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2022年2月6日日曜日

女の一生を詩ふ

 


女の一生を詩ふ  金子光晴



じぶんが苦しんで、あひての苦しみの肩代りをしたつもりでも、

それは、むだなことだ。あひてがそれで助かるわけでもない。


それは、男と女とは、人間であることでは平等だが、

おなじものを別の感性で受けとり、

おなじことばで、別のなかみを喋る。


その齟齬(くひちがい)に氣付かぬあひだは安泰だが、たがひの足並みが亂れ、

ふたつのこころの隙間や、がたつきが氣になりだしたら、それこそ百年目で、


男の人生では、女の生きかたが無意味にみえるし、

女の人生では、男の生きかたが非道としかおもはれない。


それにしても、男にも、女にも生きるといふことは難儀なことだ。

とりわけ、男にとつては潔白に、女にとつてはうつくしく生きることは。


男と女がよりあつて、愛情の像を築きあげることはもつとむづかしい。

ひきはなされてゐて、たがひにもとめあふこころのなかだけで湧くきよらかな泉。


男と女とで編む日常の一目一目が生きるといふことで、

そのほかはおほむねむなしいことを、人は忘れがちだ。


男がその指先をたのしませるために、ネル地にふれ、繻子地にさはるとき、

女は、とかくみだらな習癖としかそれをとらないし、


女がよそごとにかづけて、死身に訴へることを、でくの坊の男どもにはさぐりあてられないで、

『女の感傷(センチ)』で片付けてしまふ。


ひと夜蕈(よだけ)のやうに、細々としろいはかなげなヴィナス。


くろつちから掘り出したばかりのあなたを私達男は、

氣づまりなばかりか、おどおどして、そのうへ、弱氣をみせまいとして外見(そとみ)をつくろひながら、


こころのありかを知らうともせず、うはうはとやりすごしてしまふ。

男の世界の渺かむかうに、茫々とひろがる女の蘆洲。


洲のうへをきれぎれにながれる霧、その霧にみえかくれする女のこころは、

洗ひながした米の磨ぎ水のやうにうすじろくとごつて、


そのうへに這ひかかつて咲く螢草、みぞ萩や、赤まんま。

世帶窶れ、首すぢのむだ毛、手首にならんだ疣、はやすぎた肌の凋落、打擲のしびれるやうな快さ。


薄命と、女とうまれたことの不運を憫れんで欲しさの媚態と、

大きなあきらめのあとの虛しさにうかびあがる泡沫(あわ)のはじける音。


生れながら罪障深い女たち、三界に家のない女たちは、

臺所のすみに追ひやられ、法律にすら護られず、いつも片手落ちなことばかりに慣れてきた。


淑德や、貞操にしばられた非力な女たちの念珠を繰るやうな日々の倦さは、

狡猾で、わが儘で、うぬぼれのつよい私達男のしむけた結果ではあるが、


されるがままのかたちになつては、すぐもとにかへる柔軟なあなたのからだとこころは、

いつも辛抱づよく、ゆるせない男のふるまひをじつと見まもり、女のマイナスの大きいほど、それだけ、


男たちを負債で身うごきできなくする。愛情もまた、喰ひつ喰はれつするものだ。

喰はれることで、喰つたものよりもゆたかになることもあるし、喰つたために阿修羅道に墜ちる人間ゐる。


男と女の別々なエネルギーは、永遠に理解することのむづかしい雙方の宿命から、

どちらかを荒廢させる結果となることがわかつてゐればこそ、なほさら二つのいのちが牽かれあひ、一つにならうとする。


その破滅的な接觸の瞬間をおいては、男と女がエゴをはなれ、肝膽を照らしあへる機會はないといふ。

それも正確には、合體したつもりになれる好機と言ひ直さねばなるまい。


それにしても、男と女のけばだつたからだ同士のふれあひの、

亂暴なこと。そのわたりあひの酷たらしくて、しらけわたつてみえること。


戀愛などは、紂王でもおもひつきさうな刑罰で、

一口に言ふならそれは、不淨場で、天使と赤豚を結婚させることなのだ。


――外套のしたは、なにも着ていらつしやらないのですね。

ブレンチ・ヴァルレは、モンナ・ヴァンナを迎へながら言ふ。


男が手をはなせば、ひとりでは立つてゐられないで、

へたへたとその場にくづれてしまひさうなかよわさと、捨て身のつよさで、嫉妬と氣まぐれで搖れてやまないこころのもつと底ふかくに橫たはる大暗渠のやうな“女のネアン”で、


