ化されている。身体はトラウマであるーー《身体は穴である[(le) corps…C'est un trou]》(Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice)。固着による穴=トラウマである。


ラカンが導入した身体はフロイトが固着と呼んだものによって徴付けられる。リビドーの固着あるいは欲動の固着である。最終的に、固着が身体の物質性としての享楽の実体のなかに穴を為す。固着が無意識のリアルな穴を身体に穿つ。このリアルな穴は閉じられることはない。ラカンは結び目のトポロジーにてそれを示すことになる。要するに、無意識は治療されない。le corps que Lacan introduit est…un corps marqué par ce que Freud appelait la fixation, fixation de la libido ou fixation de la pulsion. Une fixation qui finalement fait trou dans la substance jouissance qu'est le corps matériel, qui y creuse le trou réel de l'inconscient, celui qui ne se referme pas et que Lacan montrera avec sa topologie des nœuds. En bref, de l'inconscient on ne guérit pas. En bref, de l'inconscient on ne guérit pas (ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, ON NE GUÉRIT PAS DE L'INCONSCIENT, 2015)



人はみなトラウマ化されている。 …この意味はすべての人にとって穴があるということである。[tout le monde est traumatisé …ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou.](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 )



…………………


※付記


例えばポール・バーハウは2001年の時点で既にラカンの現実界は固着(原抑圧)だと言っている。


ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。[The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)



これはラカンの次の文に依拠している(リビドー=享楽であり、原抑圧は先ほどフロイトの症例シュレーバーで見たように固着である)。


リビドーは、その名が示すように、穴に関与せざるをいられない[ La libido, comme son nom l'indique, ne peut être que participant du trou]〔・・・〕そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[et c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même]. (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)



以下、いくつかのめぼしい文献を列挙。


ラカンの現実界は、フロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である。[ce réel de Lacan …, c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours.  ](J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)

いわゆる享楽の残滓 [reste de jouissance]。ラカンはこの残滓を一度だけ言った。だが基本的にそれで充分である。そこでは、ラカンはフロイトによって触発され、リビドーの固着点 [points de fixation de la libido]を語った。


固着点はフロイトにとって、分離されて発達段階の弁証法に抵抗するものである[C'est-à-dire ce qui chez Freud précisément est isolé comme résistant à la dialectique du développement. ]


固着は、どの享楽の経済においても、象徴的止揚に抵抗し、ファルス化をもたらさないものである[La fixation désigne ce qui est rétif à l'Aufhebung signifiante, ce qui dans l'économie de la jouissance de chacun ne cède pas à la phallicisation.]  (J.-A. MILLER,  - Orientation lacanienne III-  5/05/2004)

フロイトの反復は、(自我に)同化不能の現実界のトラウマである。まさに同化されないという理由で反復が発生する[La répétition freudienne, c'est la répétition du réel trauma comme inassimilable et c'est précisément le fait qu'elle soit inassimilable qui fait de lui, de ce réel, le ressort de la répétition.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011 )


…………………



PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収)

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)



穴の回帰とは異物の回帰、異者身体の回帰である。


トラウマないしはトラウマの記憶は、異物(異者身体[Fremdkörper]) として作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)

現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III,-16/06/2004)



ひとりの女の回帰でもある・・・


ひとりの女は異者である[une femme …c'est une étrangeté.]  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)


異者がいる。異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich ](Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)