ニーチェやフロイトの言ってることが「昔はそうだったけど今は違う」なんて返してきたらダメだよ。古くなるのはイデオロギーだけだ。人間の上部構造は時代によって変わるが下部構造は変わらない。100年や200年どころかプラトンの時代と変わっていない。いやそれどころか10万年ぐらいは変わっていない。 |
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人類は、おそらく十万年ぐらいは、生理的にほとんど変化していないと見られている。心理だって、そう変わっていまい。そして、生理と心理は予想以上に密接である。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収) |
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もし土台を問うたニーチェやフロイトが間違っていると言いたいのなら別だが、「古い」では話にならない。 |
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いつもそうなのだが、わたしたちは土台を問題にすることを忘れてしまう。疑問符をじゅうぶん深いところに打ち込まないからだ[Man vergißt immer wieder, auf den Grund zu gehen. Man setzt die Fragezeichen nicht tief genug.](ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』未発表草稿) |
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学者というものは、精神の中流階級に属している以上、真の偉大な問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない[Es folgt aus den Gesetzen der Rangordnung, dass Gelehrte, insofern sie dem geistigen Mittelstande zugehören, die eigentlichen grossen Probleme und Fragezeichen gar nicht in Sicht bekommen dürfen: ](ニーチェ『悦ばしき知識』第373番、1882年) |
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現在のフェミニズムの一番の欠陥は性欲動を問うことをやめてしまったことだ。
せいぜい性欲望レベルの話しかしていない。
これはジェンダー理論に限らないが、いわゆる「エビデンス主義」のこの今というのはひどい知的退行の時代だよ。エビデンス主義とは原因をーーフロイトラカン用語ならリアルをーー、あるいは根にあるものをブラックボックスにする主義だ。セクシャリティに限って言えば、欲望だけをみて欲動を見ない主義だ。《欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]》(フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年) さて前回引用したニーチェやフロイトの思考の下では、愛と憎悪は天秤の左右の皿だ。愛の力が強ければ、憎悪の力も強い。女が男よりも愛に生きる力が強い性なら、憎悪に生きる力も強い。この愛憎コンプレクスの別名は破壊欲動だ。 ジャック=アラン・ミレールが示している上の図表の用語を説明することはしないが、穴の原理とはブラックホールの原理だ。女がギリギリのところまで行ったら、非限定的・脱局地化・無限の愛に生きる性であることを認めないかい? 男ってのは女に比べたらカワイイもんだよ。
「愛のほかのいっさいのことは、その女にとって価値を失う」ってのは男にはないね。それがミレールの示している限定的・局地化・有限の意味だ。
もっとも最近の女は上部構造としては男化してるのが多いかもしれないけどさ。でも一皮剥いた土台は変わってない。人間とはわずかのあいだに変わるようなチャチなもんじゃない。 |