男たちは、かへる路を見失ふ。女の頭蓋と男のばらばらな骨は、

投げこみ墓地にすてられる。大氣は、濃硝酸と沃度のゑごい臭氣でいつぱいだ。


並行線の筈の男の線と女の線が、一點で交つたやうにみえたが、

それは見ちがひで、男も、女も、たがひにみたされたことがないために、いつでも若いのだ。




生ぎるのがつらさうな受身の人生を、なんとはるばる、

女たちは、今日まで生きて來たことだ!

明治から大正といふ、隙間風の寒い、つぎはぎな、日進月步の時代を旅してきて私は、じつにたくさんな女の人たちと出會つた。


そのなかには、娘たちがゐた。

人妻がゐた。

母がゐた。

母でも、妻でも、娘でもない女たちもゐて、眼まぜでついてくるものもありはしたが、

おほかたの女の人はとりすまして、知らん顏してすれちがつた。


いつの時代にも女の人は、そのときのはやりを身につけて、

變身(メタモルフオーゼ)しながら、ほのぼのとした肌あかりで存在の中心部をうきあがらせてみせた。

私達男は、一生の大部分を、女の人への關心とかかはりあひで、むなしくつかひすててきた。


しらぬまに髮から辷り落ちた花櫛、まなじりの臙脂、彼岸花。

おしろいを刷いたながい襟足のつめたさ、卵殻塗り。あぶらのぎらぎら浮いた化粧のよごれ水。

女とあれば、月々の障り、男たちでは、想像さへもできない內緒のこまかい心づかひ。

女のネアンは、そのうすぐらい物蔭から時間と空間に、血痣のやうににじみ出た。


身分や境遇の屈辱的な立場に眼ざめた新しい女たちは、

伏見人形のやうな街のあねさままでもが、ベーベルの『婦人論』を讀み、ノラや、コロンタイに女の鑑を見いだした。

また、敗戰後のアマゾンは、學校で、家庭で、職場で、男たちと對等にはりあふやうになりはしたが、


それはただ、男たちに背丈が屆くといふだけのことで、

女の虛落は、埋めやうもない。むなしい故にひとしほに、あえかにうつくしい女の開花。

產みおとしたいのちを、むざんに殺める男たちの專斷への女のかなしい憤り。


娘や、妻や、母の切れ目のない行列はどこまでもつづいて、

晴れの若さでかがやく美貌が、つぎつぎに受けわたされる。

それをながめては見送るだけで、しらぬまに十年、二十年が、私の一生が過ぎてしまひさうだ。


……………



無題  金子光晴


もし、草の花や、

木の花が

この世になかつたら

わが人生は、半分だ。


もし、親しい友や、

いい本や、

生活の夢がなかつたら

わが人生は四半分だ。


もしまた、うつくしく

包裝して、

かざりリボンをかけた

贈答品のそれのやうに


われおとらじと盛裝した

女のひとたちが

街をあるいてゐなかつたら

わが人生は、無とおなじだ。





女性遍歷  


女性遍歷だなどと、

めっそうもない。

女一人に纏撓かれて、この國の

花も咲かない男共の人生。


例外ではなく、僕のまわりを、

三人か、四人の女がうろついただけで

おどろいたことには、はるばる

八十年の人生がたってしまったよ。






續「愛情69」から(昭和46年2月「小說新潮」)


 失ってから氣がつくことと言えば、

いかにそれが掛替なかったかと言うことだ。

コキュになってから、切ないほどに、

女のよいことばかりが思いだされる。


 とりわけその女の忘れがたいのは、

人の眼にあまる奔放なふるまいで、

女の素直な心のあらわれなのに、

それをゆるす男を、世間は、わらう。


 女よ。やがて春が來る。櫸並木は

枯枝ながら芽ぶく氣配で空を紅立たせ、

落葉と霙がその慝れ家で新しい戀人達は

わななく裸をあたためあってゐるだろう。


 そして、その女は、私にもした通りを、

もっと激しい情熱をこめてふる舞うだろう。

新しい男の背をさすり、嬌をつくって、

“あいつの事を思出させないで”と言うだろう。



…………………



そろそろ近いおれの死に



  そろそろ近いおれの死に


 ふらんねるでつつまれたような

このごろの陽氣。

いつもねっとりと汗ばみながら


 格子の間から往來を眺めていた。

額が格子にくい込んで、

格子のあとのつくのもしらず、


 ゆききの人を眺めているだけで、

蜘蛛の巢の絡まった顏や、人生の

紛擾に卷込まれたくたびれた顏の


 往ったり來たりはたのしくもあり

衝突したり 躓いたりをみているのは

つい喝采をおくりたくなる。不謹愼者。


 新聞はまず黑框に眼を通して

ひとも死に じぶんも死ぬ事を確かめる。

何とはなくそれも愉快な事である。


 そして 古い仲間は殘少(のこりすく)なになった。

噂をきくとよほど前に奴は死んだと言う。

だがその噂をきけない程、隔たった奴もいる。


 香華をあげるって? 冗談じゃない。

俺だったら、怒るにちがいない。

死んだら忘れてもらいたいものだ。


 淋しくないかって? それも飛んでもない。

生きてる時だって いつも孤りで、

不自由なおもいをしたことはない。

 

 孤獨なんて 脂下ってる奴は、

たいてい何か下心があって、

女共にちやほやされたい奴だ。


 よくわかるって? 當り前さ。

俺だって、似たような奴だったから

そんな俺がいま死んだとしても


 痴漢が一人、減っただけのことで

世の中は さっぱりしたわけだ。

詩だって? それこそ世迷いごとさ。


 あんなものがこの世になければ、

もっとさっぱりした日々を送り、

のびのびと寢てくらせたものを。


 力んでみたり そねんでみたり

反りかえったり くよくよしたり

折角のいのちを、臺なしにしたのも、


 みんなあの銀ながしのお蔭なのさ。

格子からながめたちょろい人生の

雛型をつくるただそれきりのことさ。


 若くしてへの衆は役立たず、

六十餘州をちり毛元に寄せるてだても

はじめぬ先から夢の夢となって、さて、


 本人の俺は、いま、木の端くれ。

見せ場もなしに、死を待つ身柄、

そうなってもまだ、未練はつきず、


 忘れる筈の永遠を追いかけて、

杖を忘れては 呼吸もつづかず、

汗と なみだで 眼先もみえず、


 なかには、やさしい人もいて、

ながいことはないな。このじじい、

ゆきずりに聲でもかけてやりたいとおもう。


 でも やせ我慢の俺は、駄目で、

じぶんではまだ若者のつもりで、

車の稽古でもしようと企らむ。


 夏芽と若葉をのせて 箱根まで

突っ走ろうとおもうが、孫たちまで、

死の卷添えにつれてゆく氣かという。


 そんなことを考えるのがそもそも

もうろくしているとおもうらしく、

それとなく見張っている樣子だ。


 佛の来迎も 神の天國も

昔からのぞんだこともないこの俺を

しきたり通りの葬儀で送るつもりだ。


 そうなればもう 糞をくらえだ。

もしもいたら そいつらに言う積りだ。

そろそろ引込んでみたらどうだと。


 人間はお前たちより悧巧になって、

お前たちを上手に利用してるだけだ。

安い賽錢で屍骸を押しつけるだけだと。


      (死んだ人間は食うことになるだろう。諸君そのつもりになって下さい。人がふえすぎれば自然のことで、文學の視野もひろくなりますよ。)


      いい食肉になりますように、風呂に入ること、豚になることを理想として、せいぜい、脂肪をつけてもいます。ことし死んだ尾崎喜八や井上康文は瘦せていますから、燒肉によいでしょう。僕は中肉の方で、あっさり向き、草野は毒出しをした方がよく、やはりうまいのは山本太郎、田村隆一はチャーシュー。

                                        右参考にまで

      その時選擇をあやまらないように、但し、馬の豫想とおなじでこの豫想にも萬全の信賴はおけません。


……………



十代



  十代


 僕の十代には、戰爭があって、

號外の鈴がいまでも、

耳にちりちり鳴っているが、

あの頃は、遠い霞のむこうだが、


 それでも、十代はたのしかった。

空は晴れて、瑠璃いろだったし

誰もしらないたのしいことが、

もちきれないほどたくさんあった。



  二十代


 子供が大きくなったばかりの

二十代は腕白で、理不盡だ。

おもちゃを他人(ひと)に取られたように、

『あの娘(こ)が來ない』と泣きわめく。

失戀などということも二十代なら、

可笑しいどころか、いたいけなもので、

しんじつ慰めてやりたくなる。

そして、わが身をふりかえって、

も一度、二十代が來ないものかと

おもうのだが……。



  三十代


 三十代と言えば、經驗もあり

先の見通しもきく筈なのに、

僕の三十代はいちばん苦勞が多く、

貧乏で、裸で、旅から旅ばかり、

三十代はもともと火の手の强い年代だが

僕の三十代は、戀愛もなく、野心もなく、

このばかやろがせいぜいのところで、

ほんとうにがらくたな三十だった。

上海で踝を踏んだ女の首を、パリの場末のバーの皿のうえにのってるのをみたヨカナンのように。

                       ――一つの白い腹に二つの臍のある女




  四十代


 四十代になるのはやさしいことだ。

人は、ずるずると年をとるからだ。

花でいっぱいな人生にも、

輕石だらけな人生にも、

おなじように四十代が通りすぎる。

だがこの年頃のパズルは一番むずかしい。

これくらいの所というのも未練が多いし、

はじめからやり直すには、根(こん)がない。

塒(ねぐら)に歸りそこねて檣(マスト)の上を廻るはぐれ鳥、

あの鳥の鳴聲のあわれが耳に今も離れぬ。



  五十代


 五十代とは、なんと、

しのこしたことの目に立つ年頃か。

そのくせ、やり直すには少し手遅れ。

「お若くみえます」などと言われると、

じぶんでもつい、そうかと思う。

だが、試すだけは試した方がいい。

見はてぬ夢とか、老らくとか

言われるほどの年ではない。

帆柱會の用も、蛇酒も無用、

まだまだ、自力で立つべきだ。



  六十代


 六十代ともなれば男も、女も、

生えてくる毛がどこも、白い。

染毛劑はよくなったろうが、

染めている姿が困る場所もある。


 從って、萬端、むさくるしく、

人目に立つのがひけ目になるので、

出會茶屋の入口をくぐる勇氣もなく、

さあ、これからは何を賴りに生きるか。


ひとには言えないことではあるが、

娑婆氣の殘物(あら)は、どこへすてたものか。



  七十歲


 七十歲というのは、

毛ごみのようなものだ。

毛ごみのなかにまじった、

干柿の種のようなもの。


 七十歲では戀人も來ない。

來てもなにもすることがない。

毛ごみを捨てた一匹の虱が

シルクロードを西に步いた。


 灰皿につめた煙草の煙が

その影を落す砂の風紋を越え、

戀人の膝を求めて旅をする。

七十歲を忘れるために。



  八十代


 おいくつです?

いけません。もう八十です、ということになってしまった。

 親子兄弟妹と六人がとうに死んで、

のこっているのは僕一人だが、これは、

いったいしあわせなことか不仕合せか。

 とも角元はとったあとの、

利息のような日々なのだから、

遠慮勝ちに生きてればいい筈なのだが、

若いもののつもりでなくては氣に入らない